読書おぶろぐ

読んだ本の感想を書いてます

すばらしい人間部品産業 The human Body Shop

2011年05月31日 14時47分21秒 | 科学・化学・理系

アンドリュー・キンブレル氏の著書。

キンブレル氏は弁護士、市民運動家、執筆者としておよそ4世紀半にわたり活躍中であり、1997年には食品安全センター(本拠:ワシントンD.C)を創設、事務局長を務めてゐる。環境保護、持続可能な農業のあり方を訴えてゐる。おもな著書に" Your Right to Know" (邦題:それでも遺伝子組み換え食品を食べますか)がある。

この本の訳者は福岡伸一氏といふ、生物学者、京都大学卒、ハーバード大学研究員、京都大学助教授などを経て青山学院大学教授である。

福岡氏が「訳者あとがき」(p432-445)でこの本との出会い、翻訳に至つた経緯、本書に関する福岡氏の考えを書かれてゐる。本書に関する考えは全く同感で、福岡氏が本書の翻訳を引き受けて発刊にこぎつけてくださつたことに深く感謝したい。

読んでゐる最中から、慄然とすることが何度もあつた。

医学の発達、それによる治療法の増加、代理母の問題、臓器移植手術などのおにゅーすをテレビなどでちらちら見てゐたが、医学の発達といふか科学の発達がここまで来てゐるとは思ひもせづにゐたのである。 「研究対象」がとてつもなく拡がり、人間の要素を持つもの、生物の要素をもつものならなんでも対象になり(研究=実験となる対象)、研究者の思考がここまで来てゐることそして研究の「成果」をおぞましいとも思はづに「利益になる」として「販売」する方法を模索し、実践していく製薬会社・・・・

正直、おぞましい

しかし、この事実を「アメリカで起こつてゐること」として他人事と捉えるのは誤りである。何故なら、日本で臓器移植が出来ない人たちが臓器移植手術を求めて渡米し、代理母を求めて渡米してゐるからである。

今この瞬間も、病院で医師に「日本ではできないが、アメリカでは・・・・・といふことが認められてをり」と説明を受け、渡米を考えたり決意してゐる人たちがゐるかもしれないのである。また、それは明日の自分や自分の身内に起こることかもしれないのである。

それを考えると、日本はこの本に書かれてゐる「発展してきたアメリカの医療」の恩恵を大いに受けてをり、安易に批判できるものなのか・・・と考えるのである。

本書は「人間の何が『部品』として売られてきたか」を時代を遡つて検証する。

最初は血液である。「売血」といふ行為が貧しい人たちの間で行なはれ、健康を損なつても血を売るしかない人たちの行為が最初の「人間部品」の産業であつた。

血の次には臓器である。第参世界では腎臓を売る人たちが多く、その問題が取り上げられてゐる。

臓器の次は、胎児である。胎児は人間になりきる前の段階なので、胎児の臓器といふのは移植した際に拒絶反応が起きないのださうである。それが発見されてから、米国で中絶を行なふ病院に通ふ業者が表れ、胎児の臓器を販売するやうになつてきた・・・・また、胎児が死んでしまふと臓器の「新鮮さ」が落ちるため、「生きたまま」中絶する方法が編み出され実践されてゐるさうである・・・・ (日本でも起きてゐるかもしれない)

臓器に関しては胎児だけでなく、脳死した人の臓器に関するおぞましいこともある。胎児を生きたまま取り出すのと同様、「死体」から臓器を取り出すより「新鮮」な臓器を得るために「人体」を「臓器保管庫」として扱ふ発想である。

ここまで来ると、もふ、その発想にただ驚く。確かに「死ぬ人」よりは「生きる人」「生きる可能性のある人」を救うのが医療であらうがここまでやつてよひのだらうか? 不謹慎だが、脳死した人の身体を「臓器保管庫」として「生かして」をく場合の維持費などだうなるのか?全部移植される患者が手術費用として払ふのか?

