上杉隆氏と週刊朝日取材班の共著。
「本書は、平成二十一年三月三日の小沢公設秘書逮捕をきつかけに「開戦」した
”小沢vs官僚”の戦いのドキュメント」(「はじめに」より)で、週刊朝日に掲載された記事
の掲載および週刊朝日編集長によるあとがきである。
週刊誌の掲載記事なので、当時の出来事と論調を順を追つて思ひ返すことができる。
読んでゐる最中から思つた事 : 「なんでもいひから、ほんたうのことを言つてくれ」
それくらい、特捜検察とメディアの報道と、双方に対する週刊朝日の記事は入り乱れて
をり、「いい加減にしろ」と言ひたくなる。ウソを吐く奴がゐるから、こんなバカなことが世の中に
出てくると思ふと、税金が使はれてゐるといふことが、大変腹立たしい。
ずつと読んでいくと「週刊朝日の民主党擁護誘導」ではないかと思ふ節も無くはない。
しかし、これまでの報道がすべて「司法クラブ」といふ「検察庁広報部」のような役割を果たす
機関からの報道だと思ふと、「自分も洗脳させられてゐたのか?」と思ひつつ、
「一体どちらがほんたうなのだ?!」と再三思はされ、「なんでもいひから」になるわけである。
特に興味深かつたのは、鳩山安子夫人に関する記事である。(P101-107)
ここに、安子夫人が大金持ちであるが地味な生活を送り、病院等に寄付をしてゐるといふ
人物像が書かれてゐる。
ここにある安子夫人像が事実ならば(大変失礼な記述とは存じてをりますが、昨今の風潮から
すぐに信じられない)、鳩山さんは「不出来な息子」と言ふことになる。
「恵まれた家庭に育つたものだから、自身の財産管理がずさんだつた」と言ふのは母親の
方針に背いて自らが秘書を陥れたといふことの証明でありませう。
秘書を解雇して「連絡も取つてない」などとホザくのは、他人に責任を押付けて自分だけ逃げてゐるいい証拠である。
もふ一つ興味深い記事。一昨日だか、「実態のない障害者団体への偽の証明書を発行して
郵便割引制度を悪用したとされる郵便不正事件で初公判中だつた村木被告に対する
「検察の供述調書を証拠として採用しない」ことが決定したと新聞にあつた。
本書では、部下が「村木被告に指示されてやつたといふ内容の供述調書を『作成』させられる
苦悩までが収録されてゐるが、結局ここでも「検察の暴走」が明らかになつたと言へる。
P151-157に「子育て女性をも脅かす検察の卑劣 (20)10年2月5日号」がある。
石川議員の秘書の女性で、子育て中の女性秘書がゐるがこの女性の事情聴取を検察が
取り調べ中の石川議員に示唆したと言ふのである。
これは、検察が「容疑者や参考人の弱みに付け込む例」として紹介されてゐる。
「なぜ、検察が女性秘書に幼い子供がゐることがわかつたのか。(中略)
「実は彼女は結婚して別の事務所を辞め、そこから移ってきたんです。保育設備が整ってない
国会では子育てをしながら秘書として働くことは難しい。でも石川先生は『赤ちゃん連れてくればいいじゃないか。議員部屋にベットを置いてもいいよ。』と言ってくれたそうなんです」
実際、石川事務所の議員部屋にはベビーベットが置いてある」(P152)
この議員部屋のベビーベットを見て検察が「脅し」の材料に使つたのであらうと指摘されてゐるのだが。
あたくしは、ここで別のことを言ひたい。
確かに、「子供の世話に時間を要する」秘書を事情聴取に呼んで拘束するぞと脅すのはすべきことではない。
しかし、「議員秘書」と言ふのはベビーベット設置で赤ん坊を傍らに置きながら出来るやうな仕事なのか?
ここを聞きたい。
赤ん坊への授乳、オシメの世話、ぐずり泣いたときの処置(そのとき電話中ならだうする?電話がかかつてきたら出られる?)等々、「育児休暇」なるものを取得して専念するやうな事をただでさえ「忙しい」と言はれてゐる議員の秘書をこなせるのか?
