読書おぶろぐ

読んだ本の感想を書いてます

記者になりたい!

2011年03月31日 17時30分22秒 | 人物伝、評伝 (自伝含)

池上 彰氏の半生記とも言へる本。

池上氏は「こどもニュース」「学べるニュース」でお馴染みの方である。池上氏は昭和25年長野県松本市生まれ。慶応義塾大学経済学部を卒業後NHKに記者として入局。東京報道局社会部、その後ドキュメンタリー番組制作にも携る。89年ニュースキヤスターとなり2005年3月に退職し独立された。

一冊の本から新聞記者に憧れ、マスコミ受験を決めるところから始まり、NHK入局後の地方局勤務、東京に戻つての各部署の勤務、警視庁担当、災害担当とこれまでの池上氏のNHKでのお仕事と取組のやうすが興味深い。

同時に、「わかり易いニュースと解説」の土台となるご経験、ご経験を通じて「伝える」ことを考えてきた池上氏の人柄がわかる。 通読して、「だからあんなにわかりやすく伝えることが出来るのだな」と納得した。

第十章「ジャーナリズムについて考えてみよう」は、マスゴミと呼ばれる現在のメディアの在り方などがまとめられてゐる。NHKに在職してゐた当時に起きた2005年1月の朝日新聞による「NHKの番組をめぐり、NHKの幹部が自民党の有力政治家二人に呼ばれ、放送中止などの圧力を受けた。その後、番組はNHK幹部によって改変された」といふ報道に関する記述もある。ここでの池上氏の記述は興味深い。

「それは、この問題をめぐって開かれたNHKの記者会見で記者会見当時のNHKの幹部が、放送予定の番組内容を政治家に説明するのは『通常業務』と述べた点だ。 これにはぼくは、大きなショックを受けた。NHKは視聴者が払う受信料で成り立っており、税金が使われているわけではない。だから国営放送ではなく、『公共放送』と呼ばれている。しかし、その一方で、国民の代表のチェックを受けるという意味から、その予算については、国会の承認が必要とされている。そこで、予算案を国会で認めてもらうため、予算案や今後の事業計画を国会議員に説明する、ということが行なわれる。このとき、特定の番組について国会議員に説明することが『通常業務』だという発言が飛び出したのである」(P301)

初めて、NHKの受信料と国会での予算案承認の意味を知りました。池上氏はこの幹部の発言の背景を説明しつつ「こんな発言が出てしまうことをぼくは残念に思う」と述べられてゐますが、同感です。

P302 に池上氏のこの件に関する記述があるが、同感である。

今後、記者に戻ることを宣言されたが、リポートを楽しみにしてゐます。


救命拒否

2011年03月27日 16時02分16秒 | 医療 (医療小説含)

鏑木 蓮氏の作品。

事故現場などで救命に向かふ消防庁の救急救命士、外傷外科医を取り巻く物語。

鏑木氏はデビュウ作で江戸川乱歩賞を受賞されてゐるだけあつて、推理小説と分類していひのだらうか、犯人が誰かといふ内容が多いのだが佛教大学を卒業されてゐる背景なのか、人間の心理と宗教を思ひ起こさせるものが作品に散りばめられてをり、この作品もそれがよく出てゐる。

特にこの作品は救急救命士、医師が登場するので、余計人間心理が強く感ぢられるのかもしれない。

場面は、大阪Sホテルの多目的ホールの爆発事故に救急救命士中杢が駆けつけたところから始まる。 多目的ホールでは当日、組んで仕事をしてゐる外傷外科医の若林が講演を行なつてゐるところであつた。

中杢の懸念どおり、頭に大怪我を負つた若林を発見する。現場には若林のほか、大勢の怪我人がゐた。中杢はトリアージ・タッグをつける作業を開始する。そのとき、若林が「私に・・・ブラツク」とつぶやいたと思へた。

「トリアージとは生存者をより多く見出し、その命を守るために行なう優先順位だ。優先順位の最も高く、緊急治療を要するのが赤色、次いで準緊急治療が黄色、軽度治療を示すのが緑色でそれぞれのトリアージ・タッグを患者につける。そしてもうひとつ、死亡もしくは生存の可能性がない者には黒色をつける。救命というカテゴリーから外れるのだ」(P7)

大阪府警捜査一課の岸、倉吉が捜査を進めると若林が過去に事故現場で黒色のトリアージ・タッグをつけ亡くなつてゐる女性がをり、その女性には婚約者がゐたことがわかつた。 岸と倉吉は若林に対する怨恨で捜査を進めるのだが・・・・

身内や親しい者からすれば、誰でも最初に自分の関係者を診てほしいと思ふであらう。しかし、死傷者多数の現場では、救命するか否かの選別が行なれる。冷たい言ひ方になるが、助かる見込みの無い人に治療時間をかけるより、見込みのある人に治療時間をかける・・・ さういふ状況の中での判断と対処になる。

