読書おぶろぐ

読んだ本の感想を書いてます

完訳 紫禁城の黄昏 (上)

2011年01月28日 13時29分50秒 | 政治関連・評論・歴史・外交

祥伝社黄金文庫版の完訳、上下巻のうちの上巻。

R.F.ジョンストン氏の著書で、映画「ラストエンペラー」の原作。ジョンストン氏は1874年スコットランドのエディンバラに生まれ、オックスフォード大学を卒業。1898年香港英国領事館に着任、1919年皇帝溥儀の家庭教師に就任、宮廷内で唯一の外国人としてその内側を見聞する。本書はその貴重な記録である。1930年英国に帰国後ロンドン大学教授に、1938年逝去された。

訳者、中山 理氏、監修は渡部 昇一氏である。

監修者前書き(P8 -16) によると本書は、岩波文庫で先に翻訳されてゐるのであるが岩波は原書の第一章から第十章までと、第十六章を全部省略してゐるらしい。  Shock 4

理由が岩波の訳者たち(入江陽子、春名徹両氏)は「主観的な色彩の強い前史的部分」だからださうだ。(P9)

訳を飛ばした理由の意味がわからないが、説明を求められた返答の意味がさらにわからない。

第一章から第十四章までの上巻はスコットランド人による中国(満州帝国と満州人、漢人)の歴史の説明のやうな流れであるが、「西洋的視点」で書かれてゐる本や誤つた理解を正す記述を度々してゐる。これが気に入らないのであらうか?

ともかくも、本を書いたジョンストン氏は記述するにあたり構成を組み立てる段階で色々考へ、理由があつて書いてゐるはづであつて、訳者が「主観的な色彩が強い」と言ふ印象で訳をせづに本書の内容を削るといふのは間違つてゐると思ふ。ましてや本書の上巻をまるまる削除し、下巻のうちの一部を削つて原作の題名をつけて出版するなど、詐欺行為に近いのではないだらうか?

岩波は戦後の公職追放令で飛ばされた人の代はりに左翼と言ふ名の嘘つきが随分入り込みそのまま居座つたらしいが、その影響なのだらうか?

だとすると、「左翼」といふのはとてつもなく許されない嘘つきであることは間違ひない。

個人的な感想では、上巻は1898年にジョンストン氏が香港へ着任してから1924年までの中国大陸の歴史と、外国人の目から見た満州人、漢人の思想や生活、皇帝の存在、親王たちのやうす等々が大変興味深くつづられてゐる。

これを削る意味がわからないが、監修者の渡部氏は「岩波文庫版は中華人民共和国の国益、あるいは建て前に反しないようにいう配慮から、重要部分を勝手に削除した非良心的な刊本であり、岩波文庫の名誉を害するものであると言ってよい。」(P10) と記述されてゐるが、同意見である。しかも、岩波の訳本は原文の正反対の意味を書いてある部分もあるらしい。(P10ー11) 岩波への信頼がこの一冊で無くなつた。

削られた部分は、先に述べたやうに歴史なのだが特に西太后と袁世凱の人柄について事例をあげて詳細に記述してあり、これが中々興味深い。この二人が歴史に大きく影響したことは間違ひなく、もし岩波が渡部氏の主張どおり「中国の国益や建前に反しないことを配慮した」なら、世に出したくないだらう。

そして、もふ一つ「世に出したくない」と思はれるところがある。

東京裁判では、日本が溥儀を皇帝にしたて傀儡政権として満州を統治したといふことになつてゐたやうであるが。

溥儀は、最初から満州の皇帝であつたやうである。「最初から」といふのは、漢人と満州人のゐる満州朝廷に溥儀が少年の時に皇帝として即位したときの記述に一言も日本のことが出てこないのである・・・ 溥儀の結婚に関しても記述してゐるが、そこでも日本のことは出てこない。これから勝手に判断すると、満州国の皇帝溥儀の即位は当時の中国大陸で、満州人と漢人との間で行なはれ、自分たちの手で統治がなされてゐたことになる。ただ、辛亥革命において満州朝廷は共和国の樹立にあたり、「皇帝はすべての政治的権力を剥奪され、手元に残つたのは有名無実な称号と、巨費を呑み込むばかりで役立たづの宮廷を維持するだけの、無益な特権だけだつた」(P396)

