読書おぶろぐ

読んだ本の感想を書いてます

虚栄

2015年11月15日 18時54分12秒 | 医療 (医療小説含)

久坂部 羊氏の作品。

この人の作品には批判もあるが、あたくしは現実を描いてゐると思ふ。そこに脚色があるのかだうか
本人しかわからないと思ふが。

そして、これまで読むにこの人は癌治療で、治る見込みのない治療を続けることに個人的に疑問を
お持ちのやうだ。 これまでの作品で、治る見込みがないのに治ると信じて治療を続け、残された
人生の時間を、自分の好きな事や好きな人と過ごすことよりも、病院にゐて治療を続けることを選んだ
方の「現実」も描かれてきた。

これに対して、「医者のくせに患者の希望を奪ふ」とか「治療したくないのか」とか批判をする人もゐるのだらうが。

医者にかかれば「必ず治る」と信じてゐる人は、人間が絶対にいつか死ぬことを忘れてゐる、と思ふ。

今までもこのおぶろぐで繰り返したが

「絶対に人間は死ぬ」 それは変へられない。 違ふのはいつ、だうやつて死ぬか、だけであり
死ぬのは変はらない。

なのになぜ、病気になると「治る」と信ぢて医者に行き治らないと医者を責めるのかわからん。
医者のはうが病気になるのではないかと疑はれる。

そして、その希望的観測に油を注ぎ、医者の対応をとりあげ煽情的に批判するのがマスゴミである。
あれが一番だうしやうもない。

最終的には、厚労省の方向を官僚に操られてゐたり、自分の利益のために官僚を動かすやうな
政治屋が医療の方向を操つてゐるやうで、マスゴミを信用しなくなりネツトであれこれの意見を見て
来ると、一部の人間の利益のために大勢の人が振り回されてゐるやうに思ふ。

この本は、「政治」「政治屋個人の利益」「医者の思惑=利益」「罹患する患者」といふそれぞれの
立場を表してゐて面白い。

批判をする人もゐるかもしれないが、これが現実なのだ、きつと


いつか、あなたも

2015年02月07日 21時09分03秒 | 医療 (医療小説含)

久坂部 羊氏の作品。

本書は、作家ご本人も記されてゐるが、「めずらしく」あとがきがある。
この本は、久坂部氏の実体験に基づいて書いてゐる本ださうだ。
だが、登場する2人の医師のモデルが久坂部氏であることは明かされてゐるものの
登場するクリニツクの看護師や事務員の方はフィクションと明記されてゐる。

主人公は在宅医療専門のクリニックの看護師。
この看護師の勤めるクリニツクは、在宅医療のケアなので訪問診療のみであり、クリニツクに
患者を迎えることはしない。

訪問して、患者の自宅で診察をし、必要な措置が出た場合は外部の病院を紹介するクリニツクである。

このクリニツクを中心とした、さまざまな患者の物語が短編となつてゐる。

題名の「いつかあなたも」 は

あなたもいつか死にます、それが在宅なのか・・・・といふ問ひかけといふか語りかけのやうな雰囲気で
つけてゐるのであらう・・・・と思ひながら読んでゐたら

とんでもなかつた。 それぞれ症例の違ふ患者の短編集なのだが、「いつかあなたも」は精神疾患を
患ひ、それを元に身体的に胃ろうや導尿カテーテルをつけてゐる患者の言葉なのであつた。

ここまでほんたうに酷いのか戸惑ひながら読んだ。

最初の「綿をつめる」では、文字通り自宅で亡くなつた方の遺体の処置を描いてゐるが・・・・
知らなかつた・・・・ これを読んだら人によつては食事ができなくなるであらう 

しかし

かうした処置をしてくれるからこそ、葬式の時に遺体が粗相をしないのだ・・・・と思ふと
こんな手間人様にかけたくない・・・・  海かなんかで泳いでる時に突然高波が来て攫はれて
行方不明で死にたい・・・・ と以前よりの願望をさらに強くした。

次の「罪滅ぼし」では、認知症が重度になると座ることもできないのかと愕然・・・・・
そんなになつてまで生きてゐたくない。 安楽死協会で認知症も対象にしてもらへないだらうか
(なつてゐるのかな?)

死体の処置はともかく
生きてゐるのに、生きてゐないやうな恐ろしい状態・・・ 人間ッてこんな状態にもなるのかと

個人的な事を言ふと、自分は安楽死協会に登録してゐて、何かあれば無駄な延命治療はしないで
ほしいといふ書類に署名してゐる。

本書は

自分で食事ができないのに、栄養チュウブをつけ、栄養液を注入されてゐるせいで死なずに
ただやせ衰え、寝たきりの患者が何人か出てくる

そのうちの一人は明確に安楽死を望む・・・・・

安楽死協会に登録してゐる自分としては、物が食べられなくなつた時点で死ぬ時を迎へて
ゐるので、死ぬべきと考へてゐる。

変な例へだが、野生動物は自分で狩り(食事)ができなければ死ぬ。 食べられないことは
体がもふ、終了を告げてゐることだと思ふ。

それを、身体に穴を開け養分を流し込み

息をしてゐる

状態を保つことに何か重要な意味があるのだらうか? 自分で食事もできないのは最早
生きてゐると言へないと思ふ

無駄な事はしてほしくないので、自分の最期は海で人知れず遭難して沈んで死にたいと思つた


悪医

2014年04月27日 16時34分44秒 | 医療 (医療小説含)

