昨夜のNHKニュースで麻生首相が「社会的な常識がかなり欠落している人が多い」と発言したことを報じた。全国知事会の席上、地方が抱える医師不足の問題についてどう考えるかとある知事が質したのに対して、首相が自分の考えを述べるなかで飛び出した発言だそうである。どういう話の流れのなかでのことなのか、そしてこの発言の真意を知りたいと思ったのに、その後の官邸での記者団とのやりとりで「まともな医者が不快な思いをしたというのであれば、それは申し訳ない」と首相が謝罪した、とニュースは伝えてそれで終わりであった。
今日の朝日朝刊を見て、少しはその流れが見えてきた。《首相はさらに「(医師不足が)これだけ激しくなってくれば、責任はお宅ら(医師)の話ではないですかと。しかも『医者の数を減らせ減らせ、多すぎる』と言ったのはどなたでした、という話を党としても激しく申しあげた記憶がある」と続けた。その上で、医師不足の一因とされる臨床研修制度の見直しなどに取り組む考えを示した。》
上の『問題発言』とされる発言のあとで、このように話が続いたのである。それでも「社会的な常識がかなり欠落している人が多い」とのつながりが私にはすんなりとは見えてこない。取材したマスメディア関係者も同じような疑問を持ったのではなかろうかと思うのに、この『問題発言』の真意を首相に質した関係者が一人も居なかったのだろうか。それが不思議である。もし記者の一人でも麻生首相にその発言の真意を質せば、次のような答えが返ってきたかも知れない。「考えてご覧なさい。高齢者社会になって医師の需要がますます増えることはとっくの昔に分かっていた。国はだからこそ一県一医科大学の設置を推し進め、医学部定員を大幅に増やしてきた。それを医師会などは医者が増えると収入が減ると強引に政府にねじこんで、医学部定員を一割以上も削減させた。それが昨今問題になる医師不足の一因にもなっているではないのか。社会的使命より自らの収入を優先するような医師が居るからこそ社会的な常識が欠落している医師が多いと私は云ったのだ」
朝日新聞の伝える首相のその後の発言から私なりにこのような答えを忖度したのであるが、これが首相の真意であったとすれば『問題発言』でも何でもない。一つのまともな考えであるからだ。私が理学部から医学部に移った昭和54(1979)年に医学部の入学定員は120名であったがそれがやがて100名に削減され、その定員削減に関しては『医師会の圧力』が医学部常識になっていたからである。この辺りの事情は「医学部の定員の削減を望んだのは誰で、何故か」で詳しく述べられているが、昭和58年3月30日の参議院文教委員会における高木健太郎議員(医師)の次のような発言は『医師会の圧力』の代表的なものであろう。
《きょうの朝日新聞を見ましても、診療所の平均所得が、五十六年には年収に換算して約二千万円ぐらい、一般サラリーマンが平均年収が三百三十万円ですから、約六・五倍の診療所の収入があった。ところが、五十一年の場合にはサラリーマンの収入が二百四十万、そして診療所の方は一千九百四十万で、そのときには八倍であった。それがいまはもう六・五倍になった。これがさらに進むというともっと下がっていくんだ、しかも診療費その他の締めつけが、あるいは薬価基準等の締めつけがございまして収入が非常に減ってきた。こういうことから、お聞き及びだと思いますけれども、医科大学をつくり過ぎたんではないかという、そういう非難といいますかね、批評があるわけですね。》
一般サラリーマンの平均年収の約6.5倍に年収が下がった(当時)からと不満を述べる医師、どう考えてもまともな社会常識を備えているとは云えないだろう。
マスメディア、とくにNHKは麻生首相の『問題発言』の真意を質した上で報道すべきであったと私は思う。これは「漢字も読めない」麻生首相とは別の次元の話である。もし真意が私の忖度したようなことであったら、報道の主体は『問題発言』より医師不足問題の本質にもなり得たと思うからである。
今日の朝日朝刊を見て、少しはその流れが見えてきた。《首相はさらに「(医師不足が)これだけ激しくなってくれば、責任はお宅ら(医師)の話ではないですかと。しかも『医者の数を減らせ減らせ、多すぎる』と言ったのはどなたでした、という話を党としても激しく申しあげた記憶がある」と続けた。その上で、医師不足の一因とされる臨床研修制度の見直しなどに取り組む考えを示した。》
上の『問題発言』とされる発言のあとで、このように話が続いたのである。それでも「社会的な常識がかなり欠落している人が多い」とのつながりが私にはすんなりとは見えてこない。取材したマスメディア関係者も同じような疑問を持ったのではなかろうかと思うのに、この『問題発言』の真意を首相に質した関係者が一人も居なかったのだろうか。それが不思議である。もし記者の一人でも麻生首相にその発言の真意を質せば、次のような答えが返ってきたかも知れない。「考えてご覧なさい。高齢者社会になって医師の需要がますます増えることはとっくの昔に分かっていた。国はだからこそ一県一医科大学の設置を推し進め、医学部定員を大幅に増やしてきた。それを医師会などは医者が増えると収入が減ると強引に政府にねじこんで、医学部定員を一割以上も削減させた。それが昨今問題になる医師不足の一因にもなっているではないのか。社会的使命より自らの収入を優先するような医師が居るからこそ社会的な常識が欠落している医師が多いと私は云ったのだ」
朝日新聞の伝える首相のその後の発言から私なりにこのような答えを忖度したのであるが、これが首相の真意であったとすれば『問題発言』でも何でもない。一つのまともな考えであるからだ。私が理学部から医学部に移った昭和54(1979)年に医学部の入学定員は120名であったがそれがやがて100名に削減され、その定員削減に関しては『医師会の圧力』が医学部常識になっていたからである。この辺りの事情は「医学部の定員の削減を望んだのは誰で、何故か」で詳しく述べられているが、昭和58年3月30日の参議院文教委員会における高木健太郎議員(医師)の次のような発言は『医師会の圧力』の代表的なものであろう。
《きょうの朝日新聞を見ましても、診療所の平均所得が、五十六年には年収に換算して約二千万円ぐらい、一般サラリーマンが平均年収が三百三十万円ですから、約六・五倍の診療所の収入があった。ところが、五十一年の場合にはサラリーマンの収入が二百四十万、そして診療所の方は一千九百四十万で、そのときには八倍であった。それがいまはもう六・五倍になった。これがさらに進むというともっと下がっていくんだ、しかも診療費その他の締めつけが、あるいは薬価基準等の締めつけがございまして収入が非常に減ってきた。こういうことから、お聞き及びだと思いますけれども、医科大学をつくり過ぎたんではないかという、そういう非難といいますかね、批評があるわけですね。》
一般サラリーマンの平均年収の約6.5倍に年収が下がった(当時)からと不満を述べる医師、どう考えてもまともな社会常識を備えているとは云えないだろう。
マスメディア、とくにNHKは麻生首相の『問題発言』の真意を質した上で報道すべきであったと私は思う。これは「漢字も読めない」麻生首相とは別の次元の話である。もし真意が私の忖度したようなことであったら、報道の主体は『問題発言』より医師不足問題の本質にもなり得たと思うからである。