読書おぶろぐ

読んだ本の感想を書いてます

車椅子のJリーガー

2017年02月04日 17時39分10秒 | 人物伝、評伝 (自伝含)

京谷 和幸さん、陽子さん共著のお二人の人生の一部の記録のやうな本。
ドラマになつた原作本でもある。

京谷 和幸さんは、元Jリーグ・ジェフ市原のミッドフィルダー。
交通事故で引退。現在(平成12年)福祉関係の仕事に従事。
2000年、車椅子バスケットの日本代表選手として、シドニー・
パラリンピックに出場。

京谷 陽子さんは古河電工勤務を経て、京谷 和幸さんと結婚され、
一男一女の母。

本書は三部構成になつており、第一部は陽子さんが語り、第二部は和幸さんが
語り、第三部は二人で語つてゐる。

本書を読むきつかけになつたのは、最初に書いたドラマを見たからであるが
そのドラマに違和感を抱いた。
脚本、といふか最初の15分で酷い脚本だと思ひ、観るのを止めやうかと思つたが
観つづけて、疑問ばかりが残つた。 主人公がなんだかかなり「嫌な」人物に
描いてあるし、ほんたうにこんな人なのか、こんな生活だつたのか疑問が
湧いて仕方がなかつたので読んだのである。

結果、ドラマの脚本の酷さにびつくりしたと同時に、随分お二人とそのご家族に失礼な
内容に仕立てあげたんだなぁと、元々好きでなかつたそのテレビ局がますます
嫌ひになるくらい、本書から感じたお二人の人柄と、ドラマと正反対の現実に
驚いた。

ドラマはさておき、本に書かれたことから感じたことはこのお二人がかなり
根本的に明るい人達だといふことである。
ご家族もお二人の意思を尊重し、助けが必要な時に助けてくれるといふ理解の
ある方々で、 大変な状況の中よく乗り越えられてきたなぁと感心することばかり
だつた。自分だつたら、かなり悲観的になつてこんなに次々進めないだらうと
思ふことも沢山あつた。

その他、「車椅子で過ごしてゐる人の体の状態」について全く知らないことばかり
だつたので、その大変さに驚いた。

「感覚がなくなる」といふことの意味を本書で初めて知つた。
ただ「感じない」だけでなく、体温調節がある部分から出来ない、尿意も便意も感ぢづ
トイレのトレーニングをする必要がある等々、車椅子で外出してゐる人は大変な
状況を抱えて外出してゐるんだと初めて知つた。

ドラマでは、このやうな現実の日々の大変さやそれを乗り越えて外に出ていくことが
できるやうになつた部分を変に削つて、バカみたいなことばかり流してゐた気がする。

障害を抱えた人を見たら、声掛けといふのを 見聞きするがこの人達の障害の状態
を何も知らないでお手伝いできるのかなとか、色々考えることもあつた。

体が思ひどおりに効かないだけでないやうな状態の中、バスケツトやテニス等
スポオツをする人たちは、ほんたうに凄いと思つた。選手の上半身の筋肉が凄いけど
この本を読んで、一部ですが状況がわかつた。

オリンピツク選手も凄いけど、パラリンピツク選手の凄さはまた別の凄さがある。 


天皇陛下の全仕事

2016年12月10日 16時09分01秒 | 人物伝、評伝 (自伝含)

山本 雅人氏の著書。

山本氏は昭和42年東京都生まれ。学習院大学文学部日本語日本文学科卒業後、
産経新聞社入社。整理部、さいたま支局社会部を経て、現在特集部記者。
社会部時代の平成15年~17年2月宮内庁記者会で皇室取材を担当された経歴
をお持ちの方。

「本書は「天皇」がいつ、どこで。どのような仕事をどのくらい行っているのかを具体的
に明らかにしよう、と書かれたものである。」P3(はじめに、より)

