読書おぶろぐ

読んだ本の感想を書いてます

正統の憲法 バークの哲学

2013年02月28日 17時12分44秒 | 政治関連・評論・歴史・外交

中川 八洋氏の著書。

中川氏のご著書は女性天皇・女系天皇に関することをきつかけに読んでゐるが、大変ためになることが多くまた、現在の教科書に載つてゐる教育が中高生から大学まで、いかに「赤の共産主義への洗脳」によるものかを目覚めさせてくれるものであるので、一人でも多くの人に読んでゐただきたいものである。

刊行が20年前といふ本も多々あるが、是非とも図書館で探してほしい。本書も図書館の書庫にあつた。

本書は次のやうに構成されてゐる。

序 正統の憲法、異端の憲法
第一章 保守主義のアメリカ憲法
第二章 イギリス憲法の母胎
第三章 フランス憲法 負の遺産
第四章 「日本の知的遺産」 明治憲法
第五章 GHQ憲法のルーツ
第六章 バーク保守主義の神髄

日本の教育で憲法、と言へば ドイツ憲法が最初に出てくる。明治憲法を制定するのに起草者らが留学してドイツプロイセン憲法を元にした、といふ記述が教科書にあるからである。

しかし、本書を読むとそれが必ずしも正しくなく、明治憲法は実は「保守」の意味合いからアメリカ憲法(建国当初)とイギリス憲法に学ぶところが多くあり、その精神も英米憲法に通じるものがあると解説されてゐる。

そして、なぜか教科書では神々しく書かれてゐる、フランス人権宣言やフランス憲法、フランス革命の正体(中身)が実はとんでもない「ジャコバン派(ロベスピエール)による大虐殺と宗教弾圧と独裁」であることもわかる。

第一章と第二章は、読んでもすぐにピンと来ないのだが、読み方としては教科書で神々しく書かれてゐるフランス憲法に関する第三章を最初に読み、フランス革命とそれによる人権宣言の実際を知つてから、なぜ保守が必要なのかと理解する面で第一章と第二章を読み、そして第四章に行くのがすんなりいくかもしれない、と読み終へて思つた。

本書を読むとわかるが、フランス革命やフランス人権宣言、ルソーは世界では「人類の汚点」のやうに取らへられてをり(その実態からすれば不思議はないが)、フランス人権宣言やルソーよりは英米憲法、バーク、コーク卿が教へられてゐるのである。

ではなぜ日本では世界の非常識が教へられてゐるのか?

第四章を読むと、明治から徐々に「共産主義者の日本の伝統破壊運動(自由民権運動、中江兆民らルソーかぶれによる)」が行はれてゐたが、戦後共産主義者が蔓延し、岩波書店らに入り込み嘘の著作を蔓延させたり、日教組と教科書の嘘により明治憲法や天皇陛下が「悪」とされる教育がなされてきた事がよくわかる。 ゆへに、日本では「フランス人権宣言」や「フランス革命」が美しい人類の理想のやうな教育がなされたり、ルソー「社会契約論」が素晴らしいものと教へられてゐるのであらう。

ルソーとフランス人権宣言やフランス革命の内容は、独裁と虐殺が大好きな共産主義者にとつて、自分達の「理想」を明文化してゐるものなのである。

ゆへに、日本の天皇制を失くさんと「嘘と悪の広報活動」を繰り広げてゐる社民共産民主他の朝鮮左翼にとつて、

フランス革命

はなくてはならないものなのである。

ルソーの「社会契約論」に関する「4つの重大な反・憲法原理」が本書に書いてあるので引用する。

「Ⅰ.『法(ルール)による政治』ではなく、『人による政治』 ―『立法者』も『主権者』も『人民』も、すべて人である。法ではない。すなわち法の全面排斥
Ⅱ.『国家は人間の智力で設計・創設できる』 ―国家は数世紀以上かけての慣習/伝統/習慣などが堆積したその上に自然的に成長・発展したもの。だがルソーは自分を天才と過信し自分の頭脳で国家が創造できると妄信
Ⅲ.『人間は平等であらねばならない』 - 人間は資質・能力にしろ好運度にしろ、不平等に生まれている。人間が平等であると考えるのは、現実に反する妄想である。つまり、人間を平等に扱うことはできるが、人間を平等にすることは出来ない。社会は人間の不平等で機能しているが、この現実を平等社会に改造するのは不可能
Ⅳ.『人間に自由は不要で自由ゼロこそ理想』 - 倫理・道徳の伴った自由こそ文明社会の脊椎であり、この自由こそ生命を代償にしても守る価値がある。しかし、アクトン卿が指摘するように、ルソーは自由が全くわからなかった。倫理・道徳もわからなかった」 (P111-112)

