東京マラソンが昨日行なわれ、約3万人が参加し、ほとんどの走者が完走したとのことである。
以前から思っているのだが、世の中は「走る人」と「走らない人」に分かれる。 斯く云う私は「走らない人」に属している。 もっと詳しく説明すれば「走るのが苦手なので、必要に迫られなければあえて走ろうとしない人」だ。 マラソンなんぞは言わずもがなである。
それでも学生時代は水泳と柔軟系運動が他の学生より得意だったし、野球観戦好きが高じてソフトボールをしていた頃もあった。
しかし、そもそも球技全般は基本的に走らなければ、お話にならないのだ。 走ってナンボ――サッカーの試合等を観ていると、走りづめの競技ならではの選手生命の短さがよく解るというものだ。
決して短距離走のほうが得意なわけではないけれど、中学時代にトラックを1000mも走らされる授業があって、悲壮な決意のもとに参加する破目に陥った。 そこで、マトモにやれば明らかにブザマな姿を人目に晒すと判断した私は或る作戦に出た。
まず最初のトラック1周目を、持てる力を出し切って前から2番手ぐらいを全速力で走る。 観戦する人達からは声援が飛ぶ。
だが、当然のことながら2周目には息があがってしまい、突如失速する。 ゴールインした時には、後ろから2番目。
友人達は駆け寄り、尋ねてくる。
「大丈夫? 途中で調子悪くなったの?」
以前から思っているのだが、世の中は「走る人」と「走らない人」に分かれる。 斯く云う私は「走らない人」に属している。 もっと詳しく説明すれば「走るのが苦手なので、必要に迫られなければあえて走ろうとしない人」だ。 マラソンなんぞは言わずもがなである。
それでも学生時代は水泳と柔軟系運動が他の学生より得意だったし、野球観戦好きが高じてソフトボールをしていた頃もあった。
しかし、そもそも球技全般は基本的に走らなければ、お話にならないのだ。 走ってナンボ――サッカーの試合等を観ていると、走りづめの競技ならではの選手生命の短さがよく解るというものだ。
決して短距離走のほうが得意なわけではないけれど、中学時代にトラックを1000mも走らされる授業があって、悲壮な決意のもとに参加する破目に陥った。 そこで、マトモにやれば明らかにブザマな姿を人目に晒すと判断した私は或る作戦に出た。
まず最初のトラック1周目を、持てる力を出し切って前から2番手ぐらいを全速力で走る。 観戦する人達からは声援が飛ぶ。
だが、当然のことながら2周目には息があがってしまい、突如失速する。 ゴールインした時には、後ろから2番目。
友人達は駆け寄り、尋ねてくる。
「大丈夫? 途中で調子悪くなったの?」