久坂部 羊氏の作品。

医師の気持ちと患者の気持ちが交互に出てきて まるで比較するかのやうに描かれてゐる、興味深い作品。

 

現在病院にかかつてゐない人は、比較的冷静に読み比べできる一冊であらう。


ここに出てくるのは癌患者


そして、がんの手術を多くこなす外科医

 

手術をしても、化学療法を行つても

 

いぢわるをするかの如く、がんが転移し復活してくる患者

 

その患者に対し、医師は 「治療法がもふない。余命は++位だから辛い治療に時間を割くよりも

好きな事をして時間を過ごしたはうがよい」 と考える

そして思つたとおりに口にする。

ところが患者の反応はだうか?

冷静な立場では言ふことが理解できる

 

しかし

 

がんになり、治療を延々続けてきた人間がこの台詞を言はれて、わかりましたと冷静に受け止められるのだらうか?

 

人の性格にもよるが、「なんといふ思ひやりのなさ」「治療がないなんて死ねと言ふのか」「治療放棄か」等々非難の言葉が浮かぶのは仕方のない事であらう・・・・

プロローグとしてその場面が描かれる。

患者は「俺に死ねといふのか!」と激高して診察室を飛び出してしまつた・・・  残された医師は、なぜそのやうに否定的に捉えられるのか理解ができない。そして、だう言へばわかつてもらへるのだらうか・・・と悩み続ける。

一方、治療法がもふないと言はれた患者は収まらない。 意地でも直つてやる、あの最悪の医者を見返してやると思ひ治療について調べ、見つけた治療法を試して行く。

そこに、とんでもない医者が出てくる。 金儲けが根底にあつたり、自分の論文を書くためのデータ採取のためであつたり、まあとにかく驚く。
きつと、実際にこんな医者がゐるのであらう。 ためしに「癌 治療法」で検索すると、この小説に出てきた治療法のサイトがまッ先に表示された。
ネツトの謳ひ文句もおなぢである。

医師から治療法がない、と言はれたら治りたい一心の人はいろいろな方法を試すであらう、それは批判できない。

この小説の主人公は、何をしても全く効かない・・・  精神的に追ひつめられ、荒廃していく・・・・ 

その他にも「死んでもいいから治療を続けてくれ」と繰り返す患者も出てくる。こちらも、その態度を批判できない。治療法がないから止めますと言はれ、希望を持てる人はゐない。 患者の身内は比較的冷静な人間が出てきて、患者を説得するも患者は聞かない。治療を受ければいつか必ず癌が治ると信じてゐる(信じたい)らしい。

この本は癌といふ病気の恐ろしさと、それに罹つたときの人間の心理・健康状態を一人の主人公を通じて淡々と描いてをり、自分ならだうするかなと考えつつ読んだ。 

以前から、読書おぶろぐで言つてゐるが

人間はいつか必ず死ぬ

生まれた時から死ぬときは決まつてゐる

死に方と、時期が人により違ふだけ

 

なのになぜ、人は「死」を受け入れられなくなつたのか?

 

歌舞伎を観るとわかるが

 

人が死ぬことが当然で死を受け入れてゐる時代の人のセリフは違ふ

 

「気を確かに」

 

と言ふが

 

ダメなものはダメ、と諦めてゐる

死にかける人も死ぬ覚悟がある

へたに長生きするやうな医療ができてから、マスゴミの大騒ぎとともに人は死ぬ覚悟をしなくなつた

だが、確実に死ぬ状態になつて行くとき

死に方を考えて行動するしかないし、治療法がありません、と言はれる病気になつたら死ぬ準備をして生きていかないと
大変だな・・・・と思つた

悲しいが、人間はいつか必ず死ぬのだから、せうがない・・・・  


神様のカルテ

2014年04月19日 16時27分02秒 | 医療 (医療小説含)

夏川 草介氏の作品。

夏川氏は大阪府生まれ、信州大学医学部卒。 長野県の病院にて地域医療に従事。
本作品にて第10回小学館文庫小説賞を受賞、映画化。

医療小説といふか、医師である栗原 一止を主人公とした、医療と医療を通しての人の生き方を描いてゐる作品。

栗原 一止といふ、夏目漱石 「草枕」を愛読書とする主人公の語り口と視点が面白い。

映画は観てゐないが、この栗原 一止の語り口を翔さんがやるのは似合つてゐるなあとイメイジしながら読んだ。

きつと、夏川氏が日々体験されてゐる地域医療を描いてゐるんだらうと思ひつつ読み、厚生労働省といふ机上の空論ばかりで
現場無視の政策が現場にどんな被害をもたらしてゐるのか、色々な性格・考えの医師がゐるといふこと、医療を離れた場での
何人かの登場人物との関り・・・・とこの作品が描いてゐることは幅広い。
しかも楽に読めるのもいい。 

医療に関する本は今までにもいくつか読んで、問題が多く医師にかなりの負担をかけてゐることは感じてゐた。

病気にならないことが一番いいんだらうけど、病気になつてしまつて医療の手を借りなければならない時に
きちんと受け入れる体制ができてゐない現状を感じる。

また、「病気予防」として検診だなんだとあるが、そこに群がる利権目当ての存在も多く「人」の姿よりも金等々
が浮かびあがる世界と感じてもゐる。

官僚とか政治屋は、コネでいい病院だ医師だ紹介してもらへるのだらうが

これを是正する気はないのだらうか?  今の総理は難病を抱えてゐるが、この小説に出てくる「安曇さん」のやうな立場とは
違つてゐるので

結局わからないのだらうか? 