この4点を読んで、何かと共通点を感じないだらうか? さう、朝鮮左翼の社民共産民主が散々主張してゐることと酷似してゐる。酷似してゐるのは不思議ではない。本書を読めばわかるが、共産主義(マルクス・レーニン)はルソーのこの説から始まつたのである。

特に、Ⅰ、Ⅱは実例がある。

外国人政治献金が違法なら法を変えろとホザゐた「福島みずほ」や「国というものがよくわからない、日本は日本人のためだけのものではない」「地球市民」等の発言の鳩山由紀夫や菅直人。

Ⅲも、男女共同参画やら人権やらで主張されてゐる。ⅣはⅠからⅢを主張する奴に限つて、「自由」を履き違えてゐる。自由には責任が伴ふとか権利には義務が伴ふと言ふ発想はなく、「俺様の自由」を主張する。これらは今現在、日本で「野党」となつてゐる集団が言葉を変えて主張し、日本に持ち込み日本の伝統を破壊しやうとしてゐる大原理なのである。

明治憲法に対する嘘がなぜ蔓延したのか、は本書第四章第三節 「『明治憲法つぶし』の策謀―上杉慎吉と宮沢俊義」に詳しい。右翼を気取つてゐた実は共産主義者の宮沢俊義はその著書「憲法の原理」にて「『神権主義』『神意(神の意志)』『天孫降臨の神勅』『神の子孫』『神の政治』『神の天皇』と『神』という言葉を乱発して明治憲法を中傷するのに精を出している」(P190)からである。

詳細は本書に書かれてゐるので省くが、ここに書かれてゐる宮沢俊義の著書内容は自分中学で教へられたことまさにそのもので、こんな嘘を未だに教へ、明治憲法と日本を貶め、天皇陛下に戦争責任とかホザき日本人を洗脳してゐる共産朝鮮左翼に心からの怒りを覚えた。

現在、憲法改正が国会での議論にあがるやうであるが、日本人は「GHQ憲法」なる日本国憲法は破棄し、明治憲法を復活させ明治憲法の条文を見直し、現行に合ふやうに改正すべきである。

最後に冒頭に中川氏が書いてゐる言葉で締めたい。

「歴史の神秘に育まれた国家とは祖先の叡智が幾世期も幾十世代も堆積したそのうえに築き上げられた荘重な建造物であり、祖先より相続した『世襲の生命体』である。この故にまた、悠久に国家が永続していくための命と活力のエネルギー源は、祖先を尊崇し祖先が遺した伝統や慣習を畏れをもって保守していく子孫たちの、いわゆる『保守主義の精神』にしかない。

すなわち、われわれ国民が『世襲の義務』である『祖先を畏れる精神』『伝統・慣習を保守する精神』を仮に失うとすれば、国家は生命源を涸渇させていくから、最後には亡国の淵に立つ。

国家とは過去の祖先と未来の子孫と現在の国民とが同一の歴史と伝統とを共有する精神の共同社会であるから、国家が魂を再生して永遠に存続するには過去と未来と現在の国民とがいつもパートナーシップの絆で結ばれていなくてはならない」 (P3)


