読書おぶろぐ

読んだ本の感想を書いてます

政治ジャーナリズムの罪と罰

2009年12月29日 19時15分38秒 | 政治関連・評論・歴史・外交

今 田勢 康弘氏の「政治ジヤアナリズムの罪と罰」を読んでゐる。
この本は平成16年~平成18年にある雑誌に連載されてゐた田勢氏のコラムを
単行本化したものである。

このコラムでは、政治ジヤアナリズムといふかジヤアナリストといふ職業の人たちのマイナス点を記載してゐる。
マイナス点は日本のジヤアナリズム・ジヤアナリストで、諸外国のそれと比較対象がなされてゐる。

上杉 隆氏も「ジャーナリズムの崩壊」といふ著書で同様の指摘をされてゐた。ただ、田勢氏は日本経済新聞の記者であり、上杉氏はフリージヤアナリストなのでその立場によつて経験も視点も変はる。その比較ができるのが面白ひ。

が!!
呆れたのは、田勢氏の著書から20年も経つてゐるのに状態が全く改善されてゐないことである。

かふなると、読者の側としては 「新聞を選ぶ」 「ニユウスを選ぶ」といふことになる。
かくして宅は(かくしてといふか、田勢氏が記載してゐたことを個人的に感じて)、新聞を取つてゐない。
テレビのおにゅーすも一つの局だけ観るといふことはしない。
いろいろチヤンネルは変えて報道してゐる内容を比較する。

これが結構、「マスゴミはバカか」と思ふことをいろいろやつてゐるのを発見するのである。(マスゴミ自身らは気付いてゐないのだらうが)


こんな馬鹿なことを90年初頭から続けてゐるのか・・・ 皆、いい加減に新聞止めたら~
もつと厳しい目をマスゴミに向けたら~ と思ふのであつた。

三島由紀夫の二.二六事件

2009年12月29日 15時25分03秒 | 政治関連・評論・歴史・外交

松本健一氏の著作。
松本氏は作家・評論家であられ、麗澤大学国際経済学部教授。御著書「日本の近代Ⅰ」で吉田茂賞、「評伝 北 一輝」で司馬遼太郎賞を受賞されてをります。

二.二六事件と言へば
歴史の時間に、「10何人の青年将校が決起し時の首相他内閣の閣僚宅を襲撃した
事件で、彼らの指導者が北一輝」と教はつた程度でした。

正直言つて歴史の授業にはかなりの不満がありました。
そして卒業してから中学時代の歴史の教師と呑みましたら
「嘘を教えてゐる」とだふだふと言つてをりました。  

そんな中で、大好きな「三島由紀夫」の名が記述された本書を読んでみました。

あたくしの勝手な感想ですが

北 一輝はかなり思ひあがつた人の印象を受ける (対天皇に対して)
かと言つて汚沢のやうなはなはだしく失礼無礼非礼とは少し違ふ。


天皇論ではないが、「天皇の存在意義」に関して日本国憲法では(これは元は亜米利加が作成したものであるが)、「日本国の象徴」として政治行為に関はらないこととなつてゐる。

二.二六事件の時代には第二次大戦前であるから、現行の憲法は施行されてゐないが昭和天皇ご自身が、「現人神」論に反対してゐることが明らかなのである。(P162 )

ううむ。
これはずつと聞いてゐたことと全く違ふ。
またこれで軍部等開戦を考えてゐた連中が「天皇を利用」したことも明らかになつた。

P160から紹介されてゐる、ハアバアド・ビツクス 「昭和天皇」(2002年刊)は、本書によるとかなりいい加減な昭和天皇論が展開されてゐるやうで、南京事件の引き金を起こした本と同等かと思つた。

この本を読んでわかつたのは、昭和天皇は開戦には反対であつた といふことだ。
現行憲法で天皇は政治に関して意見を述べないこととなつてゐる。昭和天皇がご意見を述べられたことがあつたと本書に記載されてゐるが(P164-)、時の首相東条英機氏他は何を考えてゐたのかと思ふ。

昭和天皇はお辛かつたんだな、と思つた。 そして沈黙を貫き通して凄いなあとも思つた。

ここで三島由紀夫に戻るが
二.二六事件、北一輝、そして三島由紀夫をもつと勉強しないとなんとも言へないであらう。
この本はそのきつかけをくれたと思ふ。

スワンソング

2009年12月25日 09時58分45秒 | 小説
大崎 善生氏の作品。

「本」に関してこんなことを書くのは初めてだが、この作品はあまりに腹が立つて途中(P191)で読むのを止めました。

理由:
田舎出身同士の男女が、「東京生まれの東京育ち」の女性からいぢめられて鬱になる話であるが、「こんな男女関係のもつれつて、どこ出身だらうが関係ねえだろ!東京理由にしてゐるんぢやないよ!」と思つたため。

「里帰り」する方々がよく仰ることがある

「東京は怖いところだから」
「東京は物価が高い」
「東京の人は冷たい」
だつたら、お帰りになつてふるさとでお仕事してご生活なされば良いんぢやあござゐませんの?

