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日々是好日

身辺雑記です。今昔あれこれ思い出の記も。ご用とお急ぎでない方はどうぞ・・・。

総務相はマッカーサーか

2009-06-11 00:46:21 | 放言
日本郵政株式会社の西川善文社長と鳩山邦夫総務相が辞めない、辞めさせるで真っ向から対立しているようである。私は今回の一連の騒動でマスメディアの報道すらほとんど注意を払っていないので、どちらがどうとか言える立場にはないが、一つだけ腑に落ちないことがある。それは総務相の「認可権」である。鳩山総務相はすでに5月の取締役会でその再任案が決定した西川社長の再任が6月29日の株主総会で認められたとしても、認可権限を行使して西川社長の続投を拒否する、と早々と花火を打ち上げている。私には一株式会社の人事になぜ総務相が認可権を持つのか、それが理解できないから困っている。

なるほど「日本郵政株式会社法」(平成十七年十月二十一日法律第九十八号)には次の条文がある。

(取締役等の選任等の決議)
第九条  会社の取締役の選任及び解任並びに監査役の選任及び解任の決議は、総務大臣の認可を受けなければ、その効力を生じない。

それどころかまだまだ総務相の権限が記されている。

(監督)
第十四条  会社は、総務大臣がこの法律の定めるところに従い監督する。
2  総務大臣は、この法律を施行するため特に必要があると認めるときは、会社に対し、その業務に関し監督上必要な命令をすることができる。

(報告及び検査)
第十五条  総務大臣は、この法律を施行するため特に必要があると認めるときは、会社からその業務に関し報告をさせ、又はその職員に、会社の営業所、事務所その他の事業場に立ち入り、帳簿、書類その他の物件を検査させることができる。

私は日本郵政株式会社は民営化された会社だと思っていた。とすると株主総会の決定が最終決定ではないのか。といっても私はどういう人たちが株主なのかも知らない。ひとつ確かなのは次のように株式の政府保有が認められてはいることである。

(株式の政府保有)
第二条  政府は、常時、会社の発行済株式(株主総会において決議をすることができる事項の全部につき議決権を行使することができない株式を除き、会社法(平成十七年法律第八十六号)第八百七十九条第三項の規定により議決権を有するものとみなされる株式を含む。以下この条において同じ。)の総数の三分の一を超える株式を保有していなければならない。

また附則には

(政府保有の株式の処分)
第三条  政府は、その保有する会社の株式(第二条に規定する発行済株式をいい、同条の規定により保有していなければならない発行済株式を除く。)については、できる限り早期に処分するよう努めるものとする。

とあるから、本来なら政府以外に株主が当然存在するし、また存在しなければならないことになる。となると政府の発言権および諸権限は、保有する株式に応じてのものになるのが普通なのではないのか。

ところが「日本郵政株式会社法」では株主総会の決定を覆しうる総務相の「天上天下唯我独尊的権限」をなぜか設けているのである。私は総務相にかかわる文言を見て、かっての日本を占領していた連合国軍最高司令官マッカーサー元帥を即連想してしまった。「天皇より偉いマッカーサー」である。どこでどうなって総務相の関与を明記するような会社法が作られたのかは知らないが、これは明らかに日本が米国に占領されていた頃の権力構造の残滓そのものである。いったい何をもって民営化と言えるのだろう。「法に則って」と総務相は仰るのだろうが、私に言わせるとおかしいのはこの「法」の方である。事態収拾もさることながら民営化徹底には国会はこの会社法の改正に早急に取り組むべきではないのか。



文学者の文章 MetaphorがJargonを生む

2009-02-22 19:54:23 | 放言
村上春樹さんのエルサレム賞の受賞スピーチを一読して、《私の読解力が劣っているせいかも知れないが、一体この人は何を言いたかったのか私にははっきりとしなかったのである。》と村上春樹氏の分かりにくいメッセージで述べた。

受賞スピーチの中で村上氏は《To make judgments about right and wrong is one of the novelist's most important duties, of course.》と言っているのだから、話の流れからガザ地区を攻撃しているイスラエル(軍)と被害を被っている人民について、どちらが「right」でどちらが「wrong」なのか村上氏には自分の判断があるものだと思った。ところがどのようなやり方で「判断」を第三者に伝えるかは小説家一人ひとりが決めること、となんだか勿体をつけて村上氏は回りくどい「たとえ話」を持ち出したのである。

"Between a high, solid wall and an egg that breaks against it, I will always stand on the side of the egg."》と言う話がそれで、さらに

