何故にこうしていることに対しての、違和感に悩んでいるのでしょうか?
誰か教えてほしいと思っていた頃が懐かしい気もする。いつかは変わるだろうとは感じていたが変わったとするならば感情を無理にコントロールしないということなのかもしれない、自分なんだけれど自分でない部分に関していえばコントロールが効きすぎているおかげで暴走をとめることができた。最終ラインをどこかでは感じてはいるんです。
助けて、助けてと心で叫んでみても誰の耳にも届きはしないのに、わかってもらえる日が来るなんて信じていたんだ。成長はしていないな、ばかだなと思い返してみても、あの時点では違和感そのものが僕の問題そのものでした。絶対信じないという頑さで僕の視界に靄をかけてしまった、たぶん僕の頭には人の声がよく聞こえていなかった、というより耳を塞いでいた。
聞く耳ももたなければ、話すべきことも見つからない、直視するほどの目も持ち合わせていない。
助けて、助けてと思いながら助けを求めることができないというのも、ある意味不幸なのだろう。
誰か教えてほしいと思っていた頃が懐かしい気もする。いつかは変わるだろうとは感じていたが変わったとするならば感情を無理にコントロールしないということなのかもしれない、自分なんだけれど自分でない部分に関していえばコントロールが効きすぎているおかげで暴走をとめることができた。最終ラインをどこかでは感じてはいるんです。
助けて、助けてと心で叫んでみても誰の耳にも届きはしないのに、わかってもらえる日が来るなんて信じていたんだ。成長はしていないな、ばかだなと思い返してみても、あの時点では違和感そのものが僕の問題そのものでした。絶対信じないという頑さで僕の視界に靄をかけてしまった、たぶん僕の頭には人の声がよく聞こえていなかった、というより耳を塞いでいた。
聞く耳ももたなければ、話すべきことも見つからない、直視するほどの目も持ち合わせていない。
助けて、助けてと思いながら助けを求めることができないというのも、ある意味不幸なのだろう。