武者小路 実篤氏の作品。
武者小路氏は明治18年(1885年)東京府麹町区元園町(現、千代田区一番町)に生まれる。父の武者小路 実世(さねよ)は子爵、母も公家の出身。明治43年の「白樺」創刊の中心となり大正の初めにかけて「お目出たき人」「世間知らず」「わしも知らない」などを書いてそれまでの倫理と小説美学に反逆する作品として注目されてから、昭和51年90歳で没するまで戯曲「その妹」、長篇「幸福者(こうふくもの)」、中篇「友情」など数々の傑出した作品を残した。
武者小路氏の作品は、この後に書かれた 「愛と死」を読んだことがある。 解説によると、「お目出たき人」「友情」「愛と死」は徐々に変化してゆく恋愛小説といふことだ。
「お目でたき人」はひたすら片思ひに終はる主人公、「友情」も片思ひなのだが「お目でたき人」よりは成長してをり、「愛と死」では両想ひになるのだが恋人の死に直面するといふ主人公を描いてゐる。
さて、この「友情」であるが。
現代人が読むには、関心を引くのはまず、社会通念であらう。 明治大正の時代の恋愛、人付き合い、結婚といふものが現代とだう違ふのかは注目するところである。
その次に感じるのは、この時代は「文明開花」として西洋の文化他が日本に流れ込み、日本人は日本は西洋より劣等であると思ひ、西洋に追ひつけ追ひこせの精神状態にあるのである。
ゆへに、作品の中でパリやイタリアの芸術家たちにあこがれる場面が出てくるし、西洋に行き西洋を見たいといふ願望が高まつてゐる当時の人々の思考を主人公たちが語つてくれる。
200年も経つと、西洋が日本文化を持ち上げ日本にやつてくるのであるが・・・・ 現代を思ふと主人公たちに「日本は実は一番素晴らしいのだよ」と言ひたくなつてくる。
そして、主人公たちが「偉くならう」と目標を掲げて生きていくことを誓ふ場面が出てくる。西洋に劣等感を抱きながらも、勉強して偉くなつてゆかふといふ前向きの精神が垣間見られるのである。
この精神で明治大正の日本人たちは頑張り、大戦に打ち勝ち日本を西洋の植民地になることから護つてきてくれたのではないかと思ふ。それは、敗戦後の日本人に長らく欠けてきたものであり、これからの日本人が是非とも取り戻さなければならないものである。
この小説は現在の人間が読むと、作者が思ひもしなかつた「効果」をもたらしてゐるのである。
さて、小説の内容に入る。
主人公脚本家の野島は、友人仲田の妹、杉子に恋をする。杉子を思ひ、杉子と結婚することを夢見るが直接杉子にアプロオチはしない。(ここに一つの時代の差が出る)
野島には新鋭作家の大宮といふ親友がゐた。野島は大宮の従妹が杉子と親しいとしり、杉子への思ひを大宮に打ち明け杉子のことを知らうとする。
しかし、杉子が思ひを寄せたのは大宮であつた・・・
中篇の作品なので、その気になれば1-2日で読めてしまふので、この先は書かない。 武者小路 実篤は、夏目漱石の「こころ」を思ひうかべて書いたのかもしれないな、とふと思つたのは、「こころ」と「友情」の奥底にあるものは、「人間の究極のエゴ」であるからだ。
そして、その「エゴ」は誰にも否定も批判も出来るものではない。
一つ、この作品の中で痛快に思ふ杉子の台詞がある。
「私はただあなたのわきにいて、お仕事を助け、あなたの子供を生むために(こんな言葉を書くことをお許しください)ばかりこの世に生きている女です。そしてそのことを私はどんな女権拡張者の前にも恥じません。「あなた達は女になれなかった。だから男のように生きていらっしゃい。私は女になれました。ですから私は女になりました」そう申して笑いたく思います。二人で生きられるものは仕合せ者です。ね、そうではありませんか。」 (P137)
田嶋陽子さんに贈りたい。 子供を生んでもわけわかんないことをしてゐる「福島 みずほ」なのる趙 春花にも「家族」の形はかういふことですよ、と言つてあげたくなる台詞である。