陽だまりの彼女

2013年02月25日 16時29分35秒 | 小説

越谷 オサム氏の作品。

越谷氏は1971年東京生まれ、2004年第16回日本ファンタジーノベル大賞優秀賞受賞作「ボーナス・トラック」でデビューされた。

本作品は、映画化されるといふことで奥田浩介役に潤君起用と聞き、読んでみた。

最初から中盤までは、単なる恋愛小説のやうであり、恋愛小説に興味がない自分としてはあまりのめり込みもなく、読み流してゐた。

しかし、真緒に何か秘密がありさうだ・・・・といふ中盤以降は少し興味を持つて読んだ。

終盤は・・・・

秘密が明らかになるのであるが、「秘密」と現在共存してゐる人にとつては涙が止まらなくなる終盤であらう。 

詳細を書くとネタバレになるのでこれ以上は書かない。

ただ、自分のところの「秘密」にもその時期が来るんだと思ふと、涙が止まらなくなつてしまふ・・・・
その「秘密」はいつものやうに一緒に食事をしたが

「秘密」が助けが必要なら私があなたの手になりませう 

と思ふ事がけふの夕食であつた

それを考へると

中盤までの「ただの恋愛小説」がものすごく意味のある内容に思へてくる。 

「人間の形をしてない人と一緒に暮らしてゐる」、つまりペツトを飼つてゐる人は必読と思ふ・・・
 
終盤の終盤
 
涙が止まらない
 
拙宅に「いかづち隊員」がゐる
 
いかづち隊員の毛並は、俗に言ふ「キジトラ」といふ雑種の毛並である
 
私は、ネコが大好きだがこの
 
「キジトラ」といふ毛並には格別の思ひ入れがある
 
3歳の頃に家にゐて、いつも一緒にゐてくれた存在が 「キジトラの毛並」だつたのである
 
その存在は父親の転勤による引越しで
 
ゐなくなつた
 
元々母親が「猫嫌い」であつたせいであらう、頭のいいその子はうち以外の「ウチ」を探してゐたやうだ
 
引越の前から、気配を見てゐたその「キジトラ」
3歳の自分には力などない、と見ぬいてゐた「キジトラ」
 
いつからか夜は別の所で過ごし、昼間に3歳のりゐべと遊ぶためだけにやつてきた「キジトラ」
 
すべてを見抜いてゐた「キジトラ」は
 
引越の日に来ることはなかつた。 自分も、「キジトラ」はその日に来ないだらうと予感してゐた。
 
でも、あの日、「キジトラ」が来るのではないか、来たら一緒に連れて行かふと心に決めてゐた
 
「キジトラ」は来なかつた。 どこかで見てゐたのかもしれないが、一生懸命探してゐる3歳のりゐべをどこかで見てゐたかもしれなかつた
 
「キジトラ」がどんな人生を過ごしたのか、わからない。無力な私は看取ることが出来なかつた。
 
しかし
 
自分の心にあるのは、「キジトラ」であり ネコの姿を見ると「キジトラ」が一番と思つてゐた
 
だから
 
今も「キジトラ」と一緒にゐる。 毛並に拘るなんて人間の勝手な欲望と思つてゐるけれど
「キジトラ」を求めずにゐられなかつた。
 
好きになつた人の面影を求めるのと一緒
 
でも
 
ネコ他の寿命は生物学的の「ヒト」より短い
 
自分は、だうすればいいのか?と思ふ
 
自分より先に逝つてしまふ存在・・・ 「陽だまりの彼女」はその覚悟を人間に求めてゐるのかも
 
普段何気なくやり過ごしてゐたけど
 
この小説を読んで、気にせずにゐられなくなり・・・ 「なんでおれを連れていかなかったんだよ」の台詞に共感した。

新聞の危機と偽装部数

2013年02月21日 14時43分50秒 | 社会・報道・警察・教育

黒藪 哲哉氏の著書。

黒藪氏は1958年兵庫県生まれのフリイジャアナリストであられ、ウエブサイト 「MEDIA KOKUSYO」の主催者。

92年「説教ゲーム(改題:バイクに乗ったコロンブス)」でノンフィクション朝日ジャーナル大賞「旅・異文化」テーマ賞を受賞。98年「ある新聞奨学生の死」で週刊金曜日ルポルタージュ大賞「報告文学賞」を受賞のご経歴をお持ちである。

本書は、新聞業界のタブウである「押し紙」をめぐる裁判を中心に、新聞社、弁護士、裁判所、新聞販売店の状況を描く。本書の前に、黒藪氏は「押し紙」を取り上げてをり、「新聞があぶない」「『押し紙』という新聞のタブー」の著書や週刊誌に発表した記事などがある。

新聞の発行部数が減つてゐる、とは聞いたことがあるが、そもそも「新聞社の発表する発行部数」に「からくり」がある。その「からくり」の詳細が「押し紙」といふものである。

「押し紙」とは、新聞販売店等新聞社外部の立場が使ふ言葉なのであるが、新聞社はこれを「積み紙」と呼ぶ。 その「押し紙」「積み紙」とは何か? それは、端的に言へば新聞社が「購読数を上回る部数を発行し、新聞販売店に納めてゐる数」と言へやう。

購読数が1000なのに、1500発行して新聞販売店に納入すると、500残る。この残りを「押し紙」「積み紙」とそれぞれ呼んでゐる。

『(1)「押し紙」 : 新聞社が販売店に押し付けた新聞
(2)「積み紙」 :  販売店が折込チラシを水増しするために自ら仕入れた新聞
(3)「残紙」  : 「押し紙」と「積み紙」の総称』   (P18)

ではなぜこのやうな言葉の使ひ分けがなされてゐるのか?

