読書おぶろぐ

読んだ本の感想を書いてます

神社の由来がわかる小事典

2010年06月19日 18時43分08秒 | 宗教
三橋 健氏の著書。
「神道の常識がわかる小事典」の続編で、神社に焦点を当ててゐます。
神社の定義
神社の歴史
神社の祭神、祭祀
神社信仰の諸形態
神社の参拝、建築様式、文化財
神社とパンテオン
について記述されてゐます。
 
近所の氏神様、御参りしたことのある種種の神社を思ひ返しながら読んだ部分と
「そんな神社があるのか」とか「有名な神社だけど、御参りしたことないな~、行きたいな~」
と思ひながら読んだ部分がありました。
 
各章への説明文では、古事記、日本書紀の記述を中心に説明を記述してくださつて
をりますが、自分で古事記・日本書紀を読んでいくのも重要だなと思ひました。これについては 最後に、三橋氏が「民衆の神道信仰を理解するためには詳細な神社研究が必須」としてP267に同様のことをお書きになつてをれらます。
 
なお、日々思つてゐたことですが例祭(大祭とも言ふ、年に一度のお祭)に参加するのは結構ですが神輿に乗るバカがゐます。
神輿がだういふものなのか、日本人なら当然知つてゐるものでありそんな馬鹿なことは思ひもよりませんが、
「相手を尊重しない民族」や「他者の文化・習慣を理解・尊重しない民族」は自分が目立ちたいのか知りませんが平気で神様をないがしろにすることをします。
日本の祭りに参加するのなら、神社・神道・神輿等日本文化と日本の伝統をきちんと勉強・理解・尊重してからご参加ください。
日本人の、迷惑です。

まほろ駅前番外地

2010年06月18日 15時41分56秒 | 小説
 
三浦 しをん氏の作品。
「まほろ駅前多田便利軒」の続編と思はれる。
 
面白かつた。
ただ一言、「面白かつた」に尽きる。
 
最近少し難しい本といふか、論文調の本が多かつたからよい息抜きになつた。
 
三浦さんの作品は面白ひ。

ジャーナリズムの思想

2010年06月16日 23時57分37秒 | 社会・報道・警察・教育
 
原 寿雄氏の著書。
原氏の著書で以前、「ジャーナリズムの可能性」といふ著書を拝読し感想を投稿ゐたしましたが、その本の前編と言ひますか、1997年に発行されたジャーナリズムに関する問題提起の最初の著書であります。
 
本書は
ジャーナリズムの倫理観
テレビの特性と思想
諸外国と比較した「日本特有」の報道の自由(GHQ時代の政策に由来する)
諸外国と比較した政治的公平
ナショナリズム
客観報道と署名記事
ジャーナリズムと人権思想
等について記述されてをり、色々勉強になりました。
 
まづ、「倫理観」で1996年春に表面化したTBS事件(オウム真理教の幹部に放送前の映像を見せ、抗議を受けて放送を中止した。その9日後、坂本弁護士一家が行方不明となつたのに担当者たちがオウムの一連の動きを坂本弁護士側にも警察にも知らせなかつた事が問題となつた)を取り上げてゐる。
 
原氏は、「ジャーナリズムの職業倫理が世間一般の基準よりはるかに高く厳しいものでなければならないことは、明らかである。」と記述し(P8)、上記のオウム事件を例に「ジャーナリストが取材活動で知りえたことを、捜査協力のために警察や検察に伝えるべき義務はない。逆に、捜査に協力してはならない、というのが原則である。ジャーナリズムのこの原則は『市民社会の一員としてジャーナリストも捜査に協力するのは当然ではないか』という世間の常識と衝突する」(P11)と記述してをり、目の覚める思ひであつた。
 
「一言でいえば、言論・報道の自由を守るためである」(P11)から始めて「取材で得たものを
報道目的以外に使うことはプレスの自由の起訴を根底から崩してしまう」と説明してゐる。
確かに、「情報源を明かしてしまふ」のは情報源を危険にさらすことである。
 
