読書おぶろぐ

読んだ本の感想を書いてます

カタコトのうわごと

2009年08月31日 13時37分33秒 | エッセイ
多和田 葉子さんのエッセイ。

多和田さんは、1982年よりドイツ・ハンブルクに在住されドイツ語でのご著書もあり、ドイツで自作を演劇にしたりドイツ語での著作でドイツで受賞されたりとご活躍されてをります。

多和田さんは、独特の感性をお持ちで日本語著作にもその感性が生かされた「独自の世界」が繰り広げられた作品が多いです。

それと同時に、ご旅行の経験も多々おありのやうで、短いながら昔ヨーロッパ何カ国かを旅行した自分と、同等の感覚といふか感じ方をお持ちと思はれるエッセイや作品もあり、なんか親しみを感じさせてくださる一面もあります。

このエッセイで同感したのは、第一章の「遊園地は嘘つきの天国」のそれぞれの文章ですね・・・・
多和田さんはドイツの「シャミッソー賞」を受賞されたらしく、その賞を紹介されてゐるのだが、これは、「ドイツ語が母国語でない人がドイツ語で小説や詩を書いてゐる小説家や詩人に与へられる賞」なのださうです。
かういふ賞がある(この賞を発想する)ドイツ人といふのは、だういふ人たちなのか考へ方とドイツ人の性質を鑑みると、正反対のやうで興味深いです。フランス人がこの賞を考へるのならわかるのですけどね・・・・ (ちなみにシャミッソーといふのは、仏蘭西革命でフランスからドイツへ移住した人の名前から取つたさうです)

自分の場合を考へても同じですが、同じ内容を日本語で書く場合と英語やドイツ語で書く場合には全然表現が違ひます。
表現が違ふのは、「言い回し」など言語に基づくものではなく「だう説明していくか」と考へていくことがあるか無いかだと思ひます。

例へば
日本にしかない「炬燵」にあたる文章を書くとき、日本語なら「炬燵に入り」で終わつてしまふ。
しかし、ドイツ語や英語ではまづ「炬燵」が何なのかわかるやうに書いていかないと、ドイツ人や英語圏の人には伝わりません。
といふわけで、44ページ記載の「ドイツ語だと書きながらじつくり物を考へることができる」といふのはよくわかります。

「ふと」と「思わず」、「ゆずる物腰ものほしげ」なども、共感しました。

作家といふ職業柄、多和田さんは言葉に敏感なのだなあと感じました。
個人の感性に頼るところですが、「何かに対する感性」は大事だと思ひます。その対象が何であれ・・・

東京箱庭鉄道

2009年08月30日 18時03分20秒 | 小説
原 宏一さんの作品。

原氏は1954年長野県のお生まれで、コピーライターを経て97年「かつどん協議会」でデビューされてをります。
「奇想天外な設定の中に、風刺とユーモアがきいた作品を多く発表してゐる。」

といふ著者紹介ですが。
奇想天外な設定の中に、風刺とユーモアがきいた作品は、本作品を拝読して全く同感。

文章もお上手なので、途中で枝折を挟んだ際など「続きが早く読みたい」といふ
気持ちになります。

「東京箱庭鉄道」は、主人公が夜勤バイト明けの食事中に謎の人物「日野宮」氏より「鉄道を造つてくれ」と依頼されたところから始ります。

この「日野宮」氏、自身が何者なのか語ろうとしない。が、主人公はなぜかこの人物に魅かれて「鉄道を造る」ために行動を起こすのであつた。

何もかも、すべて上手く行くやうに思へたある日事件が起こる・・・・

ふうん、こんな発想があるのね・・・と感心しながら読んでゐた。

他の作品もすごく興味があります。図書館で探してみやう。

天使の囀り

2009年08月29日 22時00分44秒 | 小説
貴志 祐介氏の作品。

貴志氏は、ホラー大賞を「黒い家」で受賞されてをりますが、「ホラー」と称される作品に魅力があります。

この作品も、「ホラー」と称される作品に属すると思はれますが、怖かつたです。
映画にしたら、相当怖いのでは・・・?と思ひます。

ホスピスで精神科医をしてゐる主人公に何通かのメールが送信される。
メールの内容は、プロジェクトに参加して過ごしてゐるアマゾンでの状況が逐一
記載されてゐた。送信主はアマゾンのある地域で地元部族の村に滞在してゐたが、
あるとき突然部族が怒り出し、引揚げを余儀なくされる。

連絡が途絶へ、心配してゐた主人公のところへ送信主より連絡があり、再会するが
別人のような性格になつてゐた・・・・・

その後もどんどん様子が変わり始める相手に、主人公は戸惑ふ。
そして、調査に乗り出すのだが・・・・

ほんたうに起きたら、だうなるのか。
起きる可能性は十分にある。

凄く怖くなりました・・・・・・

静かな爆弾

2009年08月23日 18時23分42秒 | 小説
吉田 修一氏の作品。

吉田氏は昭和43年生まれ、2002年「パレード」で山本 周五郎賞受賞、同年
「パーク・ライフ」で芥川賞を受賞されてをります。

初めて読んだのですが。

本作品の主人公はテレビの仕事をしてゐる。
テレビの仕事といふ関係上、不規則で「突然」時間を取られるのは当たりまへ。
この主人公が、偶然知り合ひになつた女性は、耳が不自由だつた。
メモをやりとりして意思疎通をはかつてきたが、「自分の知らない世界」に住んでゐる相手の女性に戸惑ふことも多い・・・・・・・

最後の最後に、主人公は「ある事」に気付く。

この話では、一つの例として「音の無い世界」に住んでゐる人が出てきたと思ふ。
しかし、これは誰にでもあることでは・・?
誰も、人と同じでは無いので「相手がわかる」といふことが当たり前と思ふことでは無いのでは・・・?と。

生まれた環境も違ふし、育つた環境も、現在の環境も違ふし
「似たやうなこと」はあるかもしれないが、根本的に人はそれぞれ違ふだらう。
それをお互いどう考慮して理解していくか・・・

それを、この作品は言いたひのではないかと思ひました。

舶来屋

2009年08月22日 18時43分03秒 | 経済
幸田 真音さんの作品。

実在の人物の一生を追いかける構成となつてをります。

モデルはあとがきにある 「サン・モトヤマ」の会長茂登山 長市郎氏。
この方の生い立ちが戦争突入・敗戦・戦後の混乱・高度成長期・バブル崩壊と
今までのすべての日本の歴史を経験されてゐることから、生い立ちからのお話を
お伺いしながら、日本の経済史がわかるやうな構成になつてゐます。

同時に、この「サン・モトヤマ」(書中ではサン・モリタニ)を通して初めてグッチ・エルメスが日本に来たときの状況がわかります。

グッチやエルメスと言つた「ブランド物」はかうして来たのですね・・・・

皆が豊かになるのはいいけれど、「ダレでもブランド」になつてしまつた感がある。
特にこの本の最初に出てくるブルガリタワー、シャネル、カルティエ、ヴィトンが並び立つ銀座の場所はいつも通るところだけに、なんとも言へない。

いまや銀座は、世界中から観光客が来ている。
外国語を聞かない日は無い・・・・

「反省はしても後悔はしない・・・・」 この言葉を繰り返して今もなお活動を続けられる茂登山氏には学ぶことが多いと思ひます。