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日韓「歴史問題」の真実 「朝鮮人強制連行」「慰安婦問題」を捏造したのは誰か

2011年09月30日 12時19分13秒 | 政治関連・評論・歴史・外交

西岡 力氏の著書。

西岡氏は昭和31年東京生まれ。国際基督大学卒業、筑波大学大学院地域研究科修了(国際学修士)。韓国・延世大学国際学科留学。昭和57年-59年、外務省専門調査員として在韓国日本大使館勤務。平成2-14年月刊「現代コリア」編集長。平成17年東京基督大学教授、「北朝鮮に拉致された日本人を救出するための全国協議会(救う会)」副会長。著書に「飢餓とミサイル」「拉致家族との6年戦争」「金正日が仕掛けた『対日大謀略』拉致の真実」等多数。

これは、全日本国民必読の書でせう。

嘘を書かれた教科書に騙されてゐる世代にはぜひとも読んでもらひたい。

まず目次を紹介する。

第一章 戦後補償の欺瞞
第一節 日韓国交回復の法的枠組みを崩すな
第二節 また出現した戦後補償の亡霊

第二章 朝鮮人「強制連行」説の破綻
第一節 「戦時動員」の実態
第二節 「強制連行」ではなかつた
第三節 動員された人たちの待遇
第四節 逃亡も可能な職場

第三章 「在日は強制連行の子孫」という幻想
第一節 引揚希望者は全員帰国した
第二節 引揚事業の真実

第四章 「従軍慰安婦」という虚構
第一節 「従軍慰安婦問題」はなかつた
第二節 それは「ウソの証言」から始まった
第三節 「謝罪」と「朝日」が作った「慰安婦問題」
第四節 河野談話の大罪
第五節 慰安婦証言の虚実
第六節 「反日」マスコミ・学者の責任を問う
第七節 「謝罪」が悪化させた日韓関係

詳細は、本文にありますが、本文では「朝鮮人手記」を引用して朝鮮人「強制連行」説の破綻を書いてあります。それによると、戦時食料に相当苦労した日本人とは雲泥の差の「宴会」が書いてあります。

そして、現在ゐすわつてゐる在日南北朝鮮人は、「引揚希望したにも関わらず引揚を止めた(費用は無料で帰国できた)」および「引揚希望しなかつた」者どもといふ数字が出てゐる。これは連合軍が進めた「帰国政策」に基づくものである。

だうしてやつてきたか? 「自由意志」「召集に拒否せず渡航」「密航」である。「召集」されても上記引き上げで無料で帰国できたのに、朝鮮半島の情勢を不安に思ひ帰国しなかつたとか理由は色々あれ、「自らの意思」で帰国しなかつたのである。

なので
「強制連行されて仕方なく日本に来た、しかも帰国できなかつた」といふのは大嘘なのである。

ゆえに「特別永住外国人」といふ規定は撤廃すべきであり、こいつらは、嘘を吐いてゐすわり、年金加入を「日本人ではない」と拒否しながら老後に「生活保護」を要求するなどほんたうに「図々しい嘘つき民族」なのである。しかも「差別があるから日本名を名乗つてゐる」などの嘘を吐く。

政府が毅然とした対処・処理をしない(してこなかつた)のは国民国家に対する名誉毀損および冒瀆に等しい。

慰安婦だが
「日韓基本条約に反対した世論の反対論」にも慰安婦問題は出てこない。ところが「1990年代に入つて戦争を知らない世代が増えてきた背景に「ことさら事実をねじまげそもそもなかつた慰安婦問題」をあったことにしようとした一部の日本人が出てきた。その日本人に唆されて、問題を拡大した一部の韓国人がいた。さらにそれを報道したり論じたりすることによって、自分の社会的地位が高まったり、何か正義の味方になつたような気持ちになれると思った日韓両国の知識人およびマスコミがいた(P115)といふ事情のやうであるが