「本書を書くきっかけになったのは、宮内庁の担当として実際に毎日見る以前と以後の
「天皇像」に大きなギャップがあり、一般の人もほぼ同様なのではないかと思ったからだ。
「はじめに」でもふれたが、学校教育で習う「天皇」は「国事行為のみを行う存在」として
であり、その国事行為も憲法条文の項目をあげるだけで、「衆院の解散」「総選挙の公示」
など数年に一度しかないものが複数含まれている。そのようなこともあり、天皇陛下の
公務の量的な面について、誤解が生じてはいないだらうかと感じていた」(P361、おわりに)

の部分に書かれているが、実際自分は「全仕事」がどんなお仕事でどのくらいの量があるのか
全く知らなかった。

陛下が「お気持ち表明」の中で申された「天皇のしての仕事」といふことについて興味が
あつたところに、この本を知つたので読んでみた。

以下は目次だが、これらがお仕事となつてゐる。ただ行かれたり参加されたりするだけでなく
事前に知識を得るべく、講習を受けられたり書類に目を通されたりとかなり時間を要する
事ばかりで、読んでゐるだけで「これは大変なお仕事だ・・・」と呆然とする部分が結構
あつた。しかも、日程も自分では決めらない。土日もなにもない・・・・

半分くらいまで読んで「呆然」としたので、陛下が「天皇の仕事を全うすることが
難しくなつてきた」と表明されたことの意味を少し知ることとなつた。

メデイアは「開かれた皇室」などど称して宮様たちのプライバシイばかり焦点を中てるより
天皇皇后両陛下のお仕事、皇族方のお仕事、お仕事を全うするための努力にも
焦点を中てた報道をすべきだと思ふ。 

有識者会議云々が報道されてゐるが、陛下と皇族の方々のご意見を伺つてゐるのか
反映されてゐるのかが疑問。当事者の方々のご意見を伺はづに話を進めるのは
止めるべきと思ふ。

早急に皇室を失くすべく戦後あれこれやつた米国が国際法違反をして押しつけた
憲法なる条文とそれに付随する皇室典範なる条文を破棄し、明治の先人たちが
制定した憲法と皇室典範を復元し、それらを現代に合ふやうに見直した上での
話合ひをすべきと思ふ。

目次:

1 信任状捧呈式
2 天皇の住まい
3 皇室の構成
4 「天皇の仕事」の内訳――どのような仕事をどのように
5 「公的行為」とは何か
6 執務――書類の決裁
7 皇室祭祀(宮内祭祀)はどのように行われるか
8 皇居・宮殿での儀式・行事
9 国際親善の仕事
10 宮内晩餐会
11 外国訪問
12 地方訪問
13 福祉施設訪問と被災地お見舞い
14 追悼と慰霊の旅
15 国会開会式と戦没者追悼式
16 拝謁と会釈
17 さまざまな儀式・行事
18 式典出席や文化の振興
19 進講と内奏
20 伝統文化の継承――稲作と和歌
21 展覧会、コンサート、スポーツ観戦
22 静養と研究
23 スケジュールはどのように決まるのか


天才

2016年08月13日 21時59分19秒 | 人物伝、評伝 (自伝含)

石原 慎太郎氏の著書。

昭和47年日本の総理大臣となつた田中 角栄氏の人生を石原氏が一人称にて
書き上げた一冊。

田中氏と言へば、その印象はロッキード事件で5億円もらつた人、といふ印象しかない
といふか、殆ど無知な状態だつたのだがこの一冊でいろいろわかつた。しかも一人称
で思ひでばなしのやうに書いてあるので、わかりやすい。

父親が馬を持つてゐてお金に関する苦労の話から、上の学校を進められるも諦めた事、
東京に出てくるきッかけとその後の変化など、この人凄い人生を来たんだなと思はざるをへ
なかつた。

頭は、とてもよかつた人なんだなといふのが読み進んでいくうちに強くなつたが
金権政治を作り上げたのもやはりこの人なのだらうと思ふと、頭がよくて日本の将来を見て
行動してゐたのにそこが残念に感ぢた。

新幹線、高速道路等々地方のことを念頭に置いた政治活動はこの人が始めたことだつたと
は知らなかつた。 しかし、新幹線や高速道路は首都から地方に分散するといふこの人の
狙ひよりも、地方のはうが発展する仕方を知らづに逆に人が東京圏内に出てくることになつて
しまつた皮肉な結果になつてゐるやうに思ふ。

