日々是好日

身辺雑記です。今昔あれこれ思い出の記も。ご用とお急ぎでない方はどうぞ・・・。

三族協和でタングルウッドへ

2007-02-19 18:51:22 | 海外旅行・海外生活

2月11日と12日の連夜放映されたテレビドラマ「李香蘭」を観ていると、五族協和なんて古めかしいスローガンが目に止まった。中華民国の建国に際して、孫文らが中国の漢・満・蒙・回(ウイグル)・蔵(チベット)の五民族が共同して共和国を建設することを主張した。これが「五族共和」であるが、それが後に日本による満州国建国にあたって、日・漢・満・朝・蒙の五民族による「五族協和」に化けたのである。そして私はもう36年前になるある出来事を連想したのである。

1971年の夏、アメリカ・テネシー州メンフィスで開かれるある国際学会に招待された。主催者とやりとりしている間に、夏の3、4ヶ月ほど一緒に仕事をしないか、と云う話になり、顎足先方持ちでニューヨーク州立大学オールバニ校に滞在して、共同研究を始めることになった。

オールバニはニューヨーク州の州都で、ニューヨーク市からハドソン川に沿って200kmほど北にある。さらにハドソン川を300kmほど遡ると、Lake GeorgeにLake Champlainを経て、カナダのモントリオールに至る。ハドソン川を境に東側は南からConnecticut、Massachusetts、Vermontの各州とそれぞれ接しており、これらの州はいわゆるNew Englandの中核となっている。至る所に道路が張り巡らされていて、どの道をドライブしていても自然の風景に町の佇まいが魅力的である。

ドライブを楽しむには車がいる。研究室で中古車を買う話をしていると、大学院の女子学生も買うことを考えているという。Joyceと呼ぶことにするが、シンガポールからの留学生で中国系人である。その彼女と相談がまとまった。全ての費用を折半して彼女の希望する車を購入する。名義は最初から彼女のものにするが、私が滞在している期間は私の専用とするという取り決めである。お互いにメリットになる。そして1000ドルほどで赤いフォルクスワーゲンを手に入れた。

独り者の気安さで、時には金曜の夕方からドライブに出かけ、モーテルを泊まり歩いて日曜の夜帰ってくることもあった。そしてちょくちょく気軽に出かけたのが、ボストン交響楽団の夏の本拠地、Tanglewoodである。車で2時間少しの所にる。夏はタングルウッド音楽祭のシーズンで、大学の生協でチケットを購入して行くのである。そういう話を研究室でしていると、Joyceが友だちと一緒に連れて行って欲しいという。そこである日5人で出かけることになった。私がアッシー君を務める代わりに、彼女たちが夕食を準備してくれるというのである。

友だちというのは中国人、日本人それに韓国人がそれぞれ1人ずつで、彼女たちは4人で一軒家を借りていた。各人が寝室を私室としてあとは全て共有で使うというスタイルで、アメリカでは普通である。全員が留学生で専攻はそれぞれ違っていたようだ。Joyceを除いて皆初対面であったが、1人で外国へ平気でやってくるような女性なので、私と打ち解けるのも早かった。36年も前のことなので、名前も覚えていないし何を話したのかも忘れてしまった。ただもう1人の中国人のお父さんが、私も名前を知っているもと軍閥の大物将軍だったことは記憶に残っている。

記憶がおぼろげになったなかで何が切っ掛けになったのやら、その道中、車の中であれやこれやの歌を大声で歌ったことははっきりと覚えている。車にはエアコンなんて気の利いたものは付いていないので、窓は全開である。誰かが歌い出した歌を知っていると皆が唱和する。言葉は中国語、日本語、韓国語に英語とバラバラ、それがほとんど英国起源の歌だったように思う。Home Sweet Homeなどは、英語で綺麗にハモることが出来た。三族協和の歌声を沿道に響かせながら車はひたすらTanglewoodのあるBerkshiresを目指して走ったのである。

Tanglewoodに1人で来るときは建物の中の椅子席に収まり、バーンスタインやオザワの音楽などを楽しんだ。しかしこの時は建物の外の芝生に敷物を広げ、彼女たちが作ってくれたサンドイッチなどを食べ、コーヒを飲んで開演を待った。芝生の思い思いの所に観客が腰を下ろしたり寝そべったりしている。風が心地よくて、思いがけない遠いところから話声を運んできたりした。このときにグループの写真を撮ったはずであるが、行方不明になってしまった。辛うじて見つかった上の写真には、たまたま日本人女子学生の立ち姿が入っているが、これ以外に思い出すよすがはない。この日のプログラムが何であったのだろうか。ただ帰りの車では皆さん大人しくなってしまい、ヘッドライトだけが暗闇の中の田舎道を照らしていた。

5年後の夏、私は再びオールバニに戻ってきた。Joyceは目出度く学位を得て研究室を離れるところだった。その直前に彼女は赤いフォルクスワーゲンを車にぶつけられて、動かなくなってしまった。しかし相手に全面的に非があったことから、これまでに費やした費用以上の補償金が出たとかで嬉しかったのか、私にえらく感謝してくれた。

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