日本分子生物学会が「事業仕分けから日本の未来の科学を考える」とのタイトルで研究者からのアンケートをまとめた文書を154ページのPDFファイルで公開した。現役の方々の反応を知りたくて目を通そうとしたところ、『掲載されているすべての文章の転載を禁じます』との厳めしい断り書きにが引っかかってしまった。そこでちょっと意見を述べたが、分子生物ということである挿話を思い出したので書き留めておこうと思う。
私が大学院生か無給ポスドクの頃であるが、ある日恩師のOK先生が珍しくDNAの話をされた。昼食をわれわれが一緒に摂っていた時のことだったと思うが、名古屋大学の岡崎令治さんが発見された岡崎フラグメントのことだった。二本鎖DNAが複製される際に、二本鎖がほどける方向に一方のDNAを鋳型にして連続的に合成されていくDNAと、もう一方のDNAを鋳型にしながらも、ほどける方向とは反対に合成されるDNAがある。この場合は二本鎖DNAがある程度ほどけたらその分、合成がすすむ。その間さらにほどけるからまたその分だけ合成が進む。すなわちもう一方は最初から連続したDNA複製が進むのではなく、ある大きさのDNA断片が複製されていき、それが順序よくつなぎ合わされて1本の複製DNAが出来ることになる。このように二本鎖DNAの複製に際して親のDNA鎖をそれぞれ鋳型にしながら、連続的に合成されるDNA鎖と不連続的に合成されるDNA鎖があることになる。この不連続複製機構を明らかにしたのが岡崎令治博士でこの業績で博士の名前が全世界に轟きわたったのである。この一時的に生じるDNAの断片が岡崎フラグメントと呼ばれることになり、分子生物学・生化学の教科書には必ず載っている。それほど素晴らしい発見であった。その一例を挙げる(Lehninger Principle of Biochemistry Third Editionより)。
私の所属していた研究室はもっぱら蛋白質をいじくっていたので核酸にはうとかったが、それでも岡崎博士の業績の素晴らしさは口コミで私たちにも伝わっていた。しかし恩師のOK先生が力をこめて話されたのは岡崎博士の研究姿勢だったのである。岡崎フラグメントの重要性を証明するためには大量の岡崎フラグメントを精製して実験を重ねないといけない。一般に実験試料が大量にいる場合にはまず小規模な実験で最適条件を見つけ、つぎに大量調製に移すのが普通である。しかし小規模実験での最適条件が大規模調製にそのまま当てはまるかと言えばそうではない。小規模実験での最適条件を参考にしつつも、さらに条件を検討して大量調製の最適条件を見つけなければならない。それには時間もかかるし実験材料の無駄も馬鹿にならない。「岡崎さんはどうしたと思う? 試験管実験で良い条件を見つけたらそれと同じ条件で実験を何回も何回も繰り返して欲しい試料を集めたということだ」と先生は言われたのである。何回も繰り返す、と口で言うのは簡単である。しかし現実に試験管の数を増やし回数を重ねるのは多大の肉体的労働を要求する。実験にのめり込むと教員としての本職である講義をすることすら時間が惜しく感じられるだろうし、ましてや研究室を空けて講演とか会議に出かけるような遊山気分とはまったく無縁の道を岡崎博士は歩まれたことだろう。この実験科学者根性にOK先生はいたく感動され、それをわれわれに教え諭してくださったのであった。
私は岡崎令治博士とは一面識もない。しかし直ぐ上の先輩が岡崎博士と同じ研究室に一時身を寄せたことがあり、研究姿勢の厳しさを聞かされたことがあった。ここで紹介した話も私なりの受け取り方で、事実を必ずしも正しく伝えていないかも知れない。それを一番よく御存知なのは共同研究者の岡崎恒子名古屋大学名誉教授でいらっしゃるので、ひょっとするとその辺りのことをどこかで述べておられるのかも知れない。私としても思い違いがあれば正したいと思う。
ではなぜ岡崎令治博士が肉体労働を苦にすることなく結果を出すことを急がれたのか。これはよく知られたことであったが、博士は広島で中学2年生の時、原子爆弾を被爆されそれが原因で慢性骨髄性白血病を患っておられた。一番乗りを目指すのではなく自らの天寿との戦いを意識されたのではなかろうか。岡崎フラグメントの発見後、10年を経ずして亡くなられた。
そういえば今日、12月8日は日米開戦の日、いろんな思いが走馬燈の如く駆け巡る。
追記(12月9日)
岡崎恒子博士は回想記、「岡崎フラグメントと私」を出しておられた。それによると岡崎令治博士が白血病を発病されたのは1972年なので、岡崎フラグメントは発病前のお仕事だったことになる。
私が大学院生か無給ポスドクの頃であるが、ある日恩師のOK先生が珍しくDNAの話をされた。昼食をわれわれが一緒に摂っていた時のことだったと思うが、名古屋大学の岡崎令治さんが発見された岡崎フラグメントのことだった。二本鎖DNAが複製される際に、二本鎖がほどける方向に一方のDNAを鋳型にして連続的に合成されていくDNAと、もう一方のDNAを鋳型にしながらも、ほどける方向とは反対に合成されるDNAがある。この場合は二本鎖DNAがある程度ほどけたらその分、合成がすすむ。その間さらにほどけるからまたその分だけ合成が進む。すなわちもう一方は最初から連続したDNA複製が進むのではなく、ある大きさのDNA断片が複製されていき、それが順序よくつなぎ合わされて1本の複製DNAが出来ることになる。このように二本鎖DNAの複製に際して親のDNA鎖をそれぞれ鋳型にしながら、連続的に合成されるDNA鎖と不連続的に合成されるDNA鎖があることになる。この不連続複製機構を明らかにしたのが岡崎令治博士でこの業績で博士の名前が全世界に轟きわたったのである。この一時的に生じるDNAの断片が岡崎フラグメントと呼ばれることになり、分子生物学・生化学の教科書には必ず載っている。それほど素晴らしい発見であった。その一例を挙げる(Lehninger Principle of Biochemistry Third Editionより)。
私の所属していた研究室はもっぱら蛋白質をいじくっていたので核酸にはうとかったが、それでも岡崎博士の業績の素晴らしさは口コミで私たちにも伝わっていた。しかし恩師のOK先生が力をこめて話されたのは岡崎博士の研究姿勢だったのである。岡崎フラグメントの重要性を証明するためには大量の岡崎フラグメントを精製して実験を重ねないといけない。一般に実験試料が大量にいる場合にはまず小規模な実験で最適条件を見つけ、つぎに大量調製に移すのが普通である。しかし小規模実験での最適条件が大規模調製にそのまま当てはまるかと言えばそうではない。小規模実験での最適条件を参考にしつつも、さらに条件を検討して大量調製の最適条件を見つけなければならない。それには時間もかかるし実験材料の無駄も馬鹿にならない。「岡崎さんはどうしたと思う? 試験管実験で良い条件を見つけたらそれと同じ条件で実験を何回も何回も繰り返して欲しい試料を集めたということだ」と先生は言われたのである。何回も繰り返す、と口で言うのは簡単である。しかし現実に試験管の数を増やし回数を重ねるのは多大の肉体的労働を要求する。実験にのめり込むと教員としての本職である講義をすることすら時間が惜しく感じられるだろうし、ましてや研究室を空けて講演とか会議に出かけるような遊山気分とはまったく無縁の道を岡崎博士は歩まれたことだろう。この実験科学者根性にOK先生はいたく感動され、それをわれわれに教え諭してくださったのであった。
私は岡崎令治博士とは一面識もない。しかし直ぐ上の先輩が岡崎博士と同じ研究室に一時身を寄せたことがあり、研究姿勢の厳しさを聞かされたことがあった。ここで紹介した話も私なりの受け取り方で、事実を必ずしも正しく伝えていないかも知れない。それを一番よく御存知なのは共同研究者の岡崎恒子名古屋大学名誉教授でいらっしゃるので、ひょっとするとその辺りのことをどこかで述べておられるのかも知れない。私としても思い違いがあれば正したいと思う。
ではなぜ岡崎令治博士が肉体労働を苦にすることなく結果を出すことを急がれたのか。これはよく知られたことであったが、博士は広島で中学2年生の時、原子爆弾を被爆されそれが原因で慢性骨髄性白血病を患っておられた。一番乗りを目指すのではなく自らの天寿との戦いを意識されたのではなかろうか。岡崎フラグメントの発見後、10年を経ずして亡くなられた。
そういえば今日、12月8日は日米開戦の日、いろんな思いが走馬燈の如く駆け巡る。
追記(12月9日)
岡崎恒子博士は回想記、「岡崎フラグメントと私」を出しておられた。それによると岡崎令治博士が白血病を発病されたのは1972年なので、岡崎フラグメントは発病前のお仕事だったことになる。