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日々是好日

身辺雑記です。今昔あれこれ思い出の記も。ご用とお急ぎでない方はどうぞ・・・。

生物学者・昭和天皇とY染色体

2006-02-06 17:45:46 | 読書

宮中の奥向きのことがどう洩れてくるのか知らないが、昭和天皇に側室をもっていただく取り沙汰のあったことがHerbert P. Bix著 "HIROHITO" に出てくる(翻訳あり)。

1924年に結婚された昭和天皇と香淳皇后との間には1931年までに四人のお子が生まれたが全て女子であった(一人は夭折)。1932年もかなり過ぎて香淳皇后が流産されたのを機に、昭和天皇に側室をもってしてでも君主としての義務を全うしていただくべしとの圧力が高まった。当時の皇室典範では嫡出庶出を問わず男系男子が皇統を継ぐものと定められていたからである。

学習院院長や宮内大臣を歴任した伯爵田中光顕が東京、京都でふさわしいお相手を探して十人の姫君を選び出した。そのなかから更に三人に絞り中でも最も美しいと云われた一人が宮中にあがり香淳皇后もおられるところで昭和天皇とカード遊びをしたが、一夫一妻を是とする昭和天皇は特に関心を払われなかったとのことである。噂話として取り上げられており出典は明らかでない(271ページ)。

原文では"ten princesses"とあるから皇族か五摂家の姫君と取るべきなのかも知れないが、でも明らかに側室候補であるからこれでは身分が重すぎる。おそらく華族の姫君であったのだろうが、昭和天皇とカード遊びをする意味をどのように説明を受けていたのだろう。また天皇・皇后もどの程度まで『隠された意図』をご承知だったのか窺い知る由もない。ただ1901年生まれの昭和天皇はまだ満31歳で皇后もお若く、まだまだ男子誕生の可能性があった。そして翌1933年12月23日に明仁親王がお生まれになることで側室問題は収まった。

昭和天皇が公務の合間に生物学の研究に勤しまれたということは良く知られている。このBixの本にも昭和天皇がどのように『生物研究』に入っていかれたのかその経緯が要領よく纏められているが、その中で丘浅次郎著の「進化論講話」でダーウィンの進化論を学ばれたり、またダーウィンの「種の起源」も翻訳でお読みになったとのことが記されている。そして書斎にはリンカーン、ナポレオンと並んでダーウィンの胸像が置かれていたそうである(60ページ)。

「進化論」を学ばれたのであれば「遺伝学」も当然学ばれたのであろうと私は想像する。『性』を決定する性染色体の存在もご存じで、X染色体とY染色体がどのようにして男性女性を決定するのかその仕組みも学ばれたであろう。科学的探求心をお持ちの昭和天皇が『万世一系の天皇』と男系男子によりY染色体を継承してきたこととの一致に気づかれて「さもありなん」と云われたかどうか、私の空想が駆けめぐる。

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