読書おぶろぐ

読んだ本の感想を書いてます

モンスター

2014年06月28日 15時13分34秒 | 小説

百田 尚樹氏の作品。

映画にもなつた http://www.youtube.com/watch?v=v_x27kp1bHU

正直、映画にはあまり興味がなかつたので見なかつた。 何気なしに原作を読んだのだが

人の心理が延々と書かれてゐて、圧倒されるといふか、なんかとにかくすごかつた。

なぜか

それは、子供のころから ブス と言はれ続けてきた人の心理であり、強烈だつたからである
作品の中で主人公が語つてゐるが

「たんなるブス」ではなく、「ほんたうのブス」、ブスを超えたブス、の心理なのである。

自分の顔について、子供の頃には確かに気になる。 思春期には誰が格好いいとかモテるとか
校内の話題になるし、顔を始めとした容姿を考えない人はあまりゐないであらう

ほんたうに、最底辺の心理、を延々と描いてゐるのである

こんなところまで考えるの? いつもこんな事考えてるの? と驚くところもある。

この作品の面白いところは、ブスと言はれる女性の心理だけでなく、美人に対する男の心理・反応
も書かれてゐるところだ。

「バケモノ」と呼ばれた主人公は美容整形を繰り返し、「超絶な美人」になる。
その費用調達の部分についても、この小説は読ませる面白さがある。

また、美容整形についてもいろいろ書いてあるので、そこも興味深い。 こんな手術するのか・・・、こんな
方法でやるのか、と感心する。

この小説は美容整形等だけではない。 この「底辺のブス」とされる主人公が高校時代に憧れる
男子生徒が登場する。そして、思ひあまつてある事件を起こす・・・・
と様々な要素が出てくる。

主人公はこの事件を起こしたせいで、故郷にはゐられなくなる。 その後の東京に出てきてからの生活、
そこで主人公と関はつた人達との心理のやりとり・・・・

様々な場面で人間の心理が描かれそれがまた面白さを引きだしてゐる。

ただ、主人公の心理にはいささか病的なことを感じざるをえないが・・・・・・

その主人公が完全な美人となつて故郷に帰つてくる、その目的は・・・・

最後のシインで主人公はこれ以上にないほど幸せな状態だつたんぢゃないかな、と思ふ。

エピロオグがあるが、それを知らない主人公はこれでよかつたんだよね・・・・と。


金子 堅太郎 槍を立てて登城する人物になる

2014年06月14日 16時22分21秒 | 人物伝、評伝 (自伝含)

松村 正義氏の著書。

松村氏は1928年福井県生まれ。1952年東京大学法学部卒業、同年外務省入省。
ニューヨーク領事、米国コロンビア大学東アジア研究所客員研究員、帝京大学教授などを歴任。
著書は「ポーツマスへの道」「国際交流史」等。

本書は大日本帝国憲法(明治憲法)制定に関つた金子 堅太郎氏の伝記。

金子 堅太郎、といふ名前は聞くもどのやうな人物でどのやうな活躍をされたのか学校では深くは取り上げない。
明治・大正・昭和を通じ官僚、政治家として国際的な活躍を見せた人らしい。

いかにして大日本帝国憲法制定に関ることとなつたのか、等興味があつたので図書館の新刊コオナアで見つけて何の気なしに借りてきた。

嘉永6年(1853年)現福岡県福岡市中央区に生まれる。同年6月にペリーが来航してゐるのが驚く、そんな昔の人だつたのか。

明治4年(1872円)岩倉具視遣外使節団に伴つて渡米する旧藩主黒田長知に従い、黒田家から米国留学を命ぜられ、
横浜出航。明治11年(1878年)帰国。米国滞在中法律学(ロースクール入学)を学び、社交界に入る。米国人の知り合いも
多くでき、大変な親米家となる。 帰国後はよく手紙を送つて心情を打ちあけてゐたとのこと。

明治12年にこの方、専修大学の下になる学校を設立されてゐたのですね。 興味深いのは金子 堅太郎がE・バークの学説に
通じ、それを紹介してゐることだ。バークは保守主義の父と言はれる人で http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A8%E3%83%89%E3%83%9E%E3%83%B3%E3%83%89%E3%83%BB%E3%83%90%E3%83%BC%E3%82%AF 中川八洋氏もその説を支持してゐる。
金子堅太郎はただのアメリカかぶれでなく、日本といふ国を大事にする「保守主義」の思想を持つてゐたのであらう。
今の政治屋と官僚に不足してゐるのはこの思想である。 

だから平気で外国人に日本人の金をばら撒き、日本人が死んでもだうでもよく移民で人口を保たうなどとバカな発想が出るのだ。
日本人が構成しない日本などただ国籍を持つた外国人の集まりで、それはもはや日本ではない。

明治17年、制度取調局の長官となつた伊藤 博文よりじきじきに長官秘書官に任命される。 明治憲法と皇室典範の起草に関る。

明治22年(1889年)各国議院制度の調査のため随行員4人と共に米国経由で欧州へ出発。
この時から明治40年あたりまで江戸時代に幕府が結んだ不平等条約の撤廃をするための尽力、日露戦争、日清戦争に米国を味方に
つけるべく尽力とこの人が日本のために動いてくれたのかがわかる。現在の害務省とはエライ違ひだ。

害務省と言へば、この著者も外務省出身の方だが記述がをかしいところがある。
日本の朝鮮併合、これに関して著者の記述は「侵略」となつてゐて間違つてゐる。 
外務省の人間はなぜこのやうな間違ひを平気で書くのだらう?それとも出版社が直させてゐるのだらうか?

これまでの外務省の無能・怠慢・無働きぶりを見てゐて思ふのは、間違つた歴史を東大などで学び(卒業式に国歌斉唱も国旗も掲揚せず、シナ朝鮮留学生への配慮などとやつてゐる税金の無駄学校)、そのまま是正の機会もないと平気で嘘を信じ、周りが変つてきても疑問すらもたなくなるらしい。 

はつきり言つて、このやうな行為は日本の害だ。また、東大への進学率が圧倒的な某A学園だかは、国旗の掲揚をしないと学長が発表してゐる。 この精神で来て、金子堅太郎のやうに親米に傾きながらも日本の為に働くことができるのか?

否であらう。 外務省より以前に中学高校の段階で日本を守る保守思想の勉強をさせ、正しい歴史を勉強させるべきだ。さうしないと金子堅太郎のやうな人間は育たない。

世界の政情が不安定となり、昭和14年(1925年)米国で排日移民法が成立するとそれに抗議して日米協会長を辞任し、完全な嫌米となる。
この彼の姿は日本人が一度嫌ひになつたら二度とその相手を信用しないといふ性質のモデルのやうに見える。