日々是好日

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朝青龍が強引と云われて思ったこと

2005-09-24 12:00:45 | Weblog
昨日は外出していたが朝青龍と琴欧州の取り組みを観たくて帰宅を急いだ。新関脇で十二連勝の新記録を立てた琴欧州とすでに二敗したが六連覇をかける朝青龍の対決を見逃すわけにはいかない。

勝負はもつれたが朝青龍の勝ち、技をかけているようには見えなかったがそこはさすがプロ、「首ひねり」という決まり手だった。これで朝青龍が自力で六連勝をものにする可能性は無いものの転がり込む可能性が残されているので千秋楽までの勝負が楽しみである。

NHKの解説者が何度か「朝青龍が強引」というようなことを口にした。なんだか奥歯に物の挟まったような云い方で、本当は横綱らしからぬ品のない取り口と云いたいのかとも勘ぐってしまったほどである。

確かに取り組みそのものはめまぐるしく変化に富んでいた。ということはじっくりと力業を競い合うというようなオーソドックスな展開ではなく、ドタバタとしていたのは事実である。琴欧州が朝青龍の後ろに回りかけたその時に、朝青龍がその体躯からは想像できないような瞬発的な動きで身体を回転させて琴欧州に正面から向かい合った瞬間私は目をむいた。モンゴルの血を感じたのである。

朝青龍がモンゴル出身なら琴欧州はブルガリア出身、まさにグローバルな出自である。一方大相撲は日本の国技であり長い歴史の過程で独自の伝統が作られてきた。大阪場所になると太田房江大阪知事が土俵に上がって優勝力士を表彰したいのに、未だに女人の『土俵入り』が伝統を楯に拒まれている。それに比べると外国出身の力士の登場はいとも容易に許されたように私には思えるが、どのような経緯、どのような理由付けでそうなったのだろうか。それはともかく、風土・伝統のことなる他国出身の力士を大相撲に迎入れるに際して、相撲協会の基本姿勢はどうであったのだろう。

一番分かりやすいのは出自いかんに関わらず力士たるものは日本人になりきってもらうことであろう。生活習慣一切を日本人になりきってもらう。そして大相撲の伝統をしっかりと受け継ぎ次代に伝えてもらう。

ここで話は変わるが日本人の音楽演奏家で海外で活躍している人が多い。ところがウイーンフィルかどこかで活躍しているその一人が、向こうのの指揮者に演奏のリズム感が日本的であることを指摘されたと云うのである。ピアノであれバイオリンであれ、そのレッスンを開始するまでにすでに日本固有のリズム感が身に浸透してしまっていることの顕れなのであろう。

同じことが相撲についても云えるのではないか。相撲は格闘技である。とっさの身のこなしに力士の出自の独自性が出てきても不思議ではない。相撲の型以上に身に備わっているものである。朝青龍にはモンゴルの、琴欧州にはブルガリアの血が流れている、すなわちそれぞれが民族特有の身のこなしを基盤に持っているのである。それが取り組みの流れの要所に出てくると、伝統的な『相撲の動き』に違和感を醸し出すことにもなりかねない。それが私にはドタバタに感じられて解説者には強引と写ったのかもしれない。

新しい血を導入することに踏み切った相撲協会は当然そのような『変化』を予想していたであろう。私はそれでいい。大相撲を楽しめたらいいのである。『型破り』が定着してきたのであれば私はさらにスペイン出身の力士などにも加わって欲しいと思う。土俵上マタドールの華麗なとどめの一刺しに私は熱狂してしまいそうである。

解説者の『強引な朝青龍』の一言からこんなことまで考えてしまった。
朝青龍の六連勝か琴欧州の初優勝か、今日明日の成り行きが楽しみである。

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