大体、民主党は「子育て支援」と大々的に銘打つて「子供手当」なる欠陥法案を強行採決し、日本人の子供の支援どころか、日本人の子供をおざなりにして外国人の子供にばらまく事を行なつてゐる。
しかし、自身の議員の秘書が「国会に保育施設が整つていない」ことで困つてゐる現実に対し、「世間の親は何を必要としてゐるのか」を理解できなかつたわけである。
この部分だけでも、かなり民主党には呆れた。
P179-187 「小沢捜査の争点 鈴木宗男X藤本順一X上杉隆」
この対談の中で藤本氏が中立的視点の発言をしてゐる。
「逆もまた真なりで、子供がいるから、病気だから -といった理由で事情聴取が出来ないのであれば、かえって捜査の公平性を損なうことになります」(P185)
・・・・・・
成程
この発言は上杉氏と鈴木宗男氏の「人質」を取つた検察の「非人道的な捜査」証言に続くもので、「偏り」を防ぐ視点だなと感心。テレビや新聞を見てゐると、かのやうな「偏り」を防ぐ「反論」を言ふところはない。
全員、「非人道的捜査」の証言を取り上げ「国家権力の乱用」といふ結論で統一するのである。
これが、現在の「記者クラブ」メディアの欠点と言へよう。
鈴木宗男氏が「ある程度の政治家になると、政治資金を手元に何千万か置いておくものです。
それは借りに来る政治家もいるし、また、いつ選挙があってもいいように、ストックをしておく必要があるからなのです」(P181)と発言してゐるが、このたび新党を発足した舛添氏は「カネのかからない政治」を公約(?)にし、個人負担月250円で十分できると発表した。
舛添氏と鈴木宗男氏、どちらが正しいのだらう?
鈴木氏は、すでに「カネのかかる政治」に染まりきつて「カネのかからない」方法を検討する気もないといふことなのか?
「鳩山政権発足から半年を検証 上杉隆X神保哲生 聞き手山口一臣」(P239-245)
ここで気になつたのが
「合格点をあげられるのは、率先して記者会見を開放した外務省の岡田克也大臣、
総務省の原口一博大臣、金融庁の亀井静香大臣の3人です。原口大臣なんか政務三役
会議までオープンにしたんだから。政務三役会議といえば総務省という巨大官庁の最高の
意思決定機関です。これは世界的にもあまり例がない」(P239)の上杉氏の発言である。
オープンにすることに異義はないが、民主党が「素人集団」であると十分露呈した現在、
原口氏のしたことは、「危機管理」が甘いのではないかと思はれる。
なぜか出てきた「腹案」のはづ(であつたのだらう)の「徳之島移転」がいい例だ。
結局、大見得を切つたはいひが「徳之島」以外に地名は出てこなかつた。
どこから「徳之島」が出てきたのか?
鳩山政権の「機密」に対する甘さを原口氏の政務三役会議開放が物語つてゐるやうだ。
本書を最初からずつと読んできて、「検察批判(検察庁からの抗議文も掲載し、抗議文に対する抗議も掲載してゐるので)ばかりに終始してゐないか? ここで取り上げられた検察の捜査が全検察のしてゐることではないだらう。これもある種、「誘導」では・・?」と思つた。
しかし、あとがきに「心ある検察官たちも、今回の「暴走」に対してじくじたる思いを抱いているようです。(中略)大多数の検察官は地方で地味な事件処理にあたり、まじめに世の中のために働いている」(後略)
(P246) を見て、気がかりだつたことは解消できた。
記者クラブと官僚の「害悪」は上杉氏と岩瀬氏の著書で、「こんなことがあつた」と知ることが出来、最近ではすべての報道の「ウラ」を考えて見聞きしてゐる。
上杉氏が記述されてゐるやうに、「国民がメディアに求めているのはどちらかの善悪を判断することではない。 『真実』がどこにあるかを知りたいだけなのである」(P196)