昨日(11月2日)私が田母神俊雄論文「日本は侵略国家であったのか」が300万円とは高すぎるなる記事を認めたのは、田母神(たもがみ)空将が懸賞論文で政府見解と明らかに異なる意見を公にしたことが航空幕僚長としてふさわしくない、という理由で電光石火の早業でその職を解かれたとのニュースに触れ、なぜ政府がそれほど慌てないといけないのかと解任の経緯に関心を持ったからである。未だにその舞台裏は詳らかにされていない。
航空幕僚長と云えば重い職である。「政府見解と明らかに異なる意見を公にした」と云うだけの理由でそんなに簡単に解任されるのだろうか。私は田母神俊雄論文「日本は侵略国家であったのか」を評価するものではない。それはブログにすでに記したとおりである。しかし、それとこれとは問題が異なる。「公にする」をどう受け取るのか、いろいろと解釈がありうるが、ここではごく一般的に「世間に知らせる」という程度に受け取ることにする。『壁に耳あり障子に目あり』を持ち出すまでもなく、話として口に出したもの、もしくは人目に触れるような形で文章を書いたりすればそれはもう公になっているのである。田母神空将の同じような趣旨の文章が昨年5月の空自隊内誌「鵬友」に掲載されていたとのことであるから、政府見解と明らかに異なる意見がとっくの昔に公開されていたのである。それなのに今ことさら慌てる理由が分からない。
私は自衛隊を憲法改正して制式軍隊にすべきだとの意見をもっているが、それはさておき、現行の自衛隊はもろもろの災害から国民を守ることに徹してくれればそれでよいと思っている。その職務さえ全うすれば自衛隊員が個人的に歴史をどうとらえようとそれは自由である。違う考えの人と意見を交わすのも自由だし、またそうでなければならない。それがたまたま『政府見解』と一致しようと異なっておろうとそんなことは問題にならない。私自身にしてもこのたび問題となった『政府見解』の中身なんて知っちゃいない。『村山談話』も中身は知らない。必要とあれば調べるが、私人となった今、『政府見解』なるものに何の興味もない。その時の状況の産物に過ぎないからで、ただただ形式的な扱いをしておればよい程度のものである。これは新制中学校で教科書を墨で黒々と教師に云われるままに塗りつぶした私の世代の多くが抱く思いであろう。
たとえ自衛隊の中でも隊員各自の思想及び良心の自由が保障されるのは当然である。それは内心の自由であるが、それを外部に表明する自由もありうるとの立場では、隊員が自分の判断で人前で意見を述べるかまた黙っているかは各自の自由である。ではそうかと云って自衛隊の、昔の位で云えば、二等兵(最下級の兵隊)から大将に至まで『政府見解』と異なる意見を同じように公にしてよいかとなると、現実的な制約があるのは私も認めざるをえない。今回の解任劇はこの現実的な制約が表面化したのである。となると問題はどの階級まで今回のように『政府見解』とどこかで齟齬するようなことを発言すると降格されるのだろうと云うことである。仮に二等兵までそうだとするとこれは完全に思想・言論の自由の抑圧である。
戦前では大臣級が親任官、次官・局長級が勅任官、課長級以下が奏任官というように官職の格付けがあり、大将は大臣級と同格の親任官であった。私なりの感覚で云えば、親任官、勅任官級までは『政府見解』の遵守を職務規約に明文化すればよいと思う。そういう規約に縛られるのが嫌なら、昇進を断るだけのことである。解任された田母神空将がそのような決まりのあることを承知しておれば、「これほど大騒ぎになるとは予測していなかった」と云うようなことはあるまい。政府にそのような決まりがあれば今回の解任劇もそれなりに納得がいくというものだ。
このようにブログを書き進めている間にも田母神氏についてのニュースがネット上に現れてきた。YOMIURI ONLINEによると《政府見解と異なる論文を投稿して更迭された田母神(たもがみ)俊雄・前航空幕僚長(60)の処遇は3日夜、定年退職という異例の形で決着した》(2008年11月3日23時12分??読売新聞)そうである。まさにBLITZKRIEG並の早業、ぜひ『実戦』でもわが自衛隊はその力を発揮して欲しいものである。
またasahi.comは《論文は本や雑誌の引用がほとんどで独自の研究とは言い難いとの指摘には「書かれたものを読んで意見をまとめた。現職なので歴史そのものを深く分析する時間はとれない」》(2008年11月3日21時26分)との記者会見における田母神氏の弁を伝えている。私は11月2日の上記ブログで《論文を読んでみた。新しい知見なり主張があればと思ったが何も無い。この論文の特徴を一言で述べれば内容的には『コピペー』そのものである》と述べたが、田母神氏が自らそのことを認めたことには潔さを感じた。そこで私も一言だけ田母神氏に云いたくなったのである。他人の意見を受け売りするのではなく、なぜ自分が日常の職務遂行で感じた問題点を辞職覚悟の上、自分の言葉で語らなかったのかと。
航空自衛隊員なら日本の空がまさに米軍という占領軍の支配下にあることを一番よく知っているはずである。日本の空を飛ぶのに日本語が使えずに英語を使う。そして飛ばしている飛行機のほとんどが米国製である。田母神氏は件の論文で《諸外国の軍と比べれば自衛隊は雁字搦めで身動きできないようになっている。このマインドコントロールから解放されない限り我が国を自らの力で守る体制がいつになっても完成しない。アメリカに守ってもらうしかない。アメリカに守ってもらえば日本のアメリカ化が加速する。日本の経済も、金融も、商慣行も、雇用も、司法もアメリカのシステムに近づいていく。改革のオンパレードで我が国の伝統文化が壊されていく。》と、遠慮しつつもここまでは云っている。そこでもう一歩踏み込んで「日本の空を米軍から取り戻そう!」と云うべきであったのだ。