以前、少年事件で精神科医が逮捕された件があつた。ジャーナリストは逮捕されなかつたが
医師が「漏洩」だかの罪で逮捕され、「言論・報道の自由の規制」として反論する番組を観た。
 
オウムに関するTBS事件の内容を読んで、「なぜTBSの放送免許が更新されてゐるのだらう?」と疑問に思つた。明らかに報道する側として対処がおかしい。
 
「第2章 テレビの特性と思想」では、普段思つてゐた「バラエティの自虐ネタ」を当てはめて
読んでゐた。本書ではワイドショーが取り上げられてゐるが、個人的には芸人の自虐ネタ
(熱湯風呂に入る等)が不快で観るのを止めたことがある。最近の番組でもゲストとして出てきた芸人が熱湯風呂だのあつあつおでんを食べさせられさうになるだのの「お約束ネタ」が出てきて呆れてゐた。(消したかつたが、司会が見たかつたので我慢した)
ワイドショーも好きではないが、あの自虐ネタは何が面白ひのかさつぱりわからない。
 
「第6章 客観報道と署名記事」ではうなづくことが多かつた。そして、この本が書かれたのが97年といふ、13年前なのにも関わらず現在と同様の「発表ジャーナリズム」(P155-157)であるのに呆れた。
原氏が記述されてゐるやうに「発表ジャーナリズムで真実追求はできない」(現状出来てない)。
なので、犯罪が冤罪だつた場合「発表された事実を客観的に報道しているのだから問題はない」(P156)といふ主張があるのだらう。冤罪は勿論、逮捕・自白強要などを行なふのが問題なのだが、報道として検証することを怠るのは問題だと思ふ。本書では、少年犯罪の冤罪で弁護士が聞き込みをし、アリバイがあることを主張しても記者は警察から「アリバイは崩れた」と言はれてそれ以上取材を深めなかつた例も取り上げられてゐる。(P182) この問題は「第7章 ジャーナリズムと人権思想」に記述されてをり、ここでの内容もうなづくことが多かつた。
 
特に同意したのは、「犯罪報道と人権」に関することだ。被害者の自宅前に張り込んだりした例が記述されてゐるが(P180)、こちらとしてはそんなことをして何を報道したいのか理解しかねる。
犯罪被害者の自宅まで行つて、何を聞く(言はせたい?)のだらう? 
ここを読んだときに思ひ出したのが、某犯罪が起きたときにその犯人の実家に報道陣が押しかけ、両親を玄関前に立たせて質問をした放送だ。
正直、びつくりした。
確かに大事件であつた。しかし、遠く離れた実家に押しかけ、カメラの前に引き出すやうな必要があつたのか? カメラの前で母親は倒れた。
そこで、消した。 別の時間で放送されたときにはすぐに変えた。あれは、顔を放送しなかつたとは言へ、すべきことだつたのか疑問に思ふ。「正義の味方」のつもりなのかな~とも思つた。
「正義の味方」のつもりであつたのなら、原氏が記述されてゐる「勧善懲悪の報理」(P176-179)がまさに該当する。
 
人権のところでは差別・性差別にも言及されてゐる。昔からの言ひまわしで「女性差別にあたる」とされる言葉があるやうだが、個人としては別に気にしない。過去さういふ生活形態の中で生まれた言葉なのだ。これは、個人個人が生活する中でお互いに気遣つていけばいひだけの問題ではないのか?
「夫婦」と「夫」が先に書かれてゐるから女性蔑視だと言ふのなら、その人たちだけ勝手に「婦夫」と書いて言つてをればよい。
個人としてはそこまであれこれ言ふ意味がわからない。
 
しかし、「セクシャルハラスメントの法理が米フェミニズムの中から作られてすでに20年近くなるのに(97年当時)、日本のジャーナリズムの問題意識は、なお冷やかし気分から完全に抜け切れていないのではなかろうか。」(P193)は現在でも当てはまると思ふ。
おにゅーすなど、「強制わいせつ」と報道すべきであらう内容が「セクハラ」となつてゐて、だうも「セクハラ」と書けば罪が軽くなるやうな滲みが感ぢられなくもない。
 
「ジャーナリズムの可能性」とともに、報道する側にも情報を受け取る側にも貴重な一冊だと思ふ。

9.11 アメリカに報復する資格はない!