The wall has a name: It is The System. The System is supposed to protect us, but sometimes it takes on a life of its own, and then it begins to kill us and cause us to kill others - coldly, efficiently, systematically. 》と「wall」=「The System」なる言い換えを持ち込む。これに対して私は

《村上氏は「wall」を「The System」なるカフカ的言辞に止めたが、私なら暗喩ならざる暗喩になってしまうが「The Nation」としただろう。これだとメッセージが間違いなく強力に伝わったと思う。》と私なりの考えを述べた。

私は自分ならこう書く、と主張したまでで、村上氏が本当に言いたいことは何か、などと忖度したわけではない。私は言葉というものは伝えたいメッセージを一義的に相手に伝えるための道具であると思っている。言葉の受取手がそのメッセージを一義的に了解してこそ言葉が言葉たる機能を発揮したと思っている。ところが私には村上氏のメッセージが彼の言葉を介して一義的に伝わってこないものだから、何を言いたいのか分からないと述べたのである。では他の人はどのように村上氏の言葉を正しく受け取った(と主張できる)のだろうかと疑問に思っていたら、内田樹さんの文章「壁と卵(つづき)」にぶち当たった。私のように村上氏の「たとえ話」が分かりにく人が多いと思われたのか、「伝道者」役を買って出られたようである。この中で内田さんは

System というのは端的には「言語」あるいは「記号体系」のことだ.
私はこのスピーチをそう理解した。
「政治」とは「記号の最たるもの」である。
現に、このスピーチの中の「システム」を「記号」に置き換えても意味が通じる。》と述べている。

この方は凄いと思った。独自の文章解析眼でもって私が理解をあきらめた「wall」の「metaphor」である「The System」を「言語」あるいは「記号体系」のことだと理解されたのである。ところが、である。「The System」がさらに「言語」あるいは「記号体系」あるいは「記号」と言葉を換えたものだから、「The System」だけでチンプンカンプンな私にはますますお手上げでなのである。でも私が世間の人に比べて文章理解力がそれほど劣っていることはあるまいとの自負心も多少はある。と思ったら「The System」も「言語」も「記号体系」も「記号」も、「metaphor」ではなくて「jargon」に見えてきたのである。

jargon」とは研究社新英和大辞典(第六版)に、
《1(職業上の)専門用語、隠語、(特殊な人たちだけに通じる)通語;(学者間の)むずかしい専門語》と出ているので、私が何を言いたいのかお分かり頂けると思う。「The System」、「言語」、「記号体系」、「記号」は村上春樹さんとか内田樹さんとか特異な知性に恵まれた方の間だけで通じる言葉なのである。ちなみにこの大辞典には引き続き《2a (ちんぷんかんで)わけのわからない言葉;たわごと》と出てくる。私の今の心情にぴったりの説明になっている。

私はお二人ほどの知性を共有しないから「The System」を村上氏の文脈での理解を諦めた上で、《私なら暗喩ならざる暗喩になってしまうが「The Nation」としただろう》と、村上氏の文章を換骨奪胎してしまったのである。

実はこれからが本論なのである。

村上氏が《To make judgments about right and wrong is one of the novelist's most important duties, of course.》と言っているのだから、では、その通りにしたらどうだ、と私は言いたいのである。それも受取手が言葉の解釈をめぐって侃々諤々の議論をせざるを得ないような曖昧な言葉遣いをすべきではない。ましてや「metaphor」などはもってのほかである。村上氏の英文原稿に使われた「metaphor」の原義はWebster's Third New International Dictionaryによると

《:a figure of speech in which a word or phrase denoting one kind of object or action is used in place of another to suggest a likeness or analogy between them (as in the ship plows the sea or in a volley of oaths) :an implied comparison (as in a marble brow) in contrast to the explicit comparison of the simile (as in a brow as white as marble)》である。

これによると「metaphor」は「a figure of speech」、すなわち「言葉のあや」であり、「言い換え」はするもののその意味する内容が変わってはいけないのである。と言うことは「wall」であり「The System」の意味する内容が厳然と存在しており、村上氏はその内容を誰もがそれと分かる言葉で表現できるはずである。それが出来ておらず、このままでは理解されにくいと思ったからこそ内田さんがわざわざ「伝道師」の役割を果たそうとしたのであろう。しかし内容を包み隠したままでの「metaphor」は「jargon」を誘発するだけで終わってしまった。

私もそうであったが科学者が科学論文を書く際に、自分の伝えたい内容が受取手に正しく伝わることを第一に考える。そのために曖昧な表現は排除する。一つの文章がああともこうとも取れるようでは論文の体をなさないからである。また言葉で表現できた概念こそ実体なのであって、言葉で表現できないような概念が論文に現れることはあり得ない。相手に伝わらないからである。その伝で言うと村上氏が「The System」が意味する内容を誰もがそれと分かる言葉で表現していないのは、書き手の怠慢としか言いようがないのであるが、「伝道師」を必要とする文章を喜ぶ大衆が多いと言うことなのだろうか。文学者はそれほど高い存在なのだろうか。




「もうろう会見」報道で墓穴を掘ったのは?