今、やうやく官公庁が首都圏から移転の方向を進めてゐるが同時進行すればもつと違つた
形になつてゐたのかもしれない。

金権政治が始まり、首相が頻繁に交代するやうな国民無視のばかな政治が形づくられたのが
この人からの時代なのだらうといふ印象はぬぐへない。

国民とか国を無視し、どの派閥から誰を出して総理にするのかなどといふことに時間と金を
使つて政治の堕落を招いた印象もぬぐへない。

その結果、有権者がうんざりして自民党大敗、民主党政権を呼んだやうな気がする。

だが、田中角栄氏は日本のためにいいこともしてゐたらしい・・・・ 知らなかつたことだが。
そして、それが米国の機嫌を損ねたためにロツキイド事件といふものを仕立てあげられ
失脚させられたのではないかといふ印象も持つた。

米国の内政干渉はかねてから感ぢてゐたが、こんな昔からこの姑息な事をやつてゐたのかと
いふ思ひと、日本のマスメディアのろくに取材もせずに大騒ぎするばかな傾向がこの時から
あつて、日本の足を引ッ張ッてゐたのだといふ至極残念な思ひが交錯した。

田中 角栄氏の政治活動だけでなく、プライバシイも書いてゐて大丈夫なのかと思つたが
既に著書が出てゐるので大丈夫らしい。

政治屋と芸者さん、おめかけさんとの間の子供の関係ッてほんたうにあるんですね・・・・ 

著名な人の奥さんは大変だなあと思ひつつ、なんでそんなにお金が持てるのでせうかと
いふ疑問がいろいろ湧きました・・・・

ほんたうに国民のために潔白に仕事をする人は、政治屋にはなれないのかもしれません。


朝鮮雑記 日本人が見た1894年の李氏朝鮮

2016年05月28日 17時06分51秒 | 人物伝、評伝 (自伝含)

本間 九介氏が1894年4月17日から6月16日にかけて「二六新報(にろくしんぽう)」といふ
日刊新聞に掲載してゐたもの。連載が終了した直後に書籍として出版された。
有名なイザベラ・バードの「朝鮮紀行」より4年早く刊行されてゐる。

本書を監修したのはクリストファー・W・A・スピルマンといふ1951年生まれのポーランド人。
2005年から2015年まで九州産業大学教授、ロンドン大学アジア・アフリカ研究院(SOAS)
日本学科卒、エール大学大学院歴史学研究科博士課程修了、博士。(PhD,日本史)
専門分野は近代日本政治思想史、とくに国家社会主義やアジア主義の研究に定評がある方。

巻末の「解説」はスピルマン氏が書いてゐるが、解説から先に読むとこの本の内容や
背景が理解しやすい。 表紙裏にある氏の解説の抜粋が興味深い。

「当時、アジア主義という思想を抱いていた一人の若い日本人が、国家の近代化とか何か、
欧米の帝国主義とアジアの関係はいかにあるべきかといった、壮大な問題について思索を
めぐらせながら生み出した作品でもある。そうした点にこそ、今日、『朝鮮雑記』が再出版される
意義があるのではないかと思われる。

監修者としては、この書籍が広く一般の日本人に読まれ、いままでほとんど語られることの
なかった歴史への新たな議論が起こることを願ってやまない」

なぜ日本人の学者でこのやうな考へをする人がゐないのであらう?

勿論、歴史の事実を追求し研究してきた人達はゐるがほんの少数であり、反日思想の
マスゴミはほとんど取り上げず、支那・朝鮮の歴史捏造にばかり加担してゐる。

本書は日刊紙の連載記事なので、長い記事も時にはあるがほとんどが短編のものである。
本書を読むと朝鮮人が日本の併合時代にあれこれ被害に遭つたと主張することが
嘘だとすぐにわかる。

まづ、作者の本間九介がかなり朝鮮語を勉強した旨が解説にあるが、朝鮮人の主張通り
朝鮮語禁止され日本語強制されたなら、本間氏が朝鮮語勉強する必要はない。

P74娼妓に驚く事が書いてある。

「彼の国の娼妓は全て人の妻妾である。中略 夫は自ら妻の客を引きまた自ら馬となつて
揚げ代の請求に来る。これは彼の国の社会の通常である」

慰安婦強制連行があつたなら朝鮮の男は黙って見てたのかとの疑問があるが、強制連行どころか
自ら差し出してた事があつたやうである。 像を世界に建て被害を叫んでゐることがとんでもない
恥さらしになるのではないか?