2010年06月15日 22時59分55秒 | 政治関連・評論・歴史・外交
 
ノーム・チョムスキー氏のインタビュー録。
 
2001年9月11日の同時多発テロに際し、ヨーロッパ・アメリカのメディアが
チョムスキー氏にインタビューを行なつた。そのときの質疑応答である。
 
チョムスキー氏の視点は、「メディア・コントロール」を初めて読み「こんな見方をする
人がアメリカにもゐるんだな」と思つた。
りゐべのアメリカの印象としては、「自分たちはいい、何をしても。でも人はダメ。」を強行に
推し進めると言ふものがある。
チョムスキー氏の視点はそれと重なるところがあり(実際、歴史的事実に基づいてチョムスキー氏は発言してゐる)、「自分たちはいい、何をしても。」のスタンスでゐるはづのアメリカ人の視点とは違ふものであり、驚きであつた。
 
このインタビューの中でも、淡々と返答するチョムスキー氏の姿があるが、驚くのは
「マスゴミの発想は世界共通?」と思ふやうな、メディアの質問であつた。しかも、既にチョムスキー氏の考えが公になつてゐることを改めて聞いてゐて、「その件なら以前に答えてる」と返答されてゐるのもあつた。
 
それはさておき。
 
一読しながらずつと思つてゐたこと。
 
アメリカと、「同盟」を結んでゐる必要があるかだうか。
アメリカとの「同盟」が日本のためになるかだうか。
 
この本の中で何度か出てくるが、アメリカは「かつての同盟国」が意見を違えるととたんに態度を変えて攻撃してゐる。日本もさういふ目に何度か遭つてゐるはづだ。一番酷いのが、湾岸戦争で130億ドルも「援助」したのに「感謝」の中に国名がなかつた。
 
民主党がマニフェストに「対等な日米関係」と挙げたのは、理解できる。
 
しかし、イザ、「独立防衛」となると日本にはその準備が出来てない。準備といふか、「アメリカがゐてくれるし、憲法9条があるし・・」といふ考えにおいて、「独立防衛」に取り掛からない節がある。
アメリカは、尖閣諸島のことは知らないと返答をしたのが最近である。
 
今までの経緯と、尖閣諸島に関する返答、そして本書で「アメリカとの同盟」は日本国のためになるのか?
と考えた一冊であつた。
 
訳者、山崎 淳氏の「あとがき 解説」(P145-157)が非常によく本書をまとめてわかりやすくしてくれてゐる。

死因不明社会 Ai(エーアイ)が拓く新しい医療

2010年06月15日 16時02分11秒 | 医療 (医療小説含)
 
海堂 尊氏の著書。
海堂氏は厚生労働省官僚、白鳥圭輔を登場させた医療小説を4点ほど発表なさつて
ゐますが、その小説の中で医療現場の直面する問題点を挙げてをられます。
 
本書は、フィクションの中に存在する白鳥氏と新聞記者の別宮葉子氏を登場させ、
厚労省官僚に独占インタビューの形を用いながら、現在の日本の医療現場が抱えてゐる
「死因究明」の問題に焦点をあてて論じてゐるものです。
 
