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竹林はるか遠く (So far from the bamboo grouve)

2013年08月04日 11時45分57秒 | 宗教

ヨウコ・カワシマ・ワトキンズの著書。

朝鮮半島から日本へ帰国し、日本帰国してからの終戦直前から終戦後の体験記。

http://release.vfactory.jp/release/53645.html

・内容紹介

本書は、アメリカの子供たちに日本文化を伝える活動をしていた日系人ヨーコ・カワシマ・ワトキンズ女史が、自身の戦争体験を子供向けにまとめた自伝的小説の日本語版である。原書は1986年にアメリカで刊行されている。日本ではこれまで「竹の森遠く」というタイトルで知られていたが、今回の出版では「竹林はるか遠く」となっている。

第二次大戦末期、ソ連軍から逃れるため、朝鮮半島を縦断した著者(当時11歳)の想像を絶する体験、そして引き揚げ後の日本で味わった苦難を、平易な英語で赤裸々に描いた原書は、たちまち高い評価を受け、アメリカの教育課程(日本では中学生レベル)の副読本として採用された。

著者が体験した朝鮮半島逃避行の内容はまさに壮絶の一言に尽きる。裕福な家庭で育った著者だが、日本の敗色が濃くなり、朝鮮人民軍(抗日遊撃隊)がソ連の支援で抗日活動を活発化させてから状況は暗転する。
それまで「生のニンジンは食べたくない」と好き嫌いを言っていた著者は、自宅を追われ、母、姉と逃亡生活を始めると、その日の食べ物どころか飲み水にも事欠き、生きるためにゴミ箱さえあさらなければならなくなる。暴漢を避けるため、頭を丸め、年頃の姉はさらに胸に晒しを巻いて、男に成りすました。執拗な抗日ゲリラの追跡にあい、襲われたこともあったが、間一髪で切り抜けられた。  (後略)

翻訳が出る前に、英語版を購入してゐたので読んだ。 

購入した本は「NEW!著者からのメッセージあり!」と書いてあつた。 読んでみると、だうやら米国で授業で使はれたことにより、「被害者」のはずの朝鮮人が加害者であつたのでそれに抗議をしたことによる、著者のメッセージとみた。

そして、著者に「日本政府の対応を疑問に思う」とまで書かせてゐた。 翻訳の話はもつと早くからあったらしいが、米在住の朝鮮人が著者を脅迫までして翻訳を止めさせたといふいきさつがあることを知つた。

英文はたしかにさう難しくないので、流れはつかめる。ただ時々わからない単語があるが前後から推測できるのであまり気にならない。

内容紹介に書かれてゐるが「人参は食べたくない」と言つてゐた著者はその逃避行のうちに食べ物に困るやうになり嫌ひだつた人参を兄が食べてくれる際に「ここに人参があればと思ふやうになるよ」と言はれたことを思ひだす。

その兄は、戦況をみて誰にも相談せずに志願兵の申し込みを出してゐた。

それを知つたときの母親のやうすは、「誰も自分の子供を戦争になどやりたくないのだ」といふことだ・・・・ 現在朝鮮左翼が「自民党になつたら徴兵制であなたの子供は戦地にやられる」とかデマを流してゐる一方、「軍国主義」とレツテルを貼り当時の日本国民全員が軍国主義の手先のやうなイメイジをばら撒いてゐるが

これを読んだらだう思ふのか訊いてみたい。

日本のかうした歴史を、自分達の欲望を満たすための道具に利用する朝鮮左翼と共産主義者は、ほんたうに卑怯な奴らだ。

著書、姉、母と3人の逃避行中朝鮮兵が来て襲はれる寸前、上空を飛行機が来て朝鮮兵は死に、著者、姉、母は生き残るが髪を剃り、朝鮮兵の服を着て兵隊のやうな格好をして逃避行を続けた。

敗戦国の国民となつた日本人は武器を持てずそこへ戦勝国や「自称戦勝国」と威張りだす「武器を持つ者」が来た時にどのやうな状況になるか知つてをくべき。

9条信者の言ふままなら子供達は殺されるか暴行されるか奴隷になるだけ。

子供を守る防衛を放棄させる奴らの言ひ分を信じるな。 (沖縄基地反対に掲げられた横断幕には朝鮮語もしくはシナ丸出し) A_zhu2pciaesv6e

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丸腰の日本人は殺されたり性犯罪と暴行の被害者。9条信者は武器を持ち日本を攻撃してくる敵を責めず日本を責める。

