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日々是好日

身辺雑記です。今昔あれこれ思い出の記も。ご用とお急ぎでない方はどうぞ・・・。

田母神空幕長解任で思うこと 「日本の空を米軍から取り戻そう!」と云えばよかったのに

2008-11-04 11:00:06 | Weblog
昨日(11月2日)私が田母神俊雄論文「日本は侵略国家であったのか」が300万円とは高すぎるなる記事を認めたのは、田母神(たもがみ)空将が懸賞論文で政府見解と明らかに異なる意見を公にしたことが航空幕僚長としてふさわしくない、という理由で電光石火の早業でその職を解かれたとのニュースに触れ、なぜ政府がそれほど慌てないといけないのかと解任の経緯に関心を持ったからである。未だにその舞台裏は詳らかにされていない。

航空幕僚長と云えば重い職である。「政府見解と明らかに異なる意見を公にした」と云うだけの理由でそんなに簡単に解任されるのだろうか。私は田母神俊雄論文「日本は侵略国家であったのか」を評価するものではない。それはブログにすでに記したとおりである。しかし、それとこれとは問題が異なる。「公にする」をどう受け取るのか、いろいろと解釈がありうるが、ここではごく一般的に「世間に知らせる」という程度に受け取ることにする。『壁に耳あり障子に目あり』を持ち出すまでもなく、話として口に出したもの、もしくは人目に触れるような形で文章を書いたりすればそれはもう公になっているのである。田母神空将の同じような趣旨の文章が昨年5月の空自隊内誌「鵬友」に掲載されていたとのことであるから、政府見解と明らかに異なる意見がとっくの昔に公開されていたのである。それなのに今ことさら慌てる理由が分からない。

私は自衛隊を憲法改正して制式軍隊にすべきだとの意見をもっているが、それはさておき、現行の自衛隊はもろもろの災害から国民を守ることに徹してくれればそれでよいと思っている。その職務さえ全うすれば自衛隊員が個人的に歴史をどうとらえようとそれは自由である。違う考えの人と意見を交わすのも自由だし、またそうでなければならない。それがたまたま『政府見解』と一致しようと異なっておろうとそんなことは問題にならない。私自身にしてもこのたび問題となった『政府見解』の中身なんて知っちゃいない。『村山談話』も中身は知らない。必要とあれば調べるが、私人となった今、『政府見解』なるものに何の興味もない。その時の状況の産物に過ぎないからで、ただただ形式的な扱いをしておればよい程度のものである。これは新制中学校で教科書を墨で黒々と教師に云われるままに塗りつぶした私の世代の多くが抱く思いであろう。

たとえ自衛隊の中でも隊員各自の思想及び良心の自由が保障されるのは当然である。それは内心の自由であるが、それを外部に表明する自由もありうるとの立場では、隊員が自分の判断で人前で意見を述べるかまた黙っているかは各自の自由である。ではそうかと云って自衛隊の、昔の位で云えば、二等兵(最下級の兵隊)から大将に至まで『政府見解』と異なる意見を同じように公にしてよいかとなると、現実的な制約があるのは私も認めざるをえない。今回の解任劇はこの現実的な制約が表面化したのである。となると問題はどの階級まで今回のように『政府見解』とどこかで齟齬するようなことを発言すると降格されるのだろうと云うことである。仮に二等兵までそうだとするとこれは完全に思想・言論の自由の抑圧である。

戦前では大臣級が親任官、次官・局長級が勅任官、課長級以下が奏任官というように官職の格付けがあり、大将は大臣級と同格の親任官であった。私なりの感覚で云えば、親任官、勅任官級までは『政府見解』の遵守を職務規約に明文化すればよいと思う。そういう規約に縛られるのが嫌なら、昇進を断るだけのことである。解任された田母神空将がそのような決まりのあることを承知しておれば、「これほど大騒ぎになるとは予測していなかった」と云うようなことはあるまい。政府にそのような決まりがあれば今回の解任劇もそれなりに納得がいくというものだ。

このようにブログを書き進めている間にも田母神氏についてのニュースがネット上に現れてきた。YOMIURI ONLINEによると《政府見解と異なる論文を投稿して更迭された田母神(たもがみ)俊雄・前航空幕僚長(60)の処遇は3日夜、定年退職という異例の形で決着した》(2008年11月3日23時12分??読売新聞)そうである。まさにBLITZKRIEG並の早業、ぜひ『実戦』でもわが自衛隊はその力を発揮して欲しいものである。