あまりにもお粗末だ。しかも、法務省の資料や労働省の資料を無視した「河野談話」。この政府の対応が大問題た。

慰安婦問題「ウソの証言」についての詳細はP116-139にあるが、かいつまんで紹介する。
昭和48年 千田夏光(かこう) 「従軍慰安婦」出版

昭和58年 吉田清治 「私の戦争犯罪 -朝鮮人強制連行」 ←後日創作があることを当人が認める。

平成元年 吉田著書が韓国で翻訳され「済州新聞」許栄善記者が現地取材し虚実だつたことを確認、吉田証言をウソとする記事を書く。しかし、地方新聞のためほとんど注目を浴びず、吉田虚言が一人歩きする

同時期 (平成元年11月) 青柳敦子が渡韓し「朝鮮人の戦争被害者のなかで日本政府を相手取って公式謝罪と賠償を求める裁判」の原告を募集する

平成2年 青柳敦子と韓国の「太平洋戦争犠牲者遺族会」団体が組んで日本政府を相手に訴訟(弁護士のうちの一人、福島みずほ)

平成3年 金学順が元慰安婦と名乗り出る。東京地裁に提出した訴状は「母の再婚相手とうまくいかなくなり、14歳のときに40円でキー船が修行するところに身売りされる。3年後(昭和14年)「義父(買った人)から「金儲けができる」と説得されて北支の鉄壁鎮というところに連れていかれる」

平成3年8月11日付 朝日新聞(大阪版)は「日中戦争や第二次大戦の際、『女子挺身隊』の名で戦場に連行され、日本軍人相手に売春行為を強いられた『朝鮮人従軍慰安婦』のうち、一人が」名乗り出たと報じる。

朝日は金学順が「身売りされた」といふ事実を書かずに「挺身隊といふ名目で戦場に連行された女性」と虚実を書く。
書いた記者 植村 隆記者は金さんも加はつてゐる原告組織である「太平洋戦争犠牲者遺族会」のリイダア的存在である梁順任常任理事の義理の息子(つまり、娘の夫)である。訴えを起こしてゐる原告の親戚が、記事を書いてゐる。

平成4年1月11日 朝日新聞朝刊 一面トツプ 「慰安所への軍関与示す資料」「政府見解揺らぐの記事掲載。しかし朝日が報じた資料は「日本国内で慰安婦を斡旋する業者が人さらい紛いのことをやつて募集をやつてゐるやうだが、それは「軍の威信」に関わるから業者の選定を厳しくせよ」といふいはば「業者を取り締まる内容」

その資料内容を正しく報じることなく、「従軍慰安婦」について「挺身隊の名で強制連行した」と虚偽の解説を載せる。

平成4年 上記新聞記事の内容をよく吟味せずに訪韓した宮沢総理は「謝罪」「反省」を8回繰り返す

平成5年8月 河野談話発表 (強制連行の客観的証拠がないのにも関わらずそれ反する内容を発表。密室外交で韓国の「強制連行を認めてくれ」といふ要望により「強制」を拡大解釈する。

当然ながら「政府が認めた」と大騒ぎに。

しかも、慰安婦証言に関して「裏づけ捜査」も日本側は行なつてゐない。金学順は身売りの話を「義父に連れられて北京に働き口を探しにいき、北京の食堂で食事をしていたら日本の軍人が現れて強制連行された」と発言内容を変更。(P155)

韓国側でも聞き取り調査を行なつたが、日本側よりもまッ当に「裏づけ調査」をし40数人のうち、19人の証言を採用。理由として「証言者が意図的に事実を歪曲していると感じられるケースだ」(P158)

しかし採用された19人のうち4人が「強制連行」を主張するがそのうちの一人伊(人偏なし)頭理氏はプサン、かん徳景氏は日本の富山の慰安所に連れて行かれたことになつてゐるが、そんなところに軍の慰安所はなかつた。 (P159) もふ一人は証言を変えた金学順、別の一人は文玉珠も東京地裁への訴状では「キーセンで身売り」と書いてゐるのを強制連行の話が出てから「強制連行された」と変えてゐる。

とどのつまり、「強制連行された」本人たちの証言がないのである。

調べれば簡単なことなのに、宮沢内閣は放置し謝罪し、河野談話を出したことで今への「負債」を築いた。

これは、国民と国家に対する名誉毀損である。こんなのが税金で給金を得て日本国を代表してゐたのは民主党並に犯罪だ。

しかも、「証拠を捏造」してありもしないことをあつたかのやうに報道する朝日新聞。ただちに購読は止めるべきであるし、新聞社としても解体されるべきだ。

 