そして第十四章 「内務府」(P395-423)。これは、満州朝廷の財産を食い尽くした役人の腐敗(宦官制度)について記述してある。これも中国は世に出したくないであらう。

しかし、この章を読んでゐて、非常に似た図式が存在してゐることに気付いた。日本の官僚である。財を握り、法を設立し、政治家を操り自分たちの庇護はなんとしてでも行ひ、ツケは増税といふ世間に回し政治家を矢面に立たせ、失脚させる・・・ 全くそッくりだなと思ひながら読んだ。

下巻でどのやうなことが書いてあるのか、大変興味がある。同時に下巻で削られてゐる部分に一体何が書いてあるのか・・・ それも併せて読んでいきたい。

 


僕が1人のファンになる時

2011年01月23日 19時25分26秒 | エッセイ

堂本 光一氏の「F1グランプリトクシュウ」の連載に加筆・修正したもの。

光一氏のF1好きはファンの間で有名であるが、連載記事のほかにツインリンクもてぎにあるホンダコレクションホール、ブリジストン、アライ、プーマへの体験取材も掲載した本。

本書は光一氏がF1を好きになった理由、光一氏が考えるF1の魅力、好きなF1ドライバー、光一氏を惹きつけてやまないフェラーリ、光一氏のなかの「F1と日本」、光一氏の仕事とF1のほか体験取材が掲載されてゐるのであるが。

共感することが多かつた、一冊であつた。

特に「第二章 僕が考えるF1の魅力」「第三章 僕が好きなF1ドライバー」そして「第五章僕の中の『F1と日本』」は共感・同意見の部分があり、改めてさうだよね、さうだよね・・・と思ひました。

「セナとシューマッハーは特別な存在」(P62-69)も勿論、「シューマッハーのプロ意識に感銘」(P70-74) は全く同意見です。それから、「ライコネンの仕事観への共感」(P76-78)も同感です。ライコネンはクールで、マシントラブルでリタイヤしたときもチームを責めることは言はづ「これがレースなんだ」と淡々としてゐました。そこに人間的な格好よさを感ぢたものです。

逆に、知らなかつたことを知つて「嗚呼、さうなんだ」と思つたのは「第四章 僕を惹きつけてやまないフェラーリ」「第六章 僕の仕事とF1」。今まで舞台やコンサートを観てゐたが、嗚呼これでもふ少し光一様を彼が望む角度で見られるかな?と思つた。2月にEndless Shock に行くのでそのときに少しでも光一様が望む角度で観るやうにゐたします。

「なぜ日本人はF1で勝てないのか」(P122-)ですが、一部共感と感ぢてゐたのは日本国内に留まつたままであると、交渉ベタなのと同ぢで自己主張が弱いところがあります。ヨーロッパの人など、昔から陸続きで違ふ民族と交渉をしてゐますので、自己主張が強いし交渉(かけひき)が大変上手い。これは感心させられたのと同時に、「なんか遠慮してるな・・・」と思はづにゐられないところが今までのレエスで多々あつた。

しかし、昨年の小林可夢偉選手はそんなことを吹き飛ばす走りと自己主張があつた。なので、期待してをります。堂本氏が記述されてゐるやうに、佐藤琢磨氏も走り(自己主張)がよかつた・・・ F1から離れたのは残念だつた。

堂本氏が記述されてゐるやうに、「なぜ日本ではF1がメジャースポーツにならないのか?」は個人的意見ではマスゴミだと思ひます。御存知か知りませんが、F1レエスを放送してゐるのは地上波はフジテレビが独占であり、しかも深夜放送です。これでは普及しないのも無理はありません。サツカアなどのやうに各テレビ局が順繰りに放送・番宣しないことは一つの大きな要因だと思ひます。夕方のおにゅーすなどでもF1レエスが日本(鈴鹿)で開催されることを放送するのはフジテレビだけです。これではF1を知らない人は多いと思ひます。

堂本氏が「世界最高峰の舞台で日本人選手や日本のメーカーがすごく頑張つているのに、なぜ日本の人たちはもつとサポートをしないのか?それがすごく残念ですし、不思議です」(P116)と記述されてゐますが、マスゴミが一社独占などとやつてゐるから他のマスゴミが宣伝も貢献を報道もしないのです、と思ひます。(トヨタなど参戦したときには会社を揚げてであらう、観客席が「トヨタ」の地帯が多々ありました)

鈴鹿に10年かけて通つたあたくしとしては、「僕の愛する鈴鹿」(P125)の鈴鹿サーキットのコーナーに関する記述に関しても同意見です。約1時間半かけて、徒歩で一周したことがありますが、それゆえコースのアツプダウン、コーナー、シケイン等々面白さが凝縮されたサーキットだと思ひます。

それから、知らなかつた「フェラーリ特有のドライビング」(p101)  渋滞で半クラツチになるとクラツチが熱を持つて警告音が鳴るので、前の車とスペースを空けてからビューンと加速して半クラツチの状態を解除する必要がある・・・とは!! 