またasahi.comは《論文は本や雑誌の引用がほとんどで独自の研究とは言い難いとの指摘には「書かれたものを読んで意見をまとめた。現職なので歴史そのものを深く分析する時間はとれない」》(2008年11月3日21時26分)との記者会見における田母神氏の弁を伝えている。私は11月2日の上記ブログで《論文を読んでみた。新しい知見なり主張があればと思ったが何も無い。この論文の特徴を一言で述べれば内容的には『コピペー』そのものである》と述べたが、田母神氏が自らそのことを認めたことには潔さを感じた。そこで私も一言だけ田母神氏に云いたくなったのである。他人の意見を受け売りするのではなく、なぜ自分が日常の職務遂行で感じた問題点を辞職覚悟の上、自分の言葉で語らなかったのかと。

航空自衛隊員なら日本の空がまさに米軍という占領軍の支配下にあることを一番よく知っているはずである。日本の空を飛ぶのに日本語が使えずに英語を使う。そして飛ばしている飛行機のほとんどが米国製である。田母神氏は件の論文で《諸外国の軍と比べれば自衛隊は雁字搦めで身動きできないようになっている。このマインドコントロールから解放されない限り我が国を自らの力で守る体制がいつになっても完成しない。アメリカに守ってもらうしかない。アメリカに守ってもらえば日本のアメリカ化が加速する。日本の経済も、金融も、商慣行も、雇用も、司法もアメリカのシステムに近づいていく。改革のオンパレードで我が国の伝統文化が壊されていく。》と、遠慮しつつもここまでは云っている。そこでもう一歩踏み込んで「日本の空を米軍から取り戻そう!」と云うべきであったのだ。

お断り。 昨夕(11月3日)書き始めて今朝書き終えたので、昨日の時制になっている。


一弦琴「漁火」を自分なりに奏でて

2008-11-03 15:16:06 | 一弦琴

今日が文化の日だからと云うわけではないが、一弦琴「漁火」を自分なりに奏でてみた。これまで参加していた一弦琴の会を先月末で退き、独り立ちしてから始めてその気になっての演奏である。会員である間は家で自己流で弾いていても師匠の前では自己規制をかけて師匠流を真似て弾いたし、また自己流を押しとおそうとすると手直しをされるのが常だった。会を退くとそのような制約から解き放されたことになるが、その分、何から何まで自分で考えていかねばならないので、開放感にのんびりと浸れるわけではない。そうかと云って何も難しく考えることがあるわけでもなく、これからは「好きこそものの上手なれ」を頼りに精進できればと思っている。

今日弾いた「漁火」はかなり早い時期に演奏会で独奏したことのある曲である。それ以来、折に触れてお浚いを繰り返しているが、自分で満足のいく演奏が出来たためしはない。自分で気持ちよく弾けたな、と思うことは時々あるが、その録音を聴いてみると随所であらが目立つのである。私もひとなみに歌舞音曲を愛でる感性を持ち合わせているつもりでいるので、自分の耳、そして心にピンと来ない演奏ではやはり駄目なのである。その意味でこれからは自分相手に精進を重ねることになる。

この「漁火」は私にとってはリズムをつかみにくい曲であるが、理由の一つはテンポをしっかりと決めていないことにあるのではないかと思っている。たとえば私がこれまで公開している演奏に6分少しかかっている。ところが人によって7分半の演奏もあれば5分そこそこの演奏もある。それで曲のイメージがかなり大きく変わる。そして自分の演奏を聴くとどうも間延びしているように感じるようになったのである。時間をたっぷり取って声を朗々と響かせ、装飾を隠し味的なものから表芸に引き立てることも出来たら楽しいが、声の美しい人と違ってしわがれ声を自覚しているとそこまで踏ん切る勇気が湧いてこない。また『曲弾き』を正確にこなす腕前があれば緩急自在に琴を操り、メリハリのある演奏を組み立てることも苦にならないだろう。要はその段階までに至らない状態でどのように演奏すればよいのか、と云うことになる。そこで私は『間延び感』を克服するためにまずテンポを早めることにした。ではそのテンポをどのように決めるか。

     
     詞 不詳 曲 松島有伯

  もののふの 八十氏川の
  網代木に いざよふ波の
  音澄みて 影もかすかに
  漁火の あかつきかけて
  汀なる 平等院の 後夜の鐘に
  無明の夢や さめぬらむ

自信のある人はこの「平等院の」のところを適当に息継ぎをしつつたっぷりと唄うのもいい。しかし私は従来のテンポを早めて「平等院の」を息継ぎをせずに一息で唄い切るようにしてみた。その結果、前回の演奏が6分27秒のところ5分10秒と早くなった。このテンポに合った演奏のリズムがまだつかめていないが、まずは習作をアップロードしたところである。これからどのように演奏が変わっていくのか、自分でも分からない。