 

 


慰安婦強制連行はなかった 河野談話の放置は許されない

2011年09月29日 13時10分39秒 | 政治関連・評論・歴史・外交

大師堂 経慰氏の著書。

大師堂氏は大正6年、朝鮮に生まれ昭和16年、京都帝国大学経済学部卒業。同17年朝鮮総督府に入る。同18年、江原道地方課長。同20年、朝鮮総督府事務官。(農商局)同21年、引揚後商工省(通商産業省、現経産省)経済企画庁に勤務。同34年、広島通商産業局商工部長で退官。同年、日本合成ゴム(株)に入社し、取締役、常務、専務等を歴任。同59年退社される。 
論文として「朝鮮人慰安婦『強制連行』の虚構はこうしてつくられた」がある。

平成11年2月発刊の本書。図書館では「書庫」に入つてゐました。 今なぜ本書か。

南朝鮮で日本大使館前に「従軍慰安婦」の碑かなにかを建てるらしい。そして民主党の外務大臣、玄葉氏が「解決ずみ」と「珍しく」拒否したものの、嘘つき民族半島南はまた慰安婦問題を持ち出してきた。

それはなぜか?

平成5年8月、宮沢内閣で官房長官を務めてゐた河野洋平氏が「いわゆる従軍慰安婦に関する調査結果」を発表したときの談話に由来すると言へやう。

この談話の立案、作成の責任者の一人、元官房副長官・石原信雄氏は「強制連行の資料はなかつたが、韓国の慰安婦16名の証言が決め手になつた」と語り、「当時、彼女たちの名誉が回復されるということで、強制制を認めたんです。国家賠償の前提のとしての話だったら、通常の裁判同様厳密な事実関係の調査に基づいた証拠を求めます。あれは両国関係の配慮してそうしたわけです」と語つてゐる。(P3-4)

物凄く、短絡的で「政治の影響」を考慮しない軽率な対応である。この「配慮の談話」が平成10年4月山口地裁下関支部が下した、「国家賠償要求訴訟」に関する判決に影響し、海外の新聞でも「50年も問題を放置した」として日本が悪になり、教科書には「証拠がないはずの慰安婦強制連行」が載つてゐるわけだ。

ではなぜ、この「慰安婦強制連行」の問題が出てきたのか。

これは日本側で一部マスゴミ(朝日新聞)が根拠もないことを無責任に報じ、韓国マスゴミがこれに応じる形で拡大し、その間、日本政府がこれまた無責任で拙劣な対応をしたため(P17)である。

その代表的なものが著作では吉田清治氏「私の戦争犯罪-朝鮮人の強制連行」であり、新聞では朝日新聞の平成4年1月11日付の記事である。朝日は「慰安所、軍関与を示す資料発見、政府見解ゆらぐ」という大きな見出しをつけて報じ、続けて「主として朝鮮人女性を挺身隊の名で強制連行した。その人数は8万とも20万ともいわれる」と報じたのである。(P17)

吉田清治氏「私の戦争犯罪-朝鮮人の強制連行」は「第一話 侵略戦争と朝鮮人狩り」「第二話 光州の男子強制連行」、「第三話 済州島の慰安婦狩り」という、付属資料を含めて180頁あまりの本である。

この本は韓国で翻訳出版され(中略)済州島新聞の許永善記者、郷土史家の金奉玉氏はこの本について追跡調査をした。また、平成4年秦郁彦教授が済州島に赴き、現地の関係者から生きた証言を得てまとめられた詳細な調査報告を得、この本の内容が虚偽であることが明らかになつた。(後に本人も週刊誌の取材に対し創作したことを認めてゐる)

例えば、吉田氏が城山浦の貝ボタン甲状で15,6人の女性を徴用したという記述に関連して城山里に居住する当時85歳の女性チョン・オクタンさんは「250あまりの家しかないこの村で15人も徴用したとすれば大事件であるが、当時そのようなことはなかった」と証言した。(済州新聞 許永善署名記事)