一度、公道でみて「何カッコつけてんだ」と思ひました、光一様がお書きになつてゐるとおりのことを思つてをりました・・・・ごめんなさい  理由がわかりましたので、今後フェラーリが急加速を地道にやつてゐるのを見たら、「半クラツチを解除してゐるのだな」と思ふやうにゐたします。 

昨年など、ほとんどF1を観なくなつてしまつてゐたけど(セナやシューマッハーの走りをする人がゐないこと、シューマッハーも復帰したけど「不調」でテレビに映らないことが原因)、しかしシューマッハーに関しては堂本氏が記述してゐるやうに「近いうちに僕たちをふたたび驚かせるようなドライビングを見せてくれると思っています」(P74)とシイズン後半に思つたし、この3月の開幕戦からまた観やうといふ気になりました・・・

どんな姿も似合ふ堂本氏であるが、レーシングスーツはことさらであった。。。。


My lucky life ありがとう武士道 

2011年01月19日 17時45分28秒 | 人物伝、評伝 (自伝含)

サム・フォール氏の自身の人生の回想。

サム・フォール氏は1919年イギリスジャージー島に生まれ、1937年英国海軍に入隊、39年海軍中尉に任官され42年第二次大戦のジャワ沖海戦において、乗艦「エンカウンター」が日本軍に撃沈され、一昼夜漂流ののち海軍少佐(当時)工藤俊作艦長率いる駆逐艦「雷(いかづち)」に救助され、日本軍の捕虜として3年間の生活ののち45年無事帰国。2年間ドイツの英国占領地区民間管理局・管理委員会に勤務後外交官に転じ、中東・マレーシア勤務を経てクゥエート大使、スゥエーデン大使、シンガポールおよびナイジェリアの高等弁務官を歴任し、「サー」の称号を与えられた経歴の方である。

フォール氏自身の生まれたときからの回想録であるが、寄宿舎での学生生活から海軍に入隊するまで、海軍での生活、捕虜生活、その後の外交官としての生活が描かれてゐて興味深いことが多い。

フォール氏はイギリス人でありイギリス政府の役人といふ立場なので、その視点から見た中東情勢、英国植民地であつた東南アジアの見方が興味深い。

また、フォール氏自身が書いてゐるやうに「イギリス人は北欧の区別がついてない」といふエピソードがイギリス政府の関係者の実名とともに紹介されてゐる。スゥエーデンでのスゥエーデン政府関係者との会合での挨拶において「ノルウエーの皆さんに乾杯」と言つたといふエピソードが堂々と書かれてをり、かなり驚く。逆に、イギリス人のかのやうな面を頭に入れておけば、日本において同様のことをしたときに「イギリス人といふのは、世界の国々の区別がつかないんだ」と思つてをけば、いひのだらう。

フォール氏自身の回想で興味深いのは「第四章 ジャワ沖海戦」「第五章 戦争捕虜」である。日本軍への見方は勿論、驚いたのは捕虜としての生活のやうすが「捕虜」とは思へない記述があるからである。東京裁判にて、日本軍の捕虜虐待に関してBC級戦犯といふ犯罪が起訴され裁かれたが、かのやうな生活もあつたのかと驚く。

東京裁判では、日本の行為は「侵略戦争」として裁かれたがフォール氏の記述によるオランダ領であつたインドネシアでは「われわれは上陸し日本国旗で飾られ、野次を飛ばすインドネシア人たちが立ち並ぶ道路を通り、なんとか収容所まで行進した。インドネシアは勝負のあの時点では、日本人を、ヨーロッパの抑圧からのアジアの解放者として見ていたのである」(P88)。