「通常、『押し紙』裁判は、販売店側が『押し紙』によって損害を被ったと主張して提起する。これに対して新聞社は、販売店が「押し紙」と主張してゐる新聞は、実は「積み紙」のことであると切り返してくる。このような争点になっているために、発行部数の偽装が広告主に与える被害や資源の無駄使いによる環境破壊などについては忘れがちになる」 (P19)

このやうな理由で、「配達されない新聞」の呼称が複数あるわけである。

この「残紙」がなぜトラブルになり、裁判となるのか? 新聞の発行部数=配達されてゐる部数と思ひこんでゐる一般人には驚きの事実がある。

「『押し紙』とは新聞社が販売店に買い取りを強要した新聞のことである。たとえば1000人の購読契約者に対しては、1000部の新聞と若干の予備紙があれば足りるが、1500部を搬入すれば500部が「押し紙」になり、1700部を購入すれば700部が『押し紙』になる。これらの新聞についても、新聞社は代金を徴収して販売収入を得る。それゆえに『押し売りされる新聞』というニュアンスで『押し紙』と呼ばれているのだ。
 
 しかし、販売店は過剰な新聞を買い取られれたとしても、それをもって必ずしも赤字経営に陥っているとは限らない。と、言うのも新聞に折り込まれるチラシの枚数は、原則として販売店に搬入される総部数に準じているので、『押し紙』にもチラシがセットになっており、『押し紙』で生じた損害をある程度までチラシの収入で相殺できるからだ。

 (中略)

 また、新聞社によっては搬入される新聞の総部数に準じて補助金を支給する場合もある。したがって『押し紙』にも補助金が付くので、販売店に過剰な新聞があるからといって、必ずしも損害を被っているわけではない。

(中略)

 そこで新聞社が『押し紙』の代わりに採用しているのが『積み紙』という言葉である。販売店がより多くの折込手数料や補助金などを得るために、みずから好んで過剰な新聞を注文する結果、店舗の中に積み上げられた新聞という意味である。」 (P17-18)

上記のやうに、新聞販売店が「過剰に押し付けられた新聞」で損害を得た場合に裁判を起こすと、新聞社としては「自分達は補助金出してるし、販売店が自ら注文したのだ」と返答してをり、新聞販売店が敗訴するということが繰り返されてきた。

また、新聞販売店が過剰搬入を断ると補助金の打ち切りや新聞販売店を他区の販売店と統合させ、廃業に追ひ込むやうな手段を新聞社は講じてきた経緯もある。

裁判で新聞販売店が「敗訴」したのは、裁判所に「新聞販売店の意思で過剰搬入がされたのではない」といふ明確な証拠が提出できなかつたこともある。口頭で言つても後に残つてゐないと不利になる。また、新聞社担当は録音をひそかにしておきながら、新聞販売店店主にわざと神経を逆なでするやうな発言をし、新聞販売店主の声だけを裁判所に提出し「不適切な言動が店主にあつた」としたり、資金力があるから弁護士も複数雇用するなどいろいろの理由がある。

本書にはさうした詳細の記述とともに、黒藪氏が読売新聞から3つの裁判を起こされた事、その裁判の経緯も書いてある。驚くのは新聞社の弁護士が「人権派」を名乗る弁護士であつたことだ。 「人権派」は怪しいと思つてゐたが、やはりと思はざるをへない。

ただ 疑問に思つた記述もあつた。 
「沖縄タイムスは、米軍による沖縄支配という状況の中で、民衆の立場に立った真っ当なジャーナリズムを展開してきた数少ない新聞社である。米軍基地問題に関する報道では、本土の新聞とは比較にならない質の高さを誇っている」 (P105) には首をかしげざるをへない。さうした壱面もあるのかもしれないが、オスプレイや基地移転に関する「報道されない沖縄の人の本音」があることを知ると、一方的に基地反対、オスプレイ反対が沖縄の民意だとか日本の領海を侵犯してゐるシナ人をビザなし入国させやうとの記事を発表してゐる新聞が果たして「質が高い」のか?