郷土史家 金奉玉氏は「吉田著の日本語版が出た1983年から何年かの間追跡調査の結果事実でないことを発見した。この本は日本人の悪徳ぶりを示す軽薄な商魂の産物と思われる」と憤慨してゐる。

さらに秦教授は城山浦の老人倶楽部で貝ボタン工場の元組合員など5人の老人と話し合って、吉田証言が虚構らしいことを確認し済民新聞の文化部長に移っている許永善女史に「何が目的でこんな作り話を書くのでしょうか」と言われて答に窮したとのことである。(P22,秦郁彦著「昭和史の謎を追う 下」引用)(P21-23)

大師堂氏も疑問を呈してをられるが、朝日新聞の「主として朝鮮人女性を挺身隊の名で強制連行した。その人数は8万とも20万ともいわれる」は何を根拠に書いたのであらうか? また挺身隊と慰安婦は全く別物であることが確認されてをり、「挺身隊の名を使つて慰安婦として強制連行した」といふのは間違ひである。朝日新聞はどんな資料を根拠としてこの記事を書いたのか明確にすべきだ。

ちなみに、朝日新聞は戦時中に「朝鮮人の日本への密航」「自由意志で居住」等を報じてをり当時の状況についてはよくご存じのはずなので、「強制連行」がいつ行なはれたのか当時の自分たちの記事を用いてでも明らかにすべきだ。

この問題については、日韓両政府が「調査」を行なつてゐるといふことで、そのまとめがP39-54に記述されてゐる。日本政府は「強制徴用」の裏づけになる資料を発見することが出来なかつたが、調査の方法としては外務省や防衛省の図書館など古い資料の調査に専念するだけで、秦教授や許記者のやうに現地に渡つて当時を知つてゐるひとたちに実情を聞く作業をした形跡がない。  (P40)

韓国政府の調査は日本国内でも問題を指摘されている一部日本人の著書から引用sて「・・・と思われる」という形でまとめられてをり、自国の人たちに当時の事情を聞き証言を素に調査報告をまとめる手法ではない。引用されてゐる著書は千田夏光「従軍慰安婦」および元慰安婦本人の証言であるが、証言の真偽についての調査、確認を当時生きた元郡庁等の職員や元警察官などの証言を得ていない。その他にも前述の吉田清治著からの引用がなされている(P45)

本書では、河野談話発表に関して政府の調査報告書を読み合わせた産経新聞のコラム「産経抄」を紹介してゐる。(P66-68) 
政府調査報告書『 』によれば
「1944年米軍戦争情報局資料の記述として『1942年5月、日本人の業者が朝鮮半島に赴き、東南アジアにおける「軍慰安業務」のためとして女性を募集した。高収入、家族の借金返済の好機、軽労働の宣伝に応じ多くの女性が応募した。ビルマにいる間、彼女等は将兵とスポーツをして興じたりピクニックや娯楽、夕食会に参加した。彼女等は蓄音機を持っており、町に買い物を出ることを許されていた。日本兵士には結婚を申し込むケースが多く、現実に結婚に至ったケースもあった。』以上はビルマのミートキーナで20人の朝鮮人慰安婦と2人の慰安所経営者を米軍が尋問した結果とされる。強制連行や強制的な状況の下で痛ましいもの」は資料に見当たらないにも関わらず、それを「歴史の事実」と断定する根拠はなにか」 の指摘どおりである。

アメリカ議会は、慰安婦問題に関して日本の首相に謝罪しろといふ議論を行なつたが
アメリカ軍は進駐後、時をおかずに慰安施設を設けることを日本当局に要請し、8月27日には早くも東京・大森にその台一号が設置された(P73)らしい。 

その他、ソ連軍の満洲侵攻時の婦女暴行、日本に進駐したアメリカ軍、ベトナム戦に参加した韓国軍はだうであつたかと指摘さてゐるが、大師堂氏が指摘するやうに「戦争と性」の問題があり、そこに「相手の意思をを無視した強制性があつたか」が問題なのだと思ふ。

「強制性」の証拠がないのに「あつたかのやうな」談話を発表し、その嘘が大きな悪影響を及ぼしてゐるのである。しかもこの問題は当の韓国人が疑問を持ち、現地で調査を行なひ「なぜこんな嘘を吐くのか」とまで思ふことなのである。