本書の刊行は2007年11月なので、少し動きがあるやうですが・・・
 
まづ、現状とそれに伴ふ問題点:
1.日本では、死亡者の死亡原因を特定するための解剖が2%しか行なはれてをらづ、
死亡診断書の死因には、「心不全」と記載されることが一般的であり実質「死因不明」と書いてゐることに等しい。
2.死因究明センターがあるが、全国に5都市のみであり地域格差が非常に大きい。
3.死因究明センターの充実は東京都であるが、厚生労働省官僚のお膝元であり厚労省官僚は東京都のデータを見るので、このデータのまま地方へ適用されるととんでもないことになるのに、気付いてない。
4.死因究明のための解剖を行なふ解剖医(病理医)が不足してゐるが、厚労省は対処をしてこなかつた。
5.解剖は時間もかかるが、金がかかることが厚労省がほつたらかしにした理由である。(医療費を削減する政策に追従してゐると言ふのがその理由)
6.解剖が必要か否か判断するための、「事前死体検案」に「死体画像病理診断」(エーアイ)を導入するやうに提案を進めてきたが、厚労省および厚労省寄り側の医師は予算をつけることに反対。
7.エーアイが解剖に替わるものとして、解剖が無くなる危惧を理由としてゐるが、エーアイの導入は解剖に替わるものではなく、解剖と並行して死因究明していくためのものである。その理論を全然わからないらしい。
 
エーアイ、死体画像病理診断とは死体をCTやMRIにかけてスキヤンし、死因を特定するための処置である。
従つて遺体を傷つけることもなく、5分程度で死因究明が可能になる。死因がほぼ特定できた遺体は遺族の了承後解剖し更なる詳細な死因究明を行なふ。エーアイで「原因となる身体の部分」がわかつてゐるので、無駄な時間や処理を解剖でしなくて済む。
この主張が、いつまで経つてもわからないらしい。 (今、どのくらい進歩したのかしらないが)
 
きのふ、年金の問題の本を読みました。
そして、厚労省官僚の「国民から給金をもらつてゐるけど、国民のことなどだうでもいひ、自分たちの天下り先が見つかつて、そこで大金を貰えればいひ」の精神を堪能ゐたしましたが、この本でも同ぢ精神構造を発見ゐたしました。
 
そして、また出てきたのが「厚労省広報機関」と化したマスゴミです。
マスゴミは、記者クラブで役所内に貼りついてゐるやうですが(しかもその記者クラブ運営は役所負担=税金のやうですが)、一体何をしてゐるのでせう?
今のままなら、マスゴミは一社が役所の「官報」でもネットに載せてくれればそれで十分です。
 
マスゴミ、厚労省との話し合いに参加してゐる医師らも、実際の医療現場を知らないんだな・・・と読みながら思ひました。
知らないだけでなく、聞く耳も持たないと言ふかプライドが高すぎて現場の言ふことなんか聞いてらんねえよと思つてゐるのか知らないが、本を一度読んだ素人のあたくしでさえ、エーアイの現場導入は効率的でいいよなあと思ふのですが、なぜ反対するのか理解できません。
 
しかし、ある共通点を発見しました。
マスゴミ、厚労省、実際の医療現場にゐない医師は、「国益」ではなくて「私益」を重視してゐる人たちばかりでは?
なので、「国益」のことを考えて行動する人たちがうるさくてせうがない!といふ感ぢがゐたします。
 
厚労省つて、日本に必要なのですかね?
年金は民間に競合でやらせたはうが国民のためだな~ときのふ思つたし、
けふはこの本で厚労省を解体して、医療現場重視、国益重視にした医療専門機関を創つて税金の医療費引き当て、現場への医療費配分を行なつたはうが、余程日本のためになるな~なんて思ひました。これは、海堂氏が「イノセントゲリラの祝祭」で登場人物の医師に「医療庁を創設する」と言はせてゐたことに由来するのですが、賛成です。
 
厚労省のサイトで「死体画像病理診断」を検索したところ、一件の文書がありました。この文書だけでも海堂氏が本書で主張されてゐるエーアイの効果がわかります。
厚労省自体で、エーアイに関する動きをしてゐるのかこの文書からは定かではありません。