生きるのも大変である。

さらに驚いたのは代理母を越えた「不妊治療」の現状である。

そして、「人間ッて欲張りなんだな」と思つたのは、「遺伝子操作」のところである。生まれてくる子供の遺伝子検査を行なひ、病気がある可能性が高いと告知し中絶するかだうかの判断をゆだねるのは聞いたことがあつた。しかし、現在は遺伝子操作により親と似つかない子供を作ることが可能なところまで来てゐるやうである。成長過程の子供に「背が高くなる薬」を与え続けてゐる家庭があるのはアメリカでは普通のことになつてゐるやうだ。しかし、生まれる前に「背が高くなる」やうに遺伝子を操作すれば、子供は自動的に背が高くなる・・・らしい。

遺伝子操作に関する薬や操作を促進する製薬会社らは、いひことしか言はない。しかし、弊害が次々に現れてゐる。それらについても本書では詳細に書かれてゐる。

また「生命に特許はあるか」といふアメリカで起きた裁判例も検証されてゐる。

クローンに関しても記述がある。「自分のコピイ」を作つてをけば事故や病気の際に移植治療が必要であつたら、即座に「問題のない臓器提供者」がゐる、といふわけである・・・・

クローンッてのは、何なの? 人間の形をした「生ける人形」なのか、それとも自分とそつくりの生命体なのか・・・・・・ 生命体とすると、それまでその生命体はどこに「保管」されてゐるべきなのか? 臓器提供の出番がくるまで檻の中にゐるのだらうか? そんな不健康な生活をしてゐる臓器は効果があるのか、とまで言ひすぎだが、臓器提供としか捉えないのは倫理観として全く欠落した発想である。動物のクローンも、なぜ作る必要があるのかわからない。

遺伝子研究には必づと言つていひほど「優生学」が出てくる。遺伝子操作が可能なら、「優生」な生物を作らうといふことなのであるが・・・ 「優生」と「劣生」の基準が何なのか?個人的には区分わけをする発想が十分「劣性」に思へるが、優生学を推奨する輩ほど差別主義者だと思ふ。ちなみに、ナチスが優生学他をあの時代に行なつたがそれはアメリカの優生学の流れを汲んだものださうだ。

訳者あとがきで、福岡氏も書いてゐるが本書のすごいところは「人間が売血から始まつて自身の部品を売る」やうになつた背景と時代の流れ、「自由市場」市場化により「売るはづのものではなかつたものを売るやうになつた」ところにあると深く考察してゐることである。 ここまで考えたことはなかつたので「成程」とうなづくところがあつた。

キンブレル氏は本書の最後で「部品」と化しつつある人間の売買をやめるにはだうすればよひかをまとめてゐる。 氏が主張するやうに、「臓器提供」「献血」などは善意でするもので販売するものではない。また「買ふ」人の心の問題でもあるだらう・・・  


自由貿易は、民主主義を滅ぼす

2011年05月28日 19時20分26秒 | 経済

エマニュエル・トッド氏の講演および日本の識者との対談集。石崎晴巳氏編。

エマニュエル・トッド氏は1951年生まれ、歴史人口学者・家族人類学者であり、フランス国立人口統計学研究所(INED)に所属されます。「最後の転落」といふ25歳にて発表した著書でソ連崩壊を予言されその後様々な著書で「予言」とも言へる著書を発表し9.11テロから1年後対イラク戦争開始前の2002年9月に発売された「帝国以後-アメリカシステムの崩壊」では「米国は唯一の超大国」といつた世界の一般的な対米認識に反して「アメリカの問題は、その強さにではなく、むしろその弱さにこそある」とアメリカの衰退、とりわけその経済力の衰退を指摘し、アフガニスタン攻撃に始まるアメリカの軍事行動を自らの覇権を演劇的に世界に誇示するための「演劇的小規模軍事行動」と断定。28カ国以上で翻訳され、世界的大ベストセラーとなつた。その他、著書多数。

驚いたのは

氏は「歴史人口学者」を筆頭とした人類学者なのであるが、経済の分野にもその私見(視見)を発揮されてをり、歴史学者と経済学者のやうである。

しかもしかも、その指摘は適切である。

素人ながら、疑問に思つてゐた。

「自由貿易」を推進する。米国がしてゐるやうに輸入を推進して、安い製品を消費者のために販売する。しかしながら、当然国内の「高い製品」は競争力が無く、売上がないので会社として経営できづ、犠牲になつていく・・・ 

これは、自分がアメリカカリフォルニア州サンタモニカにホオムステイした際に、「自由貿易を推進するアメリカ」を実体験したときに感ぢたことである。

アメリカに行つて、スウパアその他で製品を見るとすべてが外国製でアメリカ製が無く、あつたとしても値段が高く、お土産にアメリカ製を探してゐた自分としては大変に戸惑い、ホオムステイしたファミリイの旦那さんに「なぜアメリカ製品がスウパアにないのか???あつてもあんなに高いのか」と訊いたら「自由貿易主義だからだ」といふ返答が返つてきたのである・・・