こいつらは敗戦国の状態にしたいのだ。

家族は兄を待つためソウルに留まつてゐたがヨウコの姉コウ「ソウルを離れやう。朝鮮人が女性を襲つてゐた。その女性は日本語で助けを求めてゐた。

彼らは女性をレイプしてゐた」の目撃談で朝鮮を離れることにする。

著者の姉コウが朝鮮人による日本人レイプを目撃後コウと著者は再度頭をそり(最初に朝鮮兵に襲はれさうになつた時に剃つてゐたが)年頃の姉は胸に包帯を巻き男装する。

今なお朝鮮に行きたい人は頭を丸め胸にさらしを巻いて行く場所と心すべき。 現在でも性犯罪は世界上位、日本での性犯罪は「日本名」で放送されてゐるが朝鮮人がダントツ。

ヨウコらは食物を求めて病院のゴミ箱を漁る。 現在飽食で給食アレルギイだなんだと言ふ日本。

この本を読んで「食べ物が常にある」事に感謝をし先祖と神を敬ふ時代に戻るべき。

著者らは帰国後母の故郷に行こうとするも母は子供達を学校に通わせるべく京都で下車し学校にやる。

駅で寝泊まりし食べ物をゴミ箱から漁る生活の中でも子供達の教育を第一に考え、子供たちの学校を探し入学手続きをした後著者の母は実家の青森まで行くが完全に破壊されてゐる様子を見て京都駅に着いてすぐ死んでしまふ。

日本人はこの本を子供から大人まで読み、いかに今が恵まれてゐるのか。そしてかういふ経験をした人たちが頑張つてきてくれたから今の生活を享受できてゐると胸に刻み日々を感謝の気持ちと共に努力して過ごすべきである。これまでの朝鮮共産左翼の工作教育は全部間違つてゐた。

この時代があつて今があるのだ。それを忘れてはゐけない。靖国神社には絶対に行くべき。というかこれを読んで「行かふ」といふ気持ちにならないのは信じられない。

靖国神社を否定し、行くべきではないと主張してゐる人は「竹林はるか遠く」の中の著者をいぢめた側の人々なのだらう、戦後直後でも随分ゆとりのある生活をなさつてゐたやうですし、爆撃も受けず平和でよかつたですね。

この本は著者12歳、姉は16歳の時のことを書いてゐる。 母が駅で亡くなつたとき京都に住むある婦人が2人に声をかけ自宅の納屋を使つてゐないので住んでいいと提供してくれる。

住居を見つけた2人は母の衣類から母が引き出してきたお金を見つける。しかし、このお金は病気になったとき等に使用し日々の生活には使はないやうにしやうと決める。

ここから、この16歳の姉がすごいのだが

和裁を生かして着物をリメイクしたり、小物を作る。著者が家を訪ねて売りに歩いた。 また、著者は缶や瓶を拾いそれを売つてくれる人に渡し小銭を稼ぐ。

そんな生活をしながら年末を迎えた著者は北野天満宮に行き、偶然そこで靴磨きをしてゐる姉をみつけてしまふ・・・・

姉は靴磨きをしてゐることは一言も言はなかつた・・・・ 

このお姉さんの行動は朝鮮半島にゐる時からすごいと驚嘆してゐたが、母が亡くなつた後の「親代わり」の決意と行動は本当にすごいと思つた。

その時代、かういふ人がたくさんゐたんだらう・・・・と思ふと、今がいかに恵まれて自由な時代なのかを噛みしめて大事に生きていく必要があると思つた。

図書館で翻訳本も用意できたといふことなので、こちらも読んでみる。 当時の著者と同年齢の子供を持つ人は、子供と一緒に詠むべきではないか?

翻訳本がきちんと翻訳されてゐるか?の懸念が多数あつたが、自分が今読んでゐる間では懸念はないと思ふ。訳者は著者と親交があり、この翻訳が出る前から原書を子供たちに読ませることをしてをり、わからない部分は著者に訊いてゐた。 

また、原書の前文にある著者の言葉は「日本語刊行によせて」に書かれてゐる。

最後に:

著者の兄は一人京城へ向かう途中朝鮮共産軍の襲撃を逃れるが或家の前で倒れてしまふ。凍死寸前の兄を助けずっと面倒を見たのは朝鮮人一家だった。朝鮮人は最後にこんなにいい話が出てくるのに何故この本を攻撃するのか?木を見て森を見ない民族だ。

著者の凍死寸前の兄を助けずっと面倒を見たのは朝鮮人一家だったが、朝鮮人はこれにかこつけてまた感謝しろだの礼金寄越せだの言ひだしさう。

登場する朝鮮人一家のやうな人は極々まれなのだらう。朝鮮人にはどんな事があつても関はらない、近づいてきても避けることを心がける。

この本を読んで、戦争中といふ状況を考慮できず物事全体を見る事ができない朝鮮人と日本人は付き合ふべきではない。話が通じないし、双方の為にならない。

朝鮮人は被害者意識で要求ばかりするのであらうが、日本人の為にならないし、長い目と全体的にみて双方の為にならない。(朝鮮人に「双方の為」といふ言葉が通じるとは思へない)

テキサス親父(つべ動画、旭日議を検索してみて)も言つてゐるが、朝鮮人の思考は大人ではない。 かういふ民族とは世界の人は離れて行くだらう。そんな民族に日本人は今まで関はつてこさせられたが、今やもふ、見捨てるべき時だ。