しかし、本書に「特別寄稿」として元朝日新聞の記者の原稿が掲載されてゐるのを見ると妙に納得してしまふ。

「つまり、新聞社にとって、記事の間違い、読者の苦情に対して『訂正・お詫び記事』によって解決していくのは、基本中の基本なのだ」(P239)と元記者は書いてゐるが、朝日新聞は20年以上慰安婦といふ捏造記事を書き続け、訂正もお詫びもしてゐない。

本書は新聞社とその背景にあることを知る事が出来てよいが、なんとなく引つかかるものがあつた。 


新・日本国憲法草案 ”国家”日本の新生

2013年02月16日 16時33分05秒 | 政治関連・評論・歴史・外交

中川 八洋氏の著書。 中川氏の著書は、数冊読んだので感想を投稿してゐる。

女性天皇は皇室断絶 男系男子天皇を、奉戴せよ
皇統断絶 女性天皇は、皇室の終焉 
悠仁『天皇』と皇室典範
http://blog.goo.ne.jp/liebe-kdino-schumi/s/%C3%E6%C0%EE%A1%A1%C8%AC%CD%CE

上記の3冊を読んで、共産・社会主義者らがいかに日本を破壊しやうとして日教組やマスゴミ(特に朝日、毎日)を使用し日本人を「洗脳」し貶めてゐるのかよくわかつた。

皇室に関する「悪質な政治宣伝」の手法があるので、一読をお勧めしたい。 そして、昔から言はれてをり、朝鮮共産左翼とマスゴミが必死になつて「阻止」をしてゐる

「憲法改正」 (本質は「9条死守」 「護憲」 なのだが)

これらが、今、問はれることが起きてきてゐた。 民主党政権下で「シナ様」「朝鮮様」よりの対応をしてきた 「竹島・尖閣諸島の日本の領土の危機放置」である。

ここでまた、9条といふ問題が浮上してきた。現政権の安倍氏は、憲法改正を謳つてゐる。

中川氏が、湾岸戦争が起きた後の平成3年(91年)、本書を刊行された。 

驚かないが、20年前と全く状況は変はつてをらず、「湾岸戦争よりも身近な危機」が日本に起きたおかげで、日本人がやうやく「自分の身は自分で守る」「憲法9条の怪しさ」「抑止力には結局軍事力が必要」「民主党政権を導いたシナ朝鮮の手先の反日マスゴミの正体」等に気づき、安倍政権の「改憲」「防衛費増額」に反対を唱える共産朝鮮左翼の手先のマスゴミに抗議する状況となつてゐる。

本書は、刊行こそ20年前だが今現在日本人が読むべき書と思ふ。 (図書館の書庫にあつた。みなさんも、図書館で探してみてください)

目次紹介:

新・日本国憲法草案  (中川氏の改正案)

第Ⅰ部 ”国家”日本の新生と憲法  村松 剛氏との対談
第Ⅱ部 憲法正常化と平和主義の払拭 
      第1章  腐敗した「平和」主義    - 「護憲」と悖徳
      第2章  破綻した日本国憲法    - 湾岸戦争の遺産
      第3章  自衛隊から新・国防軍へ
      第4章  日本の憲法学とデマゴギー  - 社会主義革命のための「護憲」
      第5章  戦争の21世紀と日本      - 憲法改正なしに生存できるか

20年前の湾岸戦争、といふ「戦争に参加しなかつた日本」の状況(背景にゐた「朝鮮左翼社会党」の主張、それを後押しする朝日新聞)から第五章の 「戦争の21世紀と日本 - 憲法改正なしに生存できるか」は現在の状況の予言のやうであり、「防衛と侵略は別物」といふことを日本人がきちんと認識して、シナ朝鮮の手先である左翼に惑わされないことが重要と言へやう。