この小説は、上記にある「地方の人が東京に対する文句」が前提にあり、「東京の人は酷い」と言ひたいことを「恋人を取られた東京の女」が相手の女性に「陰湿な嫌がらせをし、相手の女性を鬱にした」と描かれをり大変不愉快で失礼だと思ひます。
なので、途中で止めました。

てか
会社でセクハラ・パワハラ・モラルハラスメントがありましたが、ハラスメントを行なつた人たちの出身地は以下です。

長野 (セクハラ・パワハラ・モラルハラスメント全部)
大阪 (モラル)
石川 (モラル)
流れ者で東京に住みついた奴 (モラル)
北海道 (モラル)
茨城 (モラル)
福島 (セクハラ・パワハラ・モラルハラスメント全部)

かふやつて、県名が書かれてゐるなかに自分の出身地があると嫌な気分になるでせう?
「私は(俺は)やつてない!そんなの個人の性格の問題だろ」と思ひませんか?

あたくしがこの小説を読んで不愉快になつたのは、さういふ理由です。

八番筋カウンシル

2009年12月24日 16時17分10秒 | 小説

津村 記久子さんの作品。

「八番筋」と名づけられた商店街の人間模様を描く。

「八番筋」は昔ながらの商店街なのだが、ある時商店街に住む一商人が広大な土地を業者に販売し、そこに巨大なシヨツピング・モオルが建つといふことから商店街の住人たちの「寄り合い」が始まる・・・・ といふ物語。

その「寄り合い」をベエスに商店街の人間関係や、商店街で育つた登場人物らが思ふことを描く作品です。

しかし

人間どこでも同ぢやないですか・・・ ?と思ふ

この商店街は「東京」へ出てくる人たちがゐる土地をベエスにしてゐるのだが。

ま、人間、どこでも同じ

てか
結局個人の問題だと思ひます。
他人の問題に突つ込みたいか他人は知らんよか

だけど、主人公(?) タケヤスの人生
ありがちかも

「家族」と法的に決められてゐる人間関係に、関わりたくない人

そんな人の心情を上手く描いてゐる作品です。

世襲議員のからくり

2009年12月18日 11時36分21秒 | 政治関連・評論・歴史・外交

上杉 隆氏の著書。

皆さんが既にお気づきのやうに、現在の日本の国会議員は「世襲」議員が多い。
全体の半数近くは世襲議員といふデータになつてゐるらしい。

この世襲議員に関する現在の「政治システム」をまとめたのが本書である。

まづ驚いたのは、上杉氏がこの問題を「週刊文春」にて指摘したところ、何人もの
政治家や秘書から「あの問題を書くのなら取材にはもふ協力できない」「永田町全部を敵に回すよ」等の「世襲議員問題から手を引け」といふことを言はれたことである。(P67)

なぜ、議員たちは世襲問題に触れられたくなかつたのだらうか?
それは政治家の世襲が行なはれる時、子供達は非課税でその政治資金を相続できる
からなのである。(P65)

これは、大変なことですよね? 普通、国民が財産相続をする際には「相続税」なるものを納めないといけません。しかし、政治資金は非課税なのです。政治資金だつて、純粋に見れば「財産相続」にあたるのではないでせうか?
国民の中には相続税が大きすぎて、相続した不動産などを売り払つてまで納税をする人たちがゐるといふのに、「政治資金」であると非課税で相続できるのです。

世襲議員は、親の金だけでなく「後援会」といふ人の力も相続できます。
無所属の新人が「日本を変えたい」として立候補するのとエラい違いです。最初からすべてが整つてゐるといふわけです。

ここで自分は、先日の選挙の際にある世襲議員が「伝統芸能の世襲はただ名前を継げばそれで終はりですが」と言つたことに関して指摘をしたい。
この議員は、悪気があつて言つたのではないであらう。自分は世襲であるが、国のために尽力を尽くしてきた代々の先祖と同じことをしたいといふ意味で「名前を継げばそれで終はりとは違ふ」と言ひたかつたのかもしれない。

しかし、これは伝統芸能の世襲者に大変失礼。それに、日本文化の伝統と継承に関しての意識が欠けてゐるのではと思はづにはいられなかつた。

伝統芸能の継承者こそ、「名前を継げばそれで終はり」ではない。次にきちんと先代からの芸を伝へる義務があるし、なにしろ「名前のお家芸」をきちんと人様に披露する義務を全うするために子供の時から散散時間を費やしてゐるはづ。

その点から考えると、「人も金も土地も」用意されてゐる世襲議員のはうは、伝統芸能者に比べていかなる「自分の努力」をしてゐるのであらうか?

上杉氏も指摘してゐる、自分もずつと疑問に思つてゐたことがある。(P124)
世襲議員は、「国会議員」として出てくる。そして国会で国の方向を決めるのであるが、なぜか国会議員の選挙は「地元」票で「県」の代表のやうな形で出てくる。そして、その県に新幹線を通したり空港を作つたりするために働く(やうにみえる)。

本来、そのやうな仕事は都道府県議や市町村議の仕事ではないのだらうか?
国会議員にはもつと全体を見たすべきことがあるはづ。
今の「世襲議員」は「国会議員」なのに、「地元」といふ「木」ばかり見て「国」といふ「森」を見ない行動ばかりしてゐるやうに見える。
だから結局、「選挙のため」にしか働かづ脱税する議員が二人も出てくる内閣の先頭の党などが出てくるのであらう。

結論として言ひたいのは、やはり上杉氏と同意見で(P165)選ぶ国民がきちんとしかるべき人を選ぶべきだといふことだ。
世襲議員でも世襲議員でなくてもよいが、きちんと「国会議員」のすべきことをする人を有権者が選んでいく、それが必要であらう。