大変、をかしい。

大師堂氏が主張されてゐる以下を支持する、といふか絶対にやつてもらひたい。 
1.「河野談話の取消」
2.教科書(中学、高校)における関係記述の是正
3.「女性のためにアジア平和国民基金」が平成7年8月15日の国内各紙に掲載した広告文の中にある、「10代の少女までも含む多くの女性を強制的に慰安婦として群に従わせた」の部分は誤りであったことの公式発表
4.韓国の教科書に記されているという、「女性までも挺身隊という名で引いていあkれ、日本軍の慰安婦として犠牲にもなった」の記述の訂正を公式に申しいれること。
5.先に「保留中(Take note)という扱いになつたと報じられたクマラスワミ報告やマクドガル報告の内容が誤りであることを正式に国連に申し入れること

河野氏だけでなく、政治家官僚は、自分たちの言動がいかに大きな影響をもたらすか自覚してもらひたい。


グレン・グールドのピアノ

2011年09月26日 13時20分08秒 | 人物伝、評伝 (自伝含)

ケイティ ハフナー氏の著書。 
ハフナー氏は「ニューズウィーク」「ビジネス・ウィーク」を経て1998年より「ニューヨークタイムズ」科学欄担当記者。著書に「ハッカーは笑う」「インターネットの起源」等がある。

科学記者とも思へるハフナー氏が、なぜ「音楽」に関する本を記述することになつたのか。P295以降の「謝辞」に書いてある。
「2002年の秋、私はヴァーモンドで開催された「ソナタ」に出席し、そこで10日の間あらゆるサイズのピアノやピアノを純粋に愛する人々に取り巻かれて過ごした。このピアノキヤンプに行って初めて気持ちの踏ん切りがつき、一台のピアノをめぐる物語でも面白い本にできるかもしれないと思えるようになつた。(中略)キヤンプ仲間のキース・ビンターはある夜の夕食の席で『グレン・グールドをめぐる32章』のひとつのシーンを思い起こしてくれて、私の頭にグレン・グールドの種子を蒔いてくれた」

かくして、グレン・グールドのピアノに対する思ひ入れを表した本が出来上がつた。(原題は「A Romance on Three legs 三本足に恋して」

グレン・グールドッて誰? ・・・ ピアニストでバツバの「ゴオルドベルク変奏曲」をピアノで弾き(通常、バツバはチエンバロが主流)、一躍有名になつた。 

本書には、グレン・グールドの生い立ちから専属となるピアノ調律師、グールドが恋するピアノを造つたスタインウエイ社といふ3社の物語が書かれてゐる。

ロマンスの主人公は「スタインウエイCD318」といふ、一台のコンサートグランドピアノである。グレン・グールドが遍歴の末に巡り会つた聖杯にも等しいこの楽器、彼との蜜月時代を経てやがて悲劇を迎え、そして別離にいたる。(P316-317,訳者あとがき)

出会ひから別離までの詳細も、本書に記述がある。「偏狭執」なまでにこのCD318にこだわつたグールド。しかし、このピアノへの拘りはピアニストなら通常のことのやうだ。他のピアニストの「自らがコンサートの時に弾くピアノへのこだわり」についても記載があるのでわかりやすい。

一見、ピアノ・・・・・・ ただのピアノ 
しかし、絶対音感といふ「音に敏感な耳を持つ」ピアニストにしてみれば、「寸分の狂いもなく自分の望む音を出すピアノ」に出会ふことは大変重要なことであり、そのピアノに終生こだわることは普通のことなのだなと考えた。

同時に、「品質よりも利益」を考えていかざるをえなくなつたピアノ会社が作るピアノの変化、といふ「資本主義」ならではの現実も考えさせられる。職人としての理想を追求すると、金がかかる・・・ その金を払ふ人がゐれば続けられるがゐなければ、どこかで妥協することになる。

そんな悲しい現実も描かれてゐる。


風の男 白洲次郎

2011年09月21日 12時52分12秒 | 人物伝、評伝 (自伝含)