中川氏の憲法改正案と対する形で現行条文があるが、現行条文は怪しげな長文がだらだらと続き、共産主義臭がプンプンするものであることが際立つてをり、寒気がした。 

そして、さらに重要な「指摘」が村松氏との対談や第Ⅱ部の中川氏の主張の中に出てくる。

社民共産民主等、「朝鮮左翼の手先」とも言へる党は「国際貢献活動に対する自衛隊の派遣」について9条違反とか、「憲法違反」「個別的自衛権はいいが集団的自衛権は違憲」の難癖をつけますが

日本国憲法98条には 「条約および確立された国際法規は、これを誠実に遵守しなければならない」と謳つてゐる事を、無視してゐるらしい。これはだういふことかといふと

「集団的自衛権の行使の禁止」は国連憲章51条を否定することになる

とのこと。日本は国連に加盟しながら、国連憲章を無視し否定してゐることになる。 

ここ数年の、社民党はじめとした「朝鮮のための政策」を実行しやうとしてゐる人たちの、「法規無視」が徐々にネツトにて明らかにされてゐるが、基本朝鮮左翼といふのは、法を守らない、無視して自分の意思を通さうといふ傾向があるらしい。

「集団的自衛権の行使の禁止」もその一環だつたわけだ。しかも、マスゴミが揃つてこれを支持するやうな姿勢を示し、集団的自衛権を行使するのは憲法違反と即座に流すやうな雰囲気がある。

マスゴミが不勉強でバカなのは有名でしたが、ここまで来ると新聞などカネを払つて購読する価値もないし、テレビを見てスポンサアの商品を購入し、その番組に間接的に出費することは日本人に対する詐欺行為にすら見えてくる。

朝鮮左翼は、「日本人の味方」(日本人の若者の血は流させない、戦場に子供を送らない等「日本人を安全に保つ政策をします」アピイル)のフリをしながら国連を無視することを日本で推奨し、実行させ日本の世界における地位を貶めやうとしてゐるに過ぎない。しかも、国連憲章違反だけではなく、自分達がなにかにつけ大騒ぎする「憲法違反」(98条)を自分達がしてゐるのだから恐れ入る。

マスゴミや野党が大騒ぎすることは、鵜呑みにせず必ず自分で調べませう。ほとんどが反日が裏にあると言ひきるくらい、この数十年以上反日活動をしてゐる。

この「反日左翼政党」およびその手先の日教組、マスゴミの狙ふことについても本書に書いてある。20年前は「詭弁」と取られたかもしれないが、民主党政権のやつた事、シナ朝鮮、ロシアの領海・領空侵犯を併せて考えると、中川氏の主張は事実を突いてゐる。

「日本の左翼勢力は、もともと強力な改憲勢力です。天皇制廃止のために、憲法第1章を全面的に削除するという基本針をもっているからです。(中略)日本の「護憲」論の発生は、日本の社会主義革命のための有効な一方法としての「ソ連軍を導入して社共政権を作り、我が国を社会主義化する」方針に基づいてできたものです。このことはたとえば、憲法学の小林直樹・東大名誉教授がはっきりと明言しています(「月刊社会党」1984年1月号)。

ソ連軍を導入するためには、日本に米軍がいないこと、日本の軍隊がないことの弐つが最も望ましいわけで、そうしたことから”非武装中立”というスローガンが発案されたのです。」(P67-68)

今はソ連軍の代わりにロシアシナ朝鮮となつてゐますね。大変わかりやすい解説である。中川氏の著書をぜひともご一読願ひたい。

そして左翼のデマの象徴である、「明治憲法悪玉論」に必ず出てくる 「天皇ハ神聖ニシテ侵スベカラズ」ですが、ここ解説もある。
「あらゆる立憲君主国の憲法が『君主は神聖にして侵すべからず』ということをうたっている。立憲君主は政治的に無答責である、ということに対応しているのです。人間であるならば、政治に関与すれば必ず何らかの責任が生じる。しかし君主だけは別格であり、普通の人間とは違うのだということを、はっきりとしておかなければならない。そのために無答責条項には必ず『君主は神聖にして侵すべからず』がついているのです。」(村松氏、P71)

朝鮮左翼は、ここをねじまげて天皇主権でやりたい放題で現人神宣言を敗戦によつて行ひ、「日本が国民主権となつた」とやるが、まず嘘を前提にもつてきて、国民やアジアの人が被害者であると植え付けるやり方は大変汚いものである。 