P85「朝鮮全土至る所男色が流行しない場所はない。ソウルに至っては良家の子供たちといっても
美しい服をつけて市街を横行し公然とその尻を売る。あっけらかんとして恥じる様子もない」

TVが二丁目やオネエだの取り上げてゐた意味がわかつた。 今声高にあれこれ主張する
「性的マイノリティ」にも怪しい団体が結構あるが、日本で「差別」を叫ぶ集団は根柢でつながつてゐる。
これもその根幹が同ぢ民族ではないかと疑ふ。

朝鮮人はよく豊臣秀吉の朝鮮出兵を非難してゐるが、そのおかげで田植えの技術を学んだとの事。
それ迄は籾種を直に水田に蒔いてゐたらしい。(P101)

P202-209に市街と料理店、旅館について書いてあるが日本人なら卒倒する不潔さ。
新大久保が糞尿臭いのは今も朝鮮人が変はらないといふ証拠だらう。これを読み認識した上で
旅行や朝鮮人経営の店に行つたはうがよい。マスゴミは報道しない自由を行使するな。

P211から記述されてゐる「漁民保護」の主張を読むと竹島襲撃・漁民殺傷誘拐の前から日本人漁民が
朝鮮人の被害に遭つてゐた事がわかる。本当に関はつてはゐけないし友好の虚言の下に迎合するな。
入国・滞在させるのは日本人を危険に晒すだけ。

この本を読み進む程、朝鮮には関はつてはゐけなかつたし今後も関はるべきではないとよくわかる。
西洋が朝鮮に出て行かなかつたのは投資する価値がないと知つてゐるからと書いてあるが、
本当に我が国も放置しておくべきだつた。

本間 九介氏は時として、朝鮮人が気概がないことを嘆き日本がなんとかしてやらなくてはと
記述してゐるが今、朝鮮人には関はらづに放置して勝手にしておくべきだつたと心から思ふ。

朝鮮人に関する表記を読むと、今も昔も全く変らない民族性がよくわかる。そして日本人とは
決して相容れない民族だともよくわかる。 断交するのがお互ひのためである。


チェリー・イングラム 日本の桜を救ったイギリス人

2016年04月30日 17時14分50秒 | 人物伝、評伝 (自伝含)

阿部 菜穂子氏の著書。
阿部氏は1981年国際基督教大学を卒業、毎日新聞社記者を経て2001年8月から
イギリス・ロンドン在住。
2014年春から1年間毎日新聞紙上で「花の文化史」に関するコラムを執筆するなど
近年はエッセイストとしても活動といふ経歴をお持ち。

一言で言へば、当時欧州で起きてゐた「ジャポニズム」に影響され旅の途中で日本
立ち寄りを希望し、そこで日本文化と日本の自然、桜を目にした英国人が桜に没頭する
人生を過ごしたといふ話であるが、これが中々興味深い。

まづ、このコリングウツド・イングラムと言ふ人の生い立ちといふか、家柄である。
一言で言ふと、英国の富裕階級の家の出なので、子供の頃から続けてゐた鳥類の研究
をそのまま継続し、研究者としての道をずつと歩んでいくことが出来るといふ、かなり恵まれた
人である。 

仕事らしい仕事に就いてゐるやうすがなく、祖父と父の起こした事業により多数の不動産を持ち
自身で仕事をして日銭を稼ぐことなく研究に没頭できるといふこの環境だからこそ、出来た桜の
保護活動と研究であらう。