2009-02-20 15:17:25 | 放言

中川昭一前財務相が「もうろう会見」の失態がもとで辞任し、この件はひとまず落着した。テレビ映像で見た中川氏のもうろう状態は褒められたものではないが、それで財務相を辞めるほどのことなのか、とも思った。早い話が中川氏が酔っぱらったことでG7そのものがチャラになったわけでもなければ、素面だったからと言ってG7にことさら重みを添えるものもない。株屋の思惑で株価ぐらいに少々影響が出たかもしれないが、経済環境が上向きか下向きか、どちらかに急変するようなものでもなかった。あんなもの、お愛嬌ではないか。日本人の面汚しと息巻く向きもいるようだが、電車の中で乗客のほとんどが酔っぱらっていなくても居眠りするのが独自の風物詩となっているお国柄である。中川氏のもうろう状態は格好良いものではないが、私なら日本の余裕のあらわれと外国に吹聴してやる。

中川氏も「もうろう会見」の席上で、眠気覚ましに小泉さんではないがモンキー踊りでも披露すれば良かったのだ。臨機応変の才覚を発揮し得なかったことだけが悔やまれる。その昔、中川氏の大臣職では大先輩に当たる元大蔵大臣泉山三六氏が酒癖で武勇伝を発揮した。「ウィキペディア」によると《予算委員会に泥酔して出席したことが問題となり、また廊下で山下春江議員に抱きついてキスを迫り、山下議員が抵抗すると顎に噛み付くなどの不祥事が発覚、同年(1948年、引用者注)12月に引責辞任し、また議員も同時に辞職した。》のである。このニュースに思春期の私などは興奮したものだから良く覚えている。そう言えば中川氏のご父君中川一郎氏も国会敷地内での立ち小便で名を上げた方で、これなどに比べても「もうろう会見」なんて、それだけ大臣が小粒になったせいかもしれないが可愛いげなもの、と私などはつい寛容になってしまう。ちなみに、泉山氏は《この一件で「大トラ大臣」として知名度が向上した事が功を奏してか、かえって一般人気は高まったと見え、1950年の参議院議員選挙では全国区から立候補、得票数第7位で当選した。以後2期12年務める》(「ウィキペディア」)のである。

中川氏の振る舞いよりも今回の事件で私の関心を惹いたのはG7出席者に同行した取材陣の存在理由である。今日の朝日新聞朝刊に次のような見出しでかなり大きな記事が出ているが、私が問題にするのは下の記事の部分である。




この記事は2月13日のことで《財務省幹部と打ち合わせ後の午後10時40分ごろから、中川氏が記者4人を呼び、宿泊先のホテル内で翌日午前0時半ごろまで懇談。中川氏はジントニック3、4杯を飲んだ。中川氏と麻布中・高校の同級生でもある財務省の玉木林太郎国際局長も加わった。 》(asahi.com 2009年2月20日10時33分)に続くのである。さらに次の記事がある。14日午前8時15分から、イタリア経済・財務省で始まったG7本会合に出席してからの行動なのである。

《中川氏は昼食会の途中で退席し、宿泊先のホテルに戻った。午後2時50分からのロシアのクドリン財務相との会談までの約40分間、レストランで昼食にサラダとパスタを食べた。
 昼食には、玉木局長ら職員3人と政務秘書官、通訳、旧知の知人に加え、前夜に懇談していた読売新聞の女性記者が同席。この場でも酒が出された。「大臣がワインを注文した。レストラン側からこのボトルでいいかと聞かれ、大臣がそれでいいと言った。大臣は口をつけた程度の飲み方しかしていない」「読売新聞の記者は取材で近寄ってきて、時間がないので入ってもらった」(19日の衆院予算委員会の玉木局長答弁) 》

ここで私が注目したのは読売新聞女性記者の存在である。ここまで中川氏に密着して取材している以上、マスメディア他社を寄せ付けない彼女ならではの独自の記事が読売新聞を飾っているであろうと思った。私は読売を購読していないので図書館にでも出かけないと調べようがないが、YOMIURI ONLINEの「激震・麻生政権」の特集記事に目を通す限り、私の期待する記事は見あたらなかった。反対に次のような言い訳がましい記事が目についた。