田母神俊雄論文「日本は侵略国家であったのか」が300万円とは高すぎる

2008-11-02 16:50:01 | Weblog
自衛隊航空幕僚長であった田母神(たもがみ)俊雄空将が、民間会社が募集した懸賞論文に応募して最優秀賞に選ばれた。このことが主催会社のホームページに報じられたのが10月30日であるが、早くも翌31日に防衛大臣により航空幕僚長を解任されてしまった。論文で「政府見解と明らかに異なる意見を公にするのは、航空幕僚長としてふさわしくない」せいであったようだ。近頃まれに見る電光石火の早業だったので、それほど慌てなければならないことかと野次馬根性にかき立てられてこの論文に目を通してみた。



まず意外だったのは懸賞金300万円というからどれぐらいの大論文かと思ったのに、ダウンロードしたpdfファイル文書がたったの9ページなのである。抜粋かと思ったが他にそれらしき文書が見あたらないのでこれがその優勝作品なのであろう。文字数がおよそ7000文字、それで300万円だから1文字が430円ほどになる。常軌を逸した高値なので、なにか形を変えた賄賂かも、と思ったぐらいである。このようにいかがわしさが先立ってしまった。

論文を読んでみた。新しい知見なり主張があればと思ったが何も無い。この論文の特徴を一言で述べれば内容的には『コピペー』そのものである。しかも文章そのものも航空幕僚長という要職を占めた人物にふさわしい知性を感じさせるものはなく、ただただ凡庸である。これが300万円の値打ちがあるとはどう考えても納得できない。このような『コピペー』論文に最高点をつけるとは審査委員長の渡部昇一・上智大名誉教授にも老いが押し寄せたのだろうか。

『コピペー』論文の内容を論うことは意味がないと思うが、私が以前に今もアメリカの『占領下』にあるわが祖国日本で述べたことと直接に関係のある問題点を一つだけ取り上げておく。このエントリーの中で私は日米安全保障条約にもとづいてわが国に駐屯する米国軍隊について次のように述べた。

《自国固有の領土に駐屯する外国軍隊は、その存在理由に百万言を並べ立てたとしても、そこにいるという事実の前には説得力を失う。『占領軍』が事実なのである。これがまともな国のまともな国民感情でもある。》と述べ、さらに次のように私の考えを展開した。

《サンフランシスコ講和条約があるじゃないか、日米安全保障条約があるではないか、と仰る御仁がおいでかもしれない。日本が今もアメリカの『占領下』にあるというのは妄言であると仰りたいのであろう。

『条約』などというものは悠久の歴史の時間軸で眺めれば、当事国の力関係を反映したその場での『つじつま合わせ』に過ぎない。これも間近なところに分かりやすい例がある。

日本による大韓帝国の併合をみたらよい。これも政府間の一応形式の整った『条約』に基づく行為である。だからといって、今でも大多数の大韓民国、北朝鮮の国民が、併合はまともなことであった、と云っていますか。》

田母神論文の冒頭に目を通すと、私がこのような論文の出現を予期してあらかじめ答えを用意していたようにも感じる。

《アメリカ合衆国軍隊は日米安全保障条約により日本国内に駐留している。これをアメリカによる日本侵略とは言わない。二国間で合意された条約に基づいているからである。我が国は戦前中国大陸や朝鮮半島を侵略したと言われるが、実は日本軍のこれらの国に対する駐留も条約に基づいたものであることは意外に知られていない。(中略)我が国は日清戦争、日露戦争などによって国際法上合法的に中国大陸に権益を得て、これを守るために条約等に基づいて軍を配置したのである。これに対し、圧力をかけて条約を無理矢理締結させたのだから条約そのものが無効だという人もいるが、昔も今も多少の圧力を伴わない条約など存在したことがない。》(強調は引用者)

田母神氏は《アメリカ合衆国軍隊は日米安全保障条約により日本国内に駐留している。これをアメリカによる日本侵略とは言わない。》と述べているが、この認識で止まってしまうところが戦後教育で育った田母神氏の限界なのであろう。この強調部分が私に云わせると、これはアメリカによる日本占領そのものである、になってしまうのだから。いずれにせよ自分の頭で考えたわけでもない継ぎ接ぎの論文(と称するもの)で300万円は高すぎる。やっぱり何かの謀略が裏にあったのだろうか。