この旦那さんは弁護士だつたので、論理的に説明してくれた。しかも奥さんが外国人を家庭に泊めることを前からしてゐたので英語が苦手な人にもわかりやすいやうに説明してくれた。

「アメリカは自由貿易主義だからだ。日本はあまり自由貿易主義ではないね、アメリカは日本製品を買ふけれども、日本はアメリカ製品を買はない。だからアメリカは日本にアメリカ製を買ふやうに要請してゐる」

確かに、「日米貿易不均衡」の時代があつた・・・・・・ しかし、実際アメリカに行つてスウパアに行くまで、アメリカがこんなに諸外国のものを輸入して販売し自国のものを「見つけられない」まで「自由貿易」を実践してゐるとは思はなかつた。アメリカ企業はだうなつてゐるのかと考えたほどである。

今なら「こんなに政府が自由貿易主義を推進してゐる結果、国内企業が利益を得て無い分だうしてゐるのですか?」と訊いてさらなる話が出来たであらうが

当時、カタコト英語の自分としては・・・ 訊けなかつた  自分が学生で社会経験がなかつたこともあつたかもしれないが・・・・

本書は、トッド氏の講演や発表記事の編集なので突詰めて読むには繰り返しがあるので不向きである。

なので本書よりもトッド氏の著書を読んだはうがよひであらう・・・ 自分もアメリカに関する著書を図書館で取り寄せる予定である。


日本原住民と被差別部落 菊池山哉考古民俗学傑作選

2011年05月26日 13時10分53秒 | 社会・報道・警察・教育

前田 速夫氏の著書(編集)。

前田氏は1944年福井県生まれ、東京大学文学部英米文学科卒業後新潮社に入社、雑誌「新潮」編集長などを務められましたが退社後法政大学ほかで教鞭を取られてゐる民俗研究者であられる。

今回、前田氏がその著書を傑作選編集といふ形で発行された「菊池山哉」氏であるが、1890年東京府中生まれ。工手(工学院の前身)土木科卒業後東京府の技手判任官を経て、東京市役所港湾課勤務。多麻史談会設立、「多麻史談」発刊。郷土史、民俗学、考古学を研究されいくつかの著書を残した。1966年逝去。

本書は、菊池山哉氏が残した著書を編集したものである。

菊池氏は民俗学、考古学等は所謂「素人」なのであるが、実際に自分の足で現地を歩き、史料を検収し一つ一つ紐解いていくといふ作業をした方で、発禁となつた「(エタ)族に関する研究」を始めとしていくつかの著書を発表されてゐる。驚いたのは著名な学者「先生」の説でも史料や実際の地理的特色など事実に合はないと思はれたことに対し反論してゐることである。(P74-83,「乗潴駅(ノリヌマエキ)に対する坂本博士の所論について」)

(エタ)族の研究に関してはP84-142に収録されてゐる。また、ご自身が東京府の役人として測量に向かつた地に於いて川の魚を獲つてくれた人夫について、他の人が「筋が悪い」として差別してゐることを知る。菊池氏自身はそのことを考察し、付近を歩いて「」といふ地域を歩き回るが、「何が違ふのかわからない」と思ふ。その観点で書いたためなのか否かは不明だが、自分も本書の内容を読んで「何が違ふ」のかわからなかつた。

「」といふ言葉が頻繁に出てくるのであるが、この時代は人口も少なく交通網も発達してゐなかつたことから、「村」に満たない集落がいくつか点々と存在してゐたことが考えられ、「村」に代はる呼称として「」を使つたものではないかと推察する。ただ、「特殊」といふ言葉は別に出てきて論述がある。

と呼ばれた人たちに関しP84から記述されてゐる。昔は身分により、就く仕事と就かない仕事がはつきりしてをり、それゆえ「」の区別があつたやうであるが、江戸時代になると賤視観念の傾向は明らかに認められるるものの、既に差別の絆から放たれてしまつたものがあり、明治維新まで残つたものはその大部分が「長史(ちょうり)」をしてゐた人々とその曲輪(くるわ)だけであるとして、「長史」に多く割いてゐる。