いい小説だが、現状を考えるとむなしさを感じる・・・・ 

安曇さんの最期の場面に対し、栗原医師のとつた行動に対して反対する人もゐるのだらうが。

自分は賛成だし、自分があのやうな状況になつたらおなぢやうにしてほしい。

「生きてゐる」 といふことがだういふことなのか、も併せて考える作品。 これから 2 を読む。  

 


日本の医療 この人が動かす  海堂ラボ Vol.2

2013年05月25日 17時05分51秒 | 医療 (医療小説含)

海堂 尊氏の著書。

1巻を読んでないけど、図書館の新刊コオナアにあつたので、なんとなく取つてみた。

本書は12名の医師にインタビュウをして、その医師の活動を報告してゐる。

コンピューター診断、地域医療再生、心臓外科・・・ とあつたのだが、

「放射能問題」  鎌田 貫 を最初に読んでゐる。

放射能の件に関しては、 だういふわけか 「わざわざ嘘を吐く」 輩が多く、(ツイツタア、デマリン等)一体何が本当なのか全くわからない状況であつたので、読んでみたのだ。

鎌田医師はチェルノブイリの支援に参加し、東日本にも支援活動をしてゐる。

興味深いことが書いてあつた。
「石巻に拠点を置いて、千人風呂プロジェクトを立ち上げました。そこでは被災者の中からボイラー担当を雇いました。すると、仕事をみつけた人はリズムが出てくるんですね。子供たちから「お父さん、いってらっしゃい」と言われて家を出る。日当を支払うと復興し始めた街で食事や買い物をしたりする。そうすると、その家族はよりいっそう「立ち直ろう」という気になっていくわけです。

 このように、仕事や雇用が資本主義にとって大事なルールであるということを、NPOの人達はあまり考えませんね。たいていボランティアでお金や人を集め、何かを差し上げる、といった形の支援になる。しかし雇用の機会を広げる支援のほうが、その人の人生を考え直す一つのスタートになると思うのです」  (P211)

「千人のうちの130人の子供から健康診断を受けたいとの希望があつたので、信州大学の小児科の先生たちがボランティアで検診をしてくださいました。数人の子供に甲状腺の血液上の異常がみつかったのですが、被爆が関係していると断定できるようなことは全くなかった。

母親や子供たちは大変不安を感じていた。子供たちへのアンケート調査でも。20%の子供が眠れなくなったという。不安感を早くとってあげたい。なおかつ絶対に手遅れにならないように検診態勢を確立し、36万人の福島の子供たちを守る必要がある。

浴びないほうがいいことが前提ですが、少し浴びてしまったからといって気にしすぎると、かえってストレスで動脈硬化やがんのリスクが上がります。」 (P217-218)

太字の部分、マスゴミが読んで猛省すべきですね。 

それから、放射能の数値が高いから除染に効果があるとデマを流して自社製品を宣伝してゐた会社とか(サイトに日本海を東海と書いてゐましたから、デマがお好きなやうですが)、とにかく金になるから

原発反対、放射能反対、子供を守れと連呼してゐた人達は

そのデマによる自己満足と利益の追求が、当事者の方々をどんなに不安に陥れたか少し、考へるべきですね (朝鮮人にはできないでせうが)

この人たちのデマ、により不安で精神的なものから病気を発症した方もゐるかもわかりません。 デマによる不安でがんになつた人がゐたら、放射能と原発のせいにして大騒ぎするのでせうが、汚らしい。

取材にバカみたいに行つて、子供にくだらないインタビュウをしてゐたマスゴミ、こいつらも人を不安に陥れ体の不調を起こさせてゐたかもしれません。

もふ一つの弊害は、デマを流す奴がゐるから、鎌田医師のやうにきちんと活動をしてゐる人に対して、疑心暗鬼になつて寄付等がなされず活動に障害が出てゐることも考へられます。 正直、あたくしも疑つてゐる団体がいつも駅前で寄付を募つてゐるのを見ます。寄付する気持ちにはなれないです。

経産省前で不法占拠して「命を守れ」、とやつてゐる人たちも、きちんと活動してゐる人の足を引ッぱつてゐると思ひます。 

人を不安に陥れて間接的に病気のリスクをあげてゐながら「命を守れ」とは何の妄想でせう?

今後、何か起きた場合には 一人ひとりが情報をあらゆるところから集め、精査し、「それこそ冷静に」対処することが重要です。