重要なニュースが国内外で次々と続いたこともあって、世間ですっかり小さな扱いとなってしまったが、5月31日に69歳で亡くなった尾崎紀世彦さんのことを書いておきたい。
なかなかの頑固者だった尾崎紀世彦さんは、自分の人生が終わりに近づいてきていると悟ってからも、マイペースを貫く姿勢を崩さず、ごく側の人間にしかその状態を話さなかった。
一部のマスコミが「失踪!」と騒いでいたのを生前知っておられたとしても
「俺ゃ、もう動けなくてそれどころじゃないんだよ」
と苦笑しておられたろう。
ずいぶん以前に体調を崩した時に所属事務所が
「元気でなければ紀世彦の歌ではない」
と発表したこともある。
最晩年には病魔の攻撃が容赦なく続き、お歳の尾崎さんの姿を知っている者が見ても驚くほど痩せておられた。 それでも病院を抜け出してライブハウスに出没して飛び入りで歌ったと聞けば、最後まで思うところに任せて生き抜いたと信じたい。
亡くなったと知った夜は、やり切れなさに涙が止まらなかった。 今は落ちついて振り返られる。
『また逢う日まで』はあまりに名曲だ。 しかし、キーヨが歌った数々の他の曲も皆さんに聴いて頂きたい。
なかなかの頑固者だった尾崎紀世彦さんは、自分の人生が終わりに近づいてきていると悟ってからも、マイペースを貫く姿勢を崩さず、ごく側の人間にしかその状態を話さなかった。
一部のマスコミが「失踪!」と騒いでいたのを生前知っておられたとしても
「俺ゃ、もう動けなくてそれどころじゃないんだよ」
と苦笑しておられたろう。
ずいぶん以前に体調を崩した時に所属事務所が
「元気でなければ紀世彦の歌ではない」
と発表したこともある。
最晩年には病魔の攻撃が容赦なく続き、お歳の尾崎さんの姿を知っている者が見ても驚くほど痩せておられた。 それでも病院を抜け出してライブハウスに出没して飛び入りで歌ったと聞けば、最後まで思うところに任せて生き抜いたと信じたい。
亡くなったと知った夜は、やり切れなさに涙が止まらなかった。 今は落ちついて振り返られる。
『また逢う日まで』はあまりに名曲だ。 しかし、キーヨが歌った数々の他の曲も皆さんに聴いて頂きたい。
尾崎さんらしくマイウェイでした。
残念でなりません。
本当に『マイウェイ』で逝ってしまわれましたね。
もしも、あの声量と技術が維持されていたなら、まだまだ活躍されてもおかしくない年齢でしたのに……
病気が憎いです。
大好きな歌手がまた一人去り、考えれば悲しみが再び押し寄せてきます。
在りし日の雄姿を思い出しつつ、私たちは前を向いて歩いてゆくしかないのでしょうね。