松本 清張氏の作品。
ドラマにもなつたことがあると思ふ・・・ 北野武氏が鳥飼警部補を演じてゐた記憶があるが観てゐない。
書かれたのが昭和32年といふ時代なので、物語はその時代のべえすに沿つて書かれてをり
時刻表
青函連絡船
電報
夜行列車
など、情緒あふれるもの、と書いてしまふのだが。
当時の人にとつてみれば、もどかしい中にも「人」「風景」があり
何もかも便利になり時短となつた現代から見ると、うらやましいやうな一面もあつた
それはさてをき
松本 清張といふ人は、すごいな・・・と思はされる作品である。 執筆が昭和30年前半、今から50年は経過してゐるのにドラマ化が未だにされるのであるし、本作品など今を予見したやうな内容なのである。
先日、清張氏の「半生の記」を読み記事を投稿したが・・・・
人間といふものはさまざまな経験をして苦労をある程度しないといけないのかな、と思ふ作品であつた。
松本清張氏は小学校を卒業後当時のハロワのやうなところで仕事を紹介してもらひ、その後職を転々とする。朝日新聞に図工として20年勤務するのであるが、その中で学歴差別を経験する。氏は決して「学識」のある人ではない過去を生きてきたのである。
にも関はらず、このやうな世間を見通した内容の小説が書けるといふのは、いったいだうしたわけなのか?
元々の天性もあり、観察力の鋭さもあり・・・ といふ「人」としての特性なのであらう。 勉強だけしてゐても必ずしもいいといふわけではないと励みになるやうな人である・・・・
本題に入るが
安田、といふ機械商工を営む男は彼が関はる役所の役人をたびたび赤坂の料理屋へ招待してゐた。料理屋の女中、女将からも上客である。
その安田に誘われて2人の女中が昼間食事に出かける。食事がすんだら安田は鎌倉へ行くので、東京駅まで送つてほしいと2人に頼む。東京駅まで見送りに来た女中と安田が東京駅のホウムで見たのは、別の女中と見知らぬ男が九州方面の特急に乗り込む姿であつた。
数日後、その二人の心中遺体が九州で発見される。毒物の入つたビンが遺体の脇にあり、二人並んで死んでゐるやうすから「情死」と判断されるのであるが、奇妙なことに男のポケツトからは列車の食堂車を一人で利用した食券が出てきた。
博多署の鳥飼刑事は疑問を抱くのだが・・・・
安田がわざと、二人の姿を目撃させたのではないか? 安田の犯行ではないか、と警察が捜査するも次々と壁が出てくる・・・・
しかし。
トリツクは思はぬところにあつた。
そして、そのトリツクとは・・・・・
この時代からそんなに腐敗してゐたのかと思はざるをへない位、今の世を反映してゐる背景があつた・・・・・
かういふことを見通して書ける松本清張といふ人は、何を見つめて生きてきたのか・・・・