「黒色」をつけられた身内の心情としては、「もしかしたら助かつたのに、黒をつけられたから死んだのでは」と思ふ人も出てくる。

その人間の心情を中心に、話は進む。

自分個人としては、生に執着も無いし「人間は必づ死ぬ、死に方が違ふだけ」といふ見解なので、事故で死んだらそれはその人の人生がそこで終了したのだと思ふ。事故現場での救命士の対応だの医師の対応だのにあれこれ言ふつもりはない。その事故で助かつても、最期は死ぬのだ。なので、何を大騒ぎするのか全然わからない・・・・・・と思ひつつ読んだ。

思ひだしたのは、以前読んだ本で「災害の現場に医師は行きたがらない、なぜならトリアージに横から文句をつける輩がゐるからだ」と言ふ内容だつた。自分の身内に黄色とか緑をつけると、「緊急なのだから赤にしろ」とか黒にすると「助かるかもしれないのに見殺しにするのか」等の文句をつけるらしい。

今回の社会現象で「人間、自分が一番だな」とつくづく思つたが、この本を読んでトリアージに文句をつける行為を思ひだし、この小説も人間心理が色濃く出てゐたので「人間は自分が一番なんだよな」と改めて思つた。

しかし

「あの時・・・・・・だつたら助かつたかもしれないのに」といつまでも言つてゐたり、この小説の登場人物のやうに「最期のやうすが知りたい」と延々思つてゐるのがよくわからない・・・ 考えても仕方のないことではないか・・・・? これが積もりひん曲がると「恨み」となるので、気をつけやうと思つた ・・・・・・ 


アマルフィ

2011年03月25日 10時09分41秒 | 小説

真保 裕一氏の作品。同名映画の原作。

「後記 (P370) 」によれば、映画のプロツトつくりに参加しないか、と打診がありコンセプトに基づきストーリーを詰めて行つたのださうです。小説は「当初のプロツトを基に仕上げてあります。最初のアイデアが捨てがたかったためであり、映画とは違う点もいくつかあります」とあり、映画と小説の両方が楽しめるのはいひなあと思つたのが、まづ一点。

小説で書かれたものを映画化すると、賛否両論の出来になつてゐることがあるがこの作品の場合は映画と小説が異なると作者が明言してゐるので、それぞれ別物として観ると楽しめるであらう。

映画はまだ観てないが(元々映画をあまり観ないので)、小説のみの知識でいくと、「外務省の人がだう思ふかしらないが、一般的な役人に対する意見を痛烈に表してゐるなあ」といふ感想が最初からあつた。

これを織田裕二が言ふのだから、かなりインパクトの高い「イヤミ満載」の痛烈な皮肉となつたであらう。(是非映画を観たくなる)

個人的には、真保氏の他の作品で映画化されてゐないものでも、「織田裕二が演じることをイメエジして書いてゐるのかなあ」と思ふものがある。この作品は最初から織田裕二の主演が決まつてゐたやうなので、織田裕二をイメエジしながら読むと「ぴつたりだなあ」と思つた。

真保氏の作品は、スケエルが大きい印象もあつたがこの作品も同様だと思ふ。


龍神の雨

2011年03月22日 12時13分18秒 | 小説

道尾 秀介氏の作品。

道尾氏は1975年生まれ、2004年「背の眼」で第五回ホラーサスペンス大賞特別賞を受賞しデビュー、2005年に「向日葵の咲かない夏」で注目を浴び、2007年「シャドウ」で第七回本格ミステリ大賞受賞した。

「ホラーサスペンス」「ミステリ」で大賞、特別賞を受賞されてゐるだけあつて、この作品も最初から最後まで息を吐く間がない。

論評に「ミステリの技法を駆使して人間の深層心理を巧みに描き出す手腕は、高く評価されている」とあるが、この作品は「人間の深層心理」を何重にも織り成してをり、その心理に基づくサスペンスなので、「クライ」と言へばそれまでだが、読み応えがある。

この人は最近エツセイを出してゐるので、普段エツセイはあまり読まないのだが興味が出た。

そんな興味を起こさせる作品である。


カストロは語る

2011年03月20日 20時22分58秒 | エッセイ

フィデル・カストロ氏が国営新聞「グランマ」に連載してゐる「フィデルの考察」の翻訳書。

キューバを旅行した際に、アメリカの経済封鎖およびテロ(と思ふ)の被害を知り、窮状といふか老朽に唖然となつたが、それに負けづに生活してゐう人々そして医療費無料など福祉の日本よりも充実してゐることを知り、感嘆した。

カストロ氏の考察力や観察力、論理的思考にも感嘆してゐたが、本書ではそれを堪能できると思ふ。

一番最後の三回にわたる掲載「わたしたちが絶対に忘れないこと」は、日本のピイスボウトの人たちとの会談となつてゐて、こんな活動の交流があつたのかと驚いた。

カストロのやうに、大国に堂々と反論できる人はさうゐないと思ふ・・・・・・