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クロイツァーの肖像 日本の音楽界を育てたピアニスト

2016年04月29日 16時40分54秒 | 人物伝、評伝 (自伝含)

萩谷 由喜子氏の著書。
萩谷氏は音楽ジャーナリスト・評論家。東京都文京区生まれ。日舞、邦楽とピアノを学び
立教大学を卒業後音楽教室を主宰する傍ら、音楽評論を志鳥 栄八郎に師事。
専門研究分野は、女性音楽史、日本のクラシック音楽受容史。

新刊コーナーで見つけ、手に取つてみた。 クロイツァーといふ名前は全く知らなかつたので
あるが、ピアノを聴くのが好きなので表紙の葉巻を咥えたピアノを弾く写真と「日本の音楽界を
育てたピアニスト」といふ但書に気を魅かれて手に取つてみたのである。

口絵に並ぶ写真で「昭和19年6月14日付けのレオニード・クロイツァーの滞在許可証。
『國籍』の欄に『無国籍』と記載されている。1941年12月25日にナチスが発令した
『ライヒ市民法に関する第二命令』は、外国に居住するユダヤ系ドイツ人からドイツ国籍を
問答無用で剥奪した」といふ解説があり、日本に来るまでそして来てからの生活に興味が
湧いた。
さらに口絵をめくると、日本人女性と結婚してゐる。 

どんな人生なのかと読み進めて行くと、ロシアで生まれた方であるとわかつた。
この人は 「ある音楽家の美学的告白」といふ自伝を残してゐて、本書はそこから少し引用をしてゐる。
それによると、「両親は音楽家ではなかつたが高度な審美眼をそなえた音楽愛好家であつたこと、
息子のレオニードを幼いころから、ごく自然に良い音楽に耳を傾けることのできる環境で育てた」(P35)

音楽を聞かせるだけでなくピアノのレツスンも受けさせ、クロイツァー氏はめきめきと上達したらしい。

ロシアで暮らしてゐたが、ロシアのユダヤ人政策がユダヤ人に理解のあったアレクサンドル二世から
アレクサンドル三世に代はるとユダヤ人は居住場所や職業選択の自由をせばめられることとなつた。
クロイツァーはロシアを離れるが、そのうち1917年にロシア革命が勃発する。

本書ではこのロシア革命により日本に逃げてきた「白系ロシア人」についても少し触れてゐる。
白系ロシア人とは「ロシア革命とその後の内戦に際して、赤軍である革命政権を受容できずに
国を出たロシア人をアカに対する白の意味合いから『白系ロシア人』と呼んだ」(P64)人たちのことで
日本にも多くの人達がやつてきた。
白系ロシア人は中でも音楽関係者が多く、数々の日本人ピアニストを育てたといふ記述がされてゐる。

話をクロイツァー氏に戻すと、クロイツァー氏はドイツに渡り、ベルリン国立高等音楽学校の教授を
勤めてゐるが、ナチスの政策で職を追はれることとなる。それまでの間に来日し、演奏会などを
開催し成功を納め、当時の日本の音楽界と親交を持つやうになる。

ここで当時日本で活躍してゐる音楽家や音楽を学んでゐる人たちの紹介や貢献が書かれてゐるのだが
それも興味深い。

大正時代から昭和初期に、ピアノを習つてゐる家系はやはりそれなりの家柄の方々で今姿を消して
しまつたやうに思はれる華族の生活は平民の生活とは違つたものなのだなあ、としみぢみ実感しながら
読んだ。

ナチス政策が進められるドイツを離れて日本に再び来るのであるが、クロイツァー氏の出生である
「ユダヤ人」であることが影響し、他の外国人教授のやうに安定した地位が得られない日々を送る
こととなる。当時日本はドイツと同盟を組んでゐたので、ユダヤ人を安定した職に就けることは災い
を招くこととなるため、雇用しても「いつでも職は終了します」的立場となつた。

戦時中には外国人なので一箇所に収容される生活も送つてゐる。 しかし、クロイツァー氏は戦時中の
ドイツや日本での軟禁生活について「軟禁時代は南京虫に悩まされました」とジョークを飛ばすことは
あつても、不快な体験を話すことはなかつたらしい。

クロイツァー氏はそれからずつと日本に居住し、日本で多くのピアニストを育ててくれるのであるが
その人柄やレツスンのやうすなど、多くの弟子たちの証言が本書で紹介されてゐる。それを読んでゐる
うち、この人の演奏が聴きたくなりCDを探したところ図書館にあつたので聴いた。

あるピアニストに雰囲気が似てゐると思つたら、そのピアニストはクロイツァー氏に従事してた事がわかつた。
本書P206-208に「クロイツァーと批評」とあり1930年代からヨーロッパでは「新即物主義」と言つて
ひたすら楽譜に忠実である演奏を重視し、過度な表情づけを嫌ふ傾向が強まりこの考へが日本に
伝はつてくるとクロイツァー氏の演奏は「テンポが遅すぎる」「過度にロマン主義敵である」と批判される
こととなつてしまつた。

現在日本や世界で活躍してゐるこのピアニストも、同ぢ批判をされてゐる。
音楽や絵画など個人の好みが影響するものなので他人の批判は気にしなくてよいと思ふ。
私はクロイツァー氏の演奏はその雰囲気が好きだし、この人に従事したあるピアニストの演奏も好きだ。

クロイツァー氏はロシアに生まれロシア革命の直前に露からドイツへ移住、ナチスのユダヤ人政策により
国を追はれ日本で過ごすこととなつたが、この人の文化的遺産が今や殆ど日本にしかない。
ナチスの政策で独での功績が全部失くされたからだ。
本質を見ない政策は世界の為になる遺産を潰してしまふ見本を見た。

クロイツァー氏の人柄といふか、夫人と生徒に対する考へ方はこの言葉に表れてゐるのではないか?

「お料理が上手だ。縫物が好きだ。掃除がゆきとどく。子供のために日曜も一日働く。私はただそれだけの
世話女房を望まない。女の人にはもつと知性(インテリジェンス)がなければいけない。インテリジェンスが
あれば、女の人が自ら生活の主になつてすべてを上手に処理していくことができるようになる。私はトヨコ
(夫人)にいつもまず自分が音楽家であることを自覚しなさい、と言つている」(P271)

クロイツァー氏の死後37年間豊子夫人は音楽家として演奏活動を続けてゐる。 クロイツァー氏が亡くなられた
時には大層な悲しみとの証言がいくつもあるが、それを乗り越えて演奏活動を続けて行つたのは
クロイツァー氏の気持ちに添ふことをいつも考へられてゐたのかな、と思ふ。



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