無答責と明治憲法で制定されてゐたのであるから、天皇の戦争責任などないのである。朝鮮左翼はかうした事実を無視して、天皇戦争責任論を言つてゐる。不勉強な上に悪質である。日本人はきちんと「事実」を勉強しやう。

それから、「天皇元首論」であるがまた、東大の宮沢俊義、小林直樹らが「象徴だから元首ではない」と嘘を広めてゐるらしい。
「天皇がもしも元首でないとするなら、これは大変なことになる。戦後半世紀にわたって、列国大使が信任状を天皇に上呈してきたのは、天皇が国家元首だからです。天皇が他の国に行かれると、儀仗兵は21発の礼砲を撃つ。それも天皇を国家元首として認めているからでして、ご崩御の折に国家元首が大喪の礼に参列したのも、天皇が元首だと思っているからです。」 (村松氏、P74-75)

そして驚くべき記述を次に見つけた。
「皇族には義務だけが課せられています。相続税まで取られてなんの権利もない」村松氏
「選挙権がないのに相続税を取る、このとんでもない政府のやり方は改めるべきです」中川氏 ( P78)

朝鮮人は税金も払つてないのに、生保だのなんだの随分優遇されてゐますねえ。自分達で勝手に来て、帰国の際にも帰国せずに残ることを選択しながら「被害者」「強制連行」の嘘を連発して、天皇制を否定しながらこんな優遇を得てゐるわけですね。ますます許せませんね、朝鮮人。

日本人が今一番考へなければならないことは、「憲法9条に便乗した平和主義の反道徳性」であらう。この件に関しては中川氏がP88-96に詳細を記述されてゐるが、ここでも見つかるのは朝鮮左翼、社会党(湾岸戦争当時、土井たか子名乗る李高順)と朝日新聞の姑息さである。

湾岸戦争でクウェートに侵攻し侵略したサダム・フセインに会いに行き「フセインの大義」にお世辞とへつらいを述べたらしいし、朝日は「(フセイン)大統領はアラブの統一、自由、社会主義のために戦ってきたというが、それは貧しい名もない人のことを真剣に考えたことだと思う」(1/14付)と犯罪者を擁護してゐる。この姿勢は今のシナ朝鮮に対する朝鮮左翼の姿勢と全く変はつてゐない。

とどのつまり、朝日が支持する「朝鮮左翼反日政党(議員)」は憲法9条と「平和主義」といふ一見耳当たりのいい言葉で日本人を騙し、世界的にみれば犯罪者を庇ひ、その犯罪者に対する「制裁」を日本は憲法に反するから止めませうといふことをやつてゐるのである。これでは国際社会から信用は得られないし、日本人がバカと思はれても仕方がない。

朝鮮左翼とその先陣を切る朝日の反日暴挙は許しがたい。日本人は朝日の購読を止め、朝鮮左翼のやり方を認識し「ほんたうの平和」はいかなる上に成り立つのか現実を見るべきである。

そして、その邪魔をさらにすべく朝鮮左翼は自衛隊を「いぢめて」ゐる。朝鮮左翼が一番騒ぐ「人権侵害」を自衛隊員にしてゐるのである。

1972-1973年にかけて革新系市長がゐた那覇市と立川市では自衛官の住民登録拒否といふ、憲法第13条と第14条をあからさまに蹂躙することをなした。これが「人権」を声高に叫ぶ左翼の正体である。(P121に詳細が記載)

本書を読むと自衛官といふ「一番命の危険に晒される」立場が、警察官よりも低い日当や補償である「侮辱的措置」に触れて唖然となる。20年前の本とはいへ、こんなことがなされてゐたことと改善されてゐるのか?と思ふと同時に朝鮮左翼の横暴は許してはならないといふ気持ちが強くなる。ついでにいふと、ソ連(ロシア)の領空侵犯は今に始まつたことではなく、60年代からの侵犯が一覧表になつてP136にある。 これらを公表せず、そして知りながら朝鮮左翼は自衛隊を攻撃して防衛費を減らせ(つまり給金)とやつてゐたのだから許しがたい。自衛官の方々にはただ感謝である。

169頁から「戦争の21世紀と日本」として「吉田茂の大罪」が書き始められてゐるが、吉田茂は国家主権を回復し独立した際に憲法改正をしなかつた。これに対しては石原慎太郎氏が都知事時代から国会で言及してゐるが、本書には興味深い発言が載つてゐる。