フォール氏は脱走を企てインドネシア人の船でオーストラリアへ向かふ計画を立てる。その際にフォール氏は「インドネシア人は日本人に優しく、われわれには敵意をもっているようだった、と口を挟んだ。ヴァン・オルフェン(脱走を一緒に企てた者)は気にしなかった。彼は、勿論住民は身の安全を考えて日本軍を歓迎している風だが、その船長はオランダ人を裏切らないといった。私は当時どれほどインドネシア人がオランダ人を嫌っていたのか知らなかったので、彼の自信に満ちた言葉をそのまま受け取った。(中略)ところが突然大騒ぎが起こり、日本兵が怒鳴り声をあげ金切り声で何か命令していた。(中略)オランダ人数人が脱走を計ったのだ。(中略)彼等は収容所を脱走して数分も経たないうちにインドネシア人が裏切って日本人に売り渡したのだ。」(P89-90)

この部分は、興味深いものであつた。同時に、「植民地政策を長年続けてきた側の視点」と「植民地にされてきた側の視点」の隔たりがわかる。このほかにもフォール氏が赴任した中東で現地の政府にあれこれ発言することは、「イギリス帝国主義」として捉へる立場があり国内で対立があり情勢が安定しない事情の話もあつた。

これらを読んで、以前読んだインドのパル判事の東京裁判の判決の主張が、東京裁判の検事を務めた「帝国主義」国とは違つてゐたことをなんとなく理解した。(パル判決書をすべて読んだわけではないので、これから読む必要があるが)

戦争捕虜となる前に、乗つてゐた艦船が撃沈され一昼夜漂流するのであるがその後日本の駆逐艦に救助された場面、その後の日本軍の対応に対してフォール氏は記述してをり、本書の扉の部分には「私の人生を幸運に恵まれたものにしてくれた妻メレテ、わが子のスティナ、サム、アンナ・キャサリーナ、ヘレナにまた私の命の恩人である大日本帝国海軍少佐、故工藤俊作に本書を捧げる」と書いてゐる。

フォール氏は海外赴任を重ねる中でも工藤少佐の消息を探し続け死去してゐることが判明した後も墓所を探し2008年に来日墓前に参じし献花を行なつてゐる。(P313に写真あり)


風化水脈 新宿鮫VIII

2011年01月18日 11時24分03秒 | 小説

大沢 在昌氏の「新宿鮫」シリイズ八作目。

一作目から順を追つて読んできたが、「道を外れたキャリア警官」鮫島と鮫島を理解する上司桃井、鑑識の藪の登場人物の活躍がこの作品でも健在。

八作目まで、それぞれの作品に前作や前々作での出来事が散りばめられてをり、読むなら壱から順に読んだはうがわかりやすい。勿論、その作品だけを読んでも十分楽しめる。

警察に関しては、故黒木昭雄氏の体験本を読み驚くことが多かつた。それと同時に刑事ドラマや小説など、随分と現実と相違があることがわかつたが、大沢氏の作品の「警察事情」といふのは一番「現実」に近いのかなと思ひながら読む。現実に近い、と言ふよりは「鮫島」と言ふ主人公を通して現実社会を警察といふ面から描いてゐる部分もこの小説にはある。新宿鮫が「刑事もの」に終はらない理由ではないかと思ふ。

七作目で鮫島は「警察批判」「日本批判」をされる犯人と対峙する。その犯人の考へを変へるべく活動していく姿が描かれたが、それは一作目から本作まで共通したものであり、それだからこそ新宿鮫が長く支持されてゐる理由なのだらう。


333のテッペン Tokyo Mystery Tour

2011年01月16日 20時16分03秒 | 小説

佐藤 友哉氏の作品。

佐藤氏は1980年生まれでこれまでに発表した著書でメフィスト賞、三島由紀夫賞を受賞されてをりますが、あたくしはこの人の「発想力」が好きです。

本著書も佐藤氏独自の発想力がふんだんに発揮された作品となつてをります。

本著書は4作品が収録されてゐますが、主人公である土江田、その土江田の過去をほのめかせながら作品は進み、土江田のほかに登場する探偵赤井を中心に物語りは進みます。

確か、一番最初に読んだ佐藤氏の作品の感想を投稿した際に「この人は小説(本)が好きなのだと伝はつてきた」とかなんとかホザゐたと思ひますが、本作品でも佐藤氏の本好き、本好きに付随した探究心が現れてゐます。