イングラムの日記や手紙からの引用が面白ゐ。 初来日した際の日記
「日本の女性は本当に魅力的だ。髪を美しくまとめあげ、身に着けた派手な着物と帯が色彩的によく
マツチしていてまるで絵みたいだ」「恥しがるでもなく彼女たちは私の機嫌を取りにきた。日本の女性は
人を喜ばせることを極上の喜びとしてゐるかのようだ」

浮世絵の世界がほんたうにあつたのだと実感させてくれる記述。
イングラムは初来日で桜を見るが、当時のジャポニズムのブウムにより日本の桜が欧州に輸出され
始める。 

日本では今や「染井吉野」一色となつてゐる桜だが、実はすごく多様多種なのが桜であり、江戸時代に
武家おかかへの植木職人たちが競つて桜を交配させ、新種の美しい桜を創り上げてゐた。また、
山にある山桜は自然交配し、色々な種類があつた。 それらの多様な桜が日本から欧州に輸出されて
ゐたので、イギリスには多くの桜がある。

その桜を広める役割を果たしてくれたのがコリングウツド・イングラムであり、本書はその活躍を
紹介してゐる本であり、日本人の桜守や植木職人との交流やイングラムが作り名づけた新種の桜
など様々な桜があることを紹介してくれてゐる。

同時に多種多様な桜があつた日本でなぜ染井吉野一色の風潮になつたのか、その結果「桜の風景」
が今と昔では異なつてゐること、「昔の日本の桜の風景」が今イギリスにあることなどもわかり
面白ゐ。

大正15年桜に憧れ、再来日したイングラムの日本の印象が興味深い。
「近代化」「文明化」を目指した日本の風景は「東洋の街並は消滅しその同じ場所に超西洋的な恐ろしく
巨大で醜いビルが建ち並んでいる。
私の目には日本が西洋の文明をあまりにも速く大量に、ひと息に飲み込もうとしているかに見える。
この国は美的感覚を失い猛烈な消化不良を起こしている」 (P44)

日本人が文化や芸術の発展に力を入れていた時代西洋からは野蛮人だと言われた、といふ
外交官の言葉を引用し「この外交官の言う野蛮な時代を懐かしむ。その頃並外れた芸術・園芸文化があり」(P80)
といふ英国人の意見を見ると今政府が行つてゐる「外国人の意見を取入れ、日本を国際化」する事は日本を失くす事では
ないかと思ふ。

そもそも、国際化を声高に叫び繰り返す連中は外国人が何を観に日本に来るのかを無視してゐる。
「外交」を主張し海外に行きまくり東京にブロオド・ウエイを作るなどとホザゐた舛添といふ人間は外国人が
世界文化遺産である歌舞伎の1幕を4等席で観るために1時間以上並んでゐる事実を無視してゐる。

ブロウド・ウエイなどより日本独自の文化継承と発展に税金を使ふべきである。それを観に外国人が来れば
外国人観光客など自然に増えるのである。

イングラムが美しさに感嘆した時代は「島国日本が長期間にわたって平和と繁栄を享受し芸術と伝統美を
追求した徳川時代」(P47)だそうで、政府や舛添が言ふ外国人観光客を増やす為の今後の予定がいかに
見当違いであるかを教えてくれてゐる。西洋文化増やさう政策の奴は要注意だ。
 
この本は確かにいいが、いきなり終章に英国人捕虜問題が出てきて償いの桜を送る話とか日本だけが悪いと
いふ「いつもの風潮」が終盤出てくるのは残念。戦後補償で話がついてゐるのに蒸し返すなら自国の植民地政策
の横暴虐殺差別をまづ謝罪賠償したらと言ひたくなる。元毎日記者と岩波のタッグ怪しんで読んでゐたのだが、
最後の最後に「やはり」といふ気持ちでほんたうに岩波の本は残念だ。(毎日新聞のいい加減さは朝日と殆ど
変らないのは既に判明してゐるが)
 
本書に出てくる聞きなれない桜は、一部がこちらに植えられてゐる。 あまり綺麗に撮れなかつたけど・・・
浜離宮恩賜庭園 http://liebekdino.exblog.jp/13461207/