中川 八洋氏の著書。
中川氏のご著書は女性天皇・女系天皇に関することをきつかけに読んでゐるが、大変ためになることが多くまた、現在の教科書に載つてゐる教育が中高生から大学まで、いかに「赤の共産主義への洗脳」によるものかを目覚めさせてくれるものであるので、一人でも多くの人に読んでゐただきたいものである。
刊行が20年前といふ本も多々あるが、是非とも図書館で探してほしい。本書も図書館の書庫にあつた。
本書は次のやうに構成されてゐる。
序 正統の憲法、異端の憲法
第一章 保守主義のアメリカ憲法
第二章 イギリス憲法の母胎
第三章 フランス憲法 負の遺産
第四章 「日本の知的遺産」 明治憲法
第五章 GHQ憲法のルーツ
第六章 バーク保守主義の神髄
日本の教育で憲法、と言へば ドイツ憲法が最初に出てくる。明治憲法を制定するのに起草者らが留学してドイツプロイセン憲法を元にした、といふ記述が教科書にあるからである。
しかし、本書を読むとそれが必ずしも正しくなく、明治憲法は実は「保守」の意味合いからアメリカ憲法(建国当初)とイギリス憲法に学ぶところが多くあり、その精神も英米憲法に通じるものがあると解説されてゐる。
そして、なぜか教科書では神々しく書かれてゐる、フランス人権宣言やフランス憲法、フランス革命の正体(中身)が実はとんでもない「ジャコバン派(ロベスピエール)による大虐殺と宗教弾圧と独裁」であることもわかる。
第一章と第二章は、読んでもすぐにピンと来ないのだが、読み方としては教科書で神々しく書かれてゐるフランス憲法に関する第三章を最初に読み、フランス革命とそれによる人権宣言の実際を知つてから、なぜ保守が必要なのかと理解する面で第一章と第二章を読み、そして第四章に行くのがすんなりいくかもしれない、と読み終へて思つた。
本書を読むとわかるが、フランス革命やフランス人権宣言、ルソーは世界では「人類の汚点」のやうに取らへられてをり(その実態からすれば不思議はないが)、フランス人権宣言やルソーよりは英米憲法、バーク、コーク卿が教へられてゐるのである。
ではなぜ日本では世界の非常識が教へられてゐるのか?
第四章を読むと、明治から徐々に「共産主義者の日本の伝統破壊運動(自由民権運動、中江兆民らルソーかぶれによる)」が行はれてゐたが、戦後共産主義者が蔓延し、岩波書店らに入り込み嘘の著作を蔓延させたり、日教組と教科書の嘘により明治憲法や天皇陛下が「悪」とされる教育がなされてきた事がよくわかる。 ゆへに、日本では「フランス人権宣言」や「フランス革命」が美しい人類の理想のやうな教育がなされたり、ルソー「社会契約論」が素晴らしいものと教へられてゐるのであらう。
ルソーとフランス人権宣言やフランス革命の内容は、独裁と虐殺が大好きな共産主義者にとつて、自分達の「理想」を明文化してゐるものなのである。
ゆへに、日本の天皇制を失くさんと「嘘と悪の広報活動」を繰り広げてゐる社民共産民主他の朝鮮左翼にとつて、
フランス革命
はなくてはならないものなのである。
ルソーの「社会契約論」に関する「4つの重大な反・憲法原理」が本書に書いてあるので引用する。
「Ⅰ.『法(ルール)による政治』ではなく、『人による政治』 ―『立法者』も『主権者』も『人民』も、すべて人である。法ではない。すなわち法の全面排斥
Ⅱ.『国家は人間の智力で設計・創設できる』 ―国家は数世紀以上かけての慣習/伝統/習慣などが堆積したその上に自然的に成長・発展したもの。だがルソーは自分を天才と過信し自分の頭脳で国家が創造できると妄信
Ⅲ.『人間は平等であらねばならない』 - 人間は資質・能力にしろ好運度にしろ、不平等に生まれている。人間が平等であると考えるのは、現実に反する妄想である。つまり、人間を平等に扱うことはできるが、人間を平等にすることは出来ない。社会は人間の不平等で機能しているが、この現実を平等社会に改造するのは不可能
Ⅳ.『人間に自由は不要で自由ゼロこそ理想』 - 倫理・道徳の伴った自由こそ文明社会の脊椎であり、この自由こそ生命を代償にしても守る価値がある。しかし、アクトン卿が指摘するように、ルソーは自由が全くわからなかった。倫理・道徳もわからなかった」 (P111-112)
この4点を読んで、何かと共通点を感じないだらうか? さう、朝鮮左翼の社民共産民主が散々主張してゐることと酷似してゐる。酷似してゐるのは不思議ではない。本書を読めばわかるが、共産主義(マルクス・レーニン)はルソーのこの説から始まつたのである。
特に、Ⅰ、Ⅱは実例がある。
外国人政治献金が違法なら法を変えろとホザゐた「福島みずほ」や「国というものがよくわからない、日本は日本人のためだけのものではない」「地球市民」等の発言の鳩山由紀夫や菅直人。
Ⅲも、男女共同参画やら人権やらで主張されてゐる。ⅣはⅠからⅢを主張する奴に限つて、「自由」を履き違えてゐる。自由には責任が伴ふとか権利には義務が伴ふと言ふ発想はなく、「俺様の自由」を主張する。これらは今現在、日本で「野党」となつてゐる集団が言葉を変えて主張し、日本に持ち込み日本の伝統を破壊しやうとしてゐる大原理なのである。
明治憲法に対する嘘がなぜ蔓延したのか、は本書第四章第三節 「『明治憲法つぶし』の策謀―上杉慎吉と宮沢俊義」に詳しい。右翼を気取つてゐた実は共産主義者の宮沢俊義はその著書「憲法の原理」にて「『神権主義』『神意(神の意志)』『天孫降臨の神勅』『神の子孫』『神の政治』『神の天皇』と『神』という言葉を乱発して明治憲法を中傷するのに精を出している」(P190)からである。
詳細は本書に書かれてゐるので省くが、ここに書かれてゐる宮沢俊義の著書内容は自分中学で教へられたことまさにそのもので、こんな嘘を未だに教へ、明治憲法と日本を貶め、天皇陛下に戦争責任とかホザき日本人を洗脳してゐる共産朝鮮左翼に心からの怒りを覚えた。
現在、憲法改正が国会での議論にあがるやうであるが、日本人は「GHQ憲法」なる日本国憲法は破棄し、明治憲法を復活させ明治憲法の条文を見直し、現行に合ふやうに改正すべきである。
最後に冒頭に中川氏が書いてゐる言葉で締めたい。
「歴史の神秘に育まれた国家とは祖先の叡智が幾世期も幾十世代も堆積したそのうえに築き上げられた荘重な建造物であり、祖先より相続した『世襲の生命体』である。この故にまた、悠久に国家が永続していくための命と活力のエネルギー源は、祖先を尊崇し祖先が遺した伝統や慣習を畏れをもって保守していく子孫たちの、いわゆる『保守主義の精神』にしかない。
すなわち、われわれ国民が『世襲の義務』である『祖先を畏れる精神』『伝統・慣習を保守する精神』を仮に失うとすれば、国家は生命源を涸渇させていくから、最後には亡国の淵に立つ。
国家とは過去の祖先と未来の子孫と現在の国民とが同一の歴史と伝統とを共有する精神の共同社会であるから、国家が魂を再生して永遠に存続するには過去と未来と現在の国民とがいつもパートナーシップの絆で結ばれていなくてはならない」 (P3)