青柳 恵介氏の著書。

青柳氏は昭和25年、東京生まれ。成城学園教育研究所職員。国文学研究家として、また学生の時分から骨董に親しんできた古美術エッセイストとして活躍。

白洲次郎夫人、正子氏の「まえがき」にあるが青柳氏は正子夫人の推薦により、本書を執筆することとなつた。理由は「なるべく若い方で筆も立ち、少しでも白洲をご存知の方」だつたためである。

白洲次郎氏の生い立ちから書いてあるのだが、一言で氏を表してゐるのは

GHQが「従順ならざる唯一の日本人」と本国に連絡した男、そしてホイットニーが「白洲さんの英語は大変立派な英語ですね」と言った際「あなたももう少し勉強すれば立派な英語になりますよ」と答えた男 (P120)

と言ふ部分であらう。

白洲家は元禄時代から歴代儒者役として三田(さんだ)藩主九鬼氏に仕えた家柄(P23)であり、次郎氏も英国留学、さらにはその留学先で父に贈られたブガッティーを乗り回し・・・と世界が違ふ話に、読むのをやめやうかと思ふくらい、家柄が違ふ。

しかも、家業が倒産の憂き目に遭い留学を中止して呼び戻されるが、「すぐ職を探すほど」困窮するわけでもなく、「無職」のうちに夫人となつた正子氏を紹介され結婚を決めてゐるのである・・・

世界が違ふとはこのこと。 こんな人たちが日本にもゐたんだな・・と思ひつつ読んだ。なんといふか、イギリスとかドイツとかヨオロツパに古城があり、その持ち主のお貴族様が出てくるがそんな人たちの日本版といふ感ぢ・・・・

しかし、白洲次郎といふ人のすごいところは、太平洋戦争を「負ける」と公言し都内にある屋敷を処分し、鶴川(現神奈川県?)に土地と家を買ひ百姓をはじめ戦争に備えたことである。そして焼け出された知人一家を引き取り住まはせたり、食べ物に困つた知人宅に自宅の畑で取れた野菜や米を黙つて玄関に置いてくるといふことをしてゐたらしい。

お坊ちやん、のイメエジが湧くが実はなんといふか、「気骨の人」なのか・・・?とこのくだりで思ふ。 その後ゴルフ倶楽部を開くのであるが「メンバアは平等」といふ精神に徹底しコネでプレイしやうとする人は許さず、キヤディたちや使用人に優しい・・・・・・・・といふ、絵に描いたやうな人なのである。

吉田茂との仲も記述されてゐる。周囲は白洲氏に出馬することを願つたさうであるが、当人は代議士になることを望まなかつたらしい。 

もし、この人が代議士になつてゐたら何か変はつてゐたのかな、と思ふ。

かういふ気骨のある人、は今ゐるのか?


特攻隊と憲法九条

2011年09月20日 22時13分08秒 | 政治関連・評論・歴史・外交

田 英夫氏の「戦争体験」と憲法九条その関連に関する私見を述べたと思はれる本。

田氏は1923年東京に生まれ、43年学徒出陣し震洋特攻隊となり終戦を迎える。47年東京大学経済学部卒業後、共同通信社に入社。社会部、政治部記者、第一次南極観測隊報道担当隊員。共同通信社社会部長、文化部長を歴任。62年TBS「ニューススコープ」のニュースキャスターとなる。68年ベトナム戦争報道で政治の圧力でキャスターを解任され、70年同社を退職。71年参議院全国区(日本社会党)でトップ当選。以後、34年にわたり参議院議員として活動。2009年逝去。

扉に
「戦場に向かった学徒の数は約10万~13万人。若者たちを二度と戦場に立たせ、血を流すことを許してはならない」
とあるのだが

ざッと読んで、「東京裁判史観」に捉はれた人、といふか「戦争体験」が「敗戦体験」となり、「全て日本の軍国主義、天皇の下の軍国主義が悪かつた」といふアメリカの日本統治のためのプロパガンダに染まり、日の丸君が代を否定する精神に走つたある意味「犠牲者」の体験がよくわかつた。

先日、パール判事の東京裁判日本無罪論 http://blog.goo.ne.jp/liebe-kdino-schumi/e/df1f83a9782fada25bd5256d6f645f59 の本を読んでゐたことにより、「嗚呼、アメリカのプロパガンダは成功したんだな」と思ひつつ、「戦争といふより敗戦を体験すると、こうまでも極端にすべて今までのことを否定したくなるものか、その逃げ道に軍国主義批判と憲法九条擁護思想といふのは物凄く適してゐるのだな、としみぢみと考えた。

大変驚いたのは「安倍内閣は基本的人権の尊重と教育権を定めた現在の憲法の、コインの裏表の関係にあったともいうべき教育基本法を改正し、その関連法案ととともに、愛国心を抱く子供づくり、学校体性づくりを、まず改憲の手はじめにしようとしています」(P6)の部分です。

生まれた国に対して「愛国心」を持つのは世界中どこでも当然のことです。自分の国の国旗に敬意を払ひ、国歌斉唱すること、歴史と文化を学ぶことその他国を学び誇りに思ふ心を育てるのは当然です。

それを、「戦争への反省を無視し、『世間なみ』を強調して決められた国旗『日の丸』」として一節書かれてゐますが (P139-140)

一体この人、何人? 
と思ふのと同時に・・・ 「敗戦」を体験し強烈にみぢめな気持ちになると、それまでの「全否定」をして無意識のうちに自分を正当化することで心にある種の「安らぎ」を覚えるのであらう。これはある意味、この人にとつて不幸なことであつた。
ちなみに、「日章旗」の意味はこの画が教えてくれてるのではないですか? 
「神道の常識がわかる小事典」より http://blog.goo.ne.jp/liebe-kdino-schumi/c/17cd847aee4b1c9991534785aeb9020a

しかし、パール判事が「卑屈になるな」として判決文を書き、判決文が公表されて何十年も経つてゐるのに、その判決文すら読んでないのか? といふより、読みたくなかつたのか? 
ただ、逃げて逃げて自虐の道に精神の救いを求めてきたやうに感ぢられた。

そして、「小泉総理の危険な方向性 - それは表に出た部分でいえば靖国神社の公式参拝であり、集団的自衛権の行使といった、いわば安全保障問題にかかわる部分、これがしだいに日本を、過去と同じように「戦争をする国」「戦争のできる国」という体制に持っていこうとしている」(P7)の論理に結びつく。

そして、お決まりの靖国神社に「A級戦犯14人が合祀されたことの矛盾」(P202)と、またもや東京裁判史観に捉はれた論理が顔を出します。 A級戦犯、の意味をまだわかつてないのでせうか? A級、といふのはカテゴリイであり、国際法に規定のない「罪」を作り上げ兎に角「有罪」にすべく連合軍の「策」だつたわけです。これがパール判事の東京裁判日本無罪判決文の中で明確に記述されてゐる。そして、連合軍の国々からも支持されてゐる判決文なのです。

日本の一部の人が未だに、正確なところを理解せず「A級戦犯だ!」とわめいてゐるわけです。 

さすが社会党(当時)です。まあ、名称が社民党になつた今も中身は変わりませんが・・・・

社民党の主張は田氏の主張とほぼ同じぢですが・・・・ 一つ訊きたい。

日本が戦争をする気がなくても、攻撃しかけられたらだうするのですか? いつもいつも気になつてゐますが、この人たちの考えは「極端に一つ」しかなく、バランスが取れてない。「攻撃」と「防衛」をきちんと区別してゐない。なので、防衛に関するきちんとした策がなく、ひたすら「軍国主義に戻らない、そのためには憲法九条を擁護する」とバカのやうに繰り返す。

しかし、現在の尖閣諸島、北方領土、北朝鮮による拉致事件・・・ これらはすでに「攻撃」を受けてゐますよね? その対策が全く出来てない。てか、やる気も見られない、何故なら容疑者関係者に献金したり容疑者の減刑だか釈放だかの嘆願書に署名などしてゐるからです。

結論 : 「戦争体験がある、あの思ひを二度と若者に味はわせたくない」の考えは結構だが、世界の現状を見てゐない凝り固まつた思考はみんなの迷惑。 「防衛」と「攻撃」の区別がついてないヤツは政治に関わるな。それこそ国民が死ぬ、犠牲になる。