米 ダレス特使
「米軍を日本に永久に置くわけにはいかない。日本が再軍備を嫌がっても、それゆえに自由世界防衛に貢献しない弁解にはならない。日本は国連に加盟すれば国連の安全保障に貢献しなければならない」 (P171)

これは至極当然の発言であらう。 日本は国連に加盟した時点で国連憲章を遵守することを理解し、憲法98条もあるわけだから9条護憲、日本の若者の血は流させない、子供を戦場に送らないなどとの主張は的外れなのである。

それを放送せず、「護憲」派なる国際無視の朝鮮左翼の言ひ分を大きく取り上げるマスゴミは愚の極みである。朝鮮人が法を無視するのは理解してゐたが、日本人になりすましてこんなことをしてゐるのは許しがたい。

マスゴミは平気で嘘を流すので、日本人の「真剣な考慮と議論」にはかなり邪魔だ。恥ずかしながら私は本書を読むまで集団的自衛権の行使の禁止が憲法違反であり、国連憲章違反だと知らなかった。

さらに中川氏の著書を読まうと思ふ。


原発のウソ の作者の2003年の論文

2013年02月13日 20時12分01秒 | 科学・化学・理系

本来、「読書おぶろぐ」としてゐるので本の感想を載せるのだが、一言言ひたいことが出てきたので、読書ぶろぐでない記事を投稿する。

以前、この記事を投稿した。 「原発のウソ」 小出 裕章氏著

http://blog.goo.ne.jp/liebe-kdino-schumi/e/b43f26ed08dc7bd920bf35241ec0d230

原発事故といふこと、そして原発に対して無知であつたことにより、本書を読んだ。 

主張は間違つてゐないのかもしれないが

この主張を日本に対してしてゐる人、そして日本の京都大学といふ研究の場に存在してゐる人が

実は

北朝鮮の核保有を否定せず、核実験を支援してゐた

となると話は変はつてくる。 

ツイツタアでフォロウしてゐる人のツイで、知つた。 2003年の論文である。

http://www.rri.kyoto-u.ac.jp/NSRG/kouen/KoreanN.pdf
Ⅱ.朝鮮民主主義人民共和国にある核=原子力施設 
(前略)

1994 年の枠組み合意時までずっと初装荷燃料のまま運転されてきて、その燃料は IAEA の立会いの下、つい先日まで 8000 本の燃料棒すべてが IAEA の監視下にあった。ただし、この原子炉は 1989 年に 100 日ほど運転を休止したことがあった。その時に原子炉から破損した燃料を取り出し、建設途上の放射化学実験室でミリグラム・オーダーのプルトニウムを抽出したと朝鮮は認めている。しかし、そんなことが一体なんだというのであろう

(中略)

 しかし、朝鮮は「悪の枢軸」でどんな嘘をついているか分からないという人たちがいる。そこで仮に、朝鮮が使用済燃料の全量を再処理して原爆を作ったとしよう。

(中略)

朝鮮に仮にあったとした量が右側の点、左側の巨大な四角が米国が実際に持っている核兵器の量である。その米国が、実は核兵器など持たない朝鮮に対して、「悪の枢軸」というレッテルを貼って攻撃しようとし、日本政府もその尻馬に乗っている。私は、原爆は悪いと思う。どこの国も持つべきでないと思う。朝鮮だってやらないにこしたことない。でも、厖大に核兵器を持っている国が、あるやないや分からない国に対して「悪の枢軸」というレッテルを貼り、制裁するなどという主張は決して認めてはならない。

びつくりゐたしました。

日本には、原発を止めろ等「ゼロ」を求めながら、朝鮮に対しては「核大量保有国」の米国を引き合ひに出し、「少ないんだからいいぢやないか」と庇つてゐます。

成程、これは反原発派と反日マスゴミが担ぎだすわけですね。

よくわかりました。

京都大学は大丈夫でせうか? 核開発なんて、資金と技術をどこから得てゐるのかと思つてゐましたが(資金はおおよそパチンコでせうが)、肝心の「技術」もこんなところからだつたんですね。 

技術はうすうす、バカンのやうな東工大出身者がやつてゐるのだと思つてゐましたが、堂々とテレビに出て原発反対を言つてゐる人が実施してゐたとは。

著書を乱発するわけですね。さぞかし北朝鮮への資金が出来たことでせう。