お断り。 昨夕(11月3日)書き始めて今朝書き終えたので、昨日の時制になっている。
航空幕僚長と云えば重い職である。「政府見解と明らかに異なる意見を公にした」と云うだけの理由でそんなに簡単に解任されるのだろうか。私は田母神俊雄論文「日本は侵略国家であったのか」を評価するものではない。それはブログにすでに記したとおりである。しかし、それとこれとは問題が異なる。「公にする」をどう受け取るのか、いろいろと解釈がありうるが、ここではごく一般的に「世間に知らせる」という程度に受け取ることにする。『壁に耳あり障子に目あり』を持ち出すまでもなく、話として口に出したもの、もしくは人目に触れるような形で文章を書いたりすればそれはもう公になっているのである。田母神空将の同じような趣旨の文章が昨年5月の空自隊内誌「鵬友」に掲載されていたとのことであるから、政府見解と明らかに異なる意見がとっくの昔に公開されていたのである。それなのに今ことさら慌てる理由が分からない。
私は自衛隊を憲法改正して制式軍隊にすべきだとの意見をもっているが、それはさておき、現行の自衛隊はもろもろの災害から国民を守ることに徹してくれればそれでよいと思っている。その職務さえ全うすれば自衛隊員が個人的に歴史をどうとらえようとそれは自由である。違う考えの人と意見を交わすのも自由だし、またそうでなければならない。それがたまたま『政府見解』と一致しようと異なっておろうとそんなことは問題にならない。私自身にしてもこのたび問題となった『政府見解』の中身なんて知っちゃいない。『村山談話』も中身は知らない。必要とあれば調べるが、私人となった今、『政府見解』なるものに何の興味もない。その時の状況の産物に過ぎないからで、ただただ形式的な扱いをしておればよい程度のものである。これは新制中学校で教科書を墨で黒々と教師に云われるままに塗りつぶした私の世代の多くが抱く思いであろう。
たとえ自衛隊の中でも隊員各自の思想及び良心の自由が保障されるのは当然である。それは内心の自由であるが、それを外部に表明する自由もありうるとの立場では、隊員が自分の判断で人前で意見を述べるかまた黙っているかは各自の自由である。ではそうかと云って自衛隊の、昔の位で云えば、二等兵(最下級の兵隊)から大将に至まで『政府見解』と異なる意見を同じように公にしてよいかとなると、現実的な制約があるのは私も認めざるをえない。今回の解任劇はこの現実的な制約が表面化したのである。となると問題はどの階級まで今回のように『政府見解』とどこかで齟齬するようなことを発言すると降格されるのだろうと云うことである。仮に二等兵までそうだとするとこれは完全に思想・言論の自由の抑圧である。
戦前では大臣級が親任官、次官・局長級が勅任官、課長級以下が奏任官というように官職の格付けがあり、大将は大臣級と同格の親任官であった。私なりの感覚で云えば、親任官、勅任官級までは『政府見解』の遵守を職務規約に明文化すればよいと思う。そういう規約に縛られるのが嫌なら、昇進を断るだけのことである。解任された田母神空将がそのような決まりのあることを承知しておれば、「これほど大騒ぎになるとは予測していなかった」と云うようなことはあるまい。政府にそのような決まりがあれば今回の解任劇もそれなりに納得がいくというものだ。
このようにブログを書き進めている間にも田母神氏についてのニュースがネット上に現れてきた。YOMIURI ONLINEによると《政府見解と異なる論文を投稿して更迭された田母神(たもがみ)俊雄・前航空幕僚長(60)の処遇は3日夜、定年退職という異例の形で決着した》(2008年11月3日23時12分??読売新聞)そうである。まさにBLITZKRIEG並の早業、ぜひ『実戦』でもわが自衛隊はその力を発揮して欲しいものである。
またasahi.comは《論文は本や雑誌の引用がほとんどで独自の研究とは言い難いとの指摘には「書かれたものを読んで意見をまとめた。現職なので歴史そのものを深く分析する時間はとれない」》(2008年11月3日21時26分)との記者会見における田母神氏の弁を伝えている。私は11月2日の上記ブログで《論文を読んでみた。新しい知見なり主張があればと思ったが何も無い。この論文の特徴を一言で述べれば内容的には『コピペー』そのものである》と述べたが、田母神氏が自らそのことを認めたことには潔さを感じた。そこで私も一言だけ田母神氏に云いたくなったのである。他人の意見を受け売りするのではなく、なぜ自分が日常の職務遂行で感じた問題点を辞職覚悟の上、自分の言葉で語らなかったのかと。
航空自衛隊員なら日本の空がまさに米軍という占領軍の支配下にあることを一番よく知っているはずである。日本の空を飛ぶのに日本語が使えずに英語を使う。そして飛ばしている飛行機のほとんどが米国製である。田母神氏は件の論文で《諸外国の軍と比べれば自衛隊は雁字搦めで身動きできないようになっている。このマインドコントロールから解放されない限り我が国を自らの力で守る体制がいつになっても完成しない。アメリカに守ってもらうしかない。アメリカに守ってもらえば日本のアメリカ化が加速する。日本の経済も、金融も、商慣行も、雇用も、司法もアメリカのシステムに近づいていく。改革のオンパレードで我が国の伝統文化が壊されていく。》と、遠慮しつつもここまでは云っている。そこでもう一歩踏み込んで「日本の空を米軍から取り戻そう!」と云うべきであったのだ。
お断り。 昨夕(11月3日)書き始めて今朝書き終えたので、昨日の時制になっている。