また、東国と近畿において「特殊の始原」が全く事情が異なつてゐるとしP92-102に東国の特殊について記述されてゐる。

「俘囚」といふ存在がゐたことがP103-P104にかけて書かれてゐるが、この人たちは強盗・放火・暴力行為を行なひ、移配されたことが記述されてゐる。この人たちがその後どこにどのやうに生活してゐたのか不明なやうだ。 ただ「別所の特異性」として「諸国すべて普通民と異なるところはありませんが、近畿だけは差別の影を残し、退転するものも多く、紀州では「別所別(べつ)どこ、エタ所(どころ)などの俗謡を伴なつてゐる」ことが記述されてゐる。(P105)

結局、自分には「被差別」とされる地域やそこに住む人たちの何が違ふのか全然わからなかつた。 「俘囚」と呼ばれた人たちの行動で恐れられ、忌み嫌はれてしまつた結果出来てしまつたものなのか否かも不明だ。近畿以外では普通民とされてゐたわけだから・・・・

菊池氏は学者ではないけれども、事実調査に関しての熱意がすごい。この人の論述を念頭に別の本も読んでみやうかと思ふ。 


外交の力

2011年05月24日 20時20分05秒 | 政治関連・評論・歴史・外交

田中 均氏の著書。

田中氏は1969年京都大学法学部卒業後外務省に入省。1972年オックスフォード大学修士課程修了され、北米局北米第二課長、アジア局北東アジア課長、在英大使館公使、総合外交政策局総務課長、北米局審議官、在サンフランシスコ総領事、経済局長、アジア大洋州局長、外務審議官(政務担当)などを歴任され、2005年退官。現在(財)日本国際交流センターシニア・フェロー、東京大学公共政策大学院特任教授であられる。

読後感想を一言で言へば、見えないところで色々な事柄があり、それに伴ふご苦労があり最終的に政治家の口を通じて結果となるのであることがわかつたが、「国益」を重視されてゐる旨の記述がところどころにあるが、第三者に見える範囲では、「国益を重視した結果」の外交となつてゐたとは思へない。 (残念であるが)

一番許せないことは、強制連行やら創氏改名の強制やらの朝鮮人のウソを暴く証拠があるのに、それを突きつけづに相手のウソをそのままに「村山談話」に関はり国を貶めたことに気付いてゐないことである。

首相が変はつて就任するたびに、おなぢ「謝罪」を出されるが外務省の人がウソを正す気がないのであるから、国益のためになる話し合いがもたらされることはなく、バカン民主党政権では過去において既に話し合いが済んでゐたことを蒸し返すやうな談話を発表した。

この素地は、外務省官僚が「真実は何か」を追究せづ国益を損ねることを損ねるとの自覚も無く物事を進めていくことにより作られたのであらう。

かういふ前提があると、本書の中で「外交とは」とか「国益を重視」といふ言葉が使はれてゐる文章が出てきても、信用できない。

それから、米国の内政干渉とも言へる行為を疑問もせづに「みなし」とされてゐるのではないかと思ふ記述もあつた。つい先日、普天間基地機能の一部をグアムに移転することに関して、ウィキリークスに日本の役人が米国の利益になるやうなことをしてゐたことが暴露され、それを取り上げたワイドシヨウのコメンテエタアの一人が「日本の税金で給料をもらつてをきながら、日本より米国のために働いてゐることが明らかになつた」と発言されてゐたが、本書を読むとそれが外務省のやり方のやうに感ぢられる部分がある。

ゆえに、先にも書いたが「国益を重視」と繰り返されても、「あーたの言ふ国益とは何?(どこの国の利益追求?) 」と疑問が出てきて止まらなかつた。

驚いたことに、記者クラブをよくないものとして捉えてゐる記述があつた。記者クラブを利用してゐるのは官僚ではないか? 官僚の思ふやうな記事を「スクウプ」として書かせるべく利用してゐるシステムの一つが記者クラブだと、数名のジャアナリストがご自身の体験も含めて指摘してゐる。

この人が、「官僚機構」に批判的な見解をもつてゐたことを書いただけなのか不明だがびつくりした。

外務省といひ、厚生労働省といひ、官僚といふのは「建前」は素晴らしい表現を作り上げるが中身はウソといふことを作り出すのに全然抵抗がないんだなと思はざるをへなかつた。

奇しくも、この人の著書に出てくる「国益」が虚偽と思はれるおにゅーすが本日あつたので、引用する。   

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20110524-00000604-san-pol 

衛藤晟一議員、外務省幹部に激怒 コップの水掛ける

5月24日(火)19時6分配信  

自民党の衛藤晟一参院議員が24日、党本部で開かれた外交部会で、説明のため出席していた外務省幹部の態度が悪いと憤り、コップの水を掛ける騒動があっ た。出席者によると、衛藤氏らが韓国国会議員の北方領土訪問に際して中止を働きかけたかたずねていた際、この幹部が答えず横を向いたことに激怒、水を掛け たという。

 衛藤氏は記者団に「質問に対し調査中で遺憾だというばかりだった。外交だから報告できないというのはおかしいというと、(同僚に向かって)ニヤニヤ笑っ ていて『何バカなことをいっているんだ』みたいな感じだったからだ」と説明。ただ、直後に幹部から「大変申し訳なかった」と謝罪があったといい、「(距離 が離れていたため)水は掛かっていないと思う」と話した。

 一方、松本剛明外相は同日の記者会見で「物理的な力の行使ということは遺憾だ。自民党側には何らかの形ではしっかり申し入れをさせてもらいたい」と述べた。

 自民党の石破茂政調会長は国会内で記者団に「物理的な力を加えることはあってはならないことだが、(外務省側が)これまで適切な説明をしてこなかったこ とに憤りを感じている」とコメント。逢沢一郎国対委員長は「わが党の正式な会議で適切でない行為があったとすれば、大変残念で遺憾なことだ」と述べた。


捜査指揮 -判断と決断-

2011年05月24日 19時33分31秒 | 社会・報道・警察・教育

岡田 薫氏著、寺尾正大氏協力。

岡田氏は昭和23年生まれ、昭和47年警察庁入庁。千葉県警察本部刑事部長、警察庁鑑識課長、科学警察研究所総務部長、警察庁刑事企画課長、警察大学校特別捜査幹部研修所長、警察庁暴力団対策部長、警察庁刑事局長など刑事警察の要職を歴任。そのほか警視庁神田警察署長、山口県警察本部長、兵庫県警察本部長、警視庁副総監などで指揮を取った。いわゆる警察庁キヤリアOBの中でも、刑事警察への造詣の深さは随一といふ経歴の持ち主であられる。

協力者の寺尾氏は、岡田氏の上司のやうな立場にあたり岡田氏は寺尾氏の捜査指揮の判断・決断に多々学ぶところがあり、著書のなかで寺尾氏の担当した実例を紹介してゐる。

一言で「警察」と言ふのは簡単だが、岡田氏のやうな考えを持つ人が警察だけでなくあらゆる世界に増えれば、物事を多角的・総体的に考え判断し、起きたこと(失敗含)から学び次に生かし、前向きに進むことが出来ると思ふ。

岡田氏の思考と正反対のヤツが、見栄を張り建前を重視し平気でウソを吐き、自己保身のために人を陥れ社会を嫌なものにしてゐるのであらう。

黒木昭雄氏といふ、警察でかなり不条理な思ひをされ退官された方の本を以前読み、投稿した ↓

http://blog.goo.ne.jp/liebe-kdino-schumi/e/2bf8f605e80037997506df961339e114

もし、黒木氏の上司が岡田氏のやうな思考の持ち主であれば黒木氏は辞めずに済んでゐたのではないか? 本書で取り上げられてゐる暴力団員による大学院生殺害事件は黒木氏も著書を出されてゐた(神戸大学院生リンチ殺人事件 警察はなぜ凶行を止めなかったのか)。黒木氏の著書は未読だが、岡田氏もこの時の警察の対応を問題視してゐる。

この著書は中々興味深い。きつと、警察小説を書く人が参考にしてゐると思はれる内容である。   

岡田氏が終始記述されてゐるご主張で、「起訴不起訴は検察の仕事、警察は捜査すること」とし「証拠がないから起訴できない」と検察が言ふのは当たり前で警察はその証拠を探すこと、あるが全く同感である。検察といふ「司法」の中に警察の位置づけがまぎらわしくなるやうなことがあるさうだが、岡田氏が主張されるやうに起訴か否かを警察は考えづに、証拠証人を検証して冤罪にならないやう、真犯人を逮捕してほしい。

警察の仕事は表には目立つことが無いが、大変重要な仕事だと思ふ・・・ (マスゴミは、自社(自身)のスクウプを意識するあまり、捜査の邪魔をしないでほしい。それでゐて不祥事があると大騒ぎをするが、マスゴミ自身のヘマにより犯人が逃げて市民生活が脅かされることになつた事件を警察は発表してもよひのではないかとまで思ふ)