《読売新聞東京本社広報部の話「衆院予算委員会で取り上げられた14日の昼食に本紙記者が同席していたことは既に本紙で報じた通りです。G7取材の一環であり、記者は昼食の間、携帯電話に、原稿の問い合わせなどを受けて数回にわたり席を外したため、中川氏がワインを飲んだところは見ていません。中川氏はろれつが回らない様子ではありませんでした。記者自身はグラスに口をつけていません。前日の13日夜も他社の記者とともに中川氏と軽食をとりながら取材しました」》(2009年2月20日09時52分 読売新聞)

この記事を読んでこの女性記者はなんて失礼な人なんだろうと私は思った。上の衆院予算委員会の玉木局長答弁で「読売新聞の記者は取材で近寄ってきて、時間がないので入ってもらった」とあるその女性記者なのである。わざわざ割り込んだ昼食に同席しながら(食事をともにしたのかどうかわ記事からは分からない)その間かかってきた携帯電話のために数回席を外したというのである。これでこの女性記者には取材よりも携帯電話に出る方が大事だという判断のあったことが分かる。一国の財務大臣(大蔵大臣と言った方が私は重みを感じるのであるが)に取材している間にかかってきた携帯電話に出ること自体、取材相手に対してきわめて失礼であり、取材をいとも軽々しく放棄した以上、報道人としてはすでに失格なのである。

と私なりに正論をちょっと振りかざしたが、実は私は玉木局長の答弁も読売新聞東京本社広報部の話も信じていない。女性記者が14日の昼食に同席したのは取材なんかでありえないと思っているからである。曲がりなりにもG7取材に抜擢された読売新聞の女性記者が上に述べたような非礼を働く人物であるとは私の常識では考えられないからである。とすると答えは一つ、女性記者は取材ではなく、財務相の取り巻きの一人として昼食に同席したのである。

朝日新聞が《この席(14日夜、ホテルでの会合、引用者注)には朝日新聞記者はいなかった》というのも言い訳がましいが、自社の記者が「取り巻き」と決めつけられずに済むことにさぞかしホットしたことであろう。ここで明らかになったことは、朝日記者は少なくとも女性記者が取材したことになっている13日夜の会合にも14日の昼食にも同席していないのだから、取材チャンスにハンディキャップを背負ったことになる。ところが現実にはどうだろう。G7に関して朝日と読売とで「新s あらたにす(日経・朝日・読売)」に現れた記事は似たり寄ったりであった。私の上の推測と矛盾はしない。

今の経済情勢でG7での取り決めに何かの実効を期待する人が居るとは思えない。それをよく知っているはずの日本のマスメディアなのに大勢の取材陣を派遣する。全くの無駄遣い、他人事ながらマスメディアの経営感覚が心配になる。朝日朝刊記事によると記者会見の《会場は80席あり、メディアは50人程度。ほとんどは日本人で、外国人はイタリア人カメラマンら数えるほど》であった。しかしG7そのもので取り立てて報道すべきものは何もない。しかし大金をかけて「取材」に出かけたのに何も無いではまずいな、と思ったところへ「もうろう会見」は格好の材料を提供してくれた。しかも有難いことに外国のメディアが取り上げてくれた。後は尻馬に乗っかれば良いだけの話である。上の朝日の記事にしても良く読めば中川氏の実際の状況がどうであったのかを明らかにしたものではなく、朝日朝刊本紙には下の見出しで記事が続くが、これは事件の本質の探求、そして多くの読者の知りたいと思っている背景の解明を放棄したことへの言い訳の弁なのである。



「もうろう会見」報道で墓穴を掘ったのは中川氏だけではないように思う。


大麻問題 騒ぎすぎでは?

2009-02-17 11:42:24 | 放言
法政大学の学内調査で男子学生8名がキャンパス内で大麻を吸引していたことが明らかになり、8名を無期停学処分にしたとのニュースが流れたかと思うと、今度は京都大学学生が大麻所持の現行犯として警察に逮捕された。大麻所持で大学生の摘発が相次いでいるが、いずれは東大をも含めたほとんどの大学がマスメディアに顔を揃えることと多くの人が思っていることだろう。

確かに大麻取締法という法律があって、次の条文を見ると一般の人が大麻を持っているだけで罰せられることになっていることは分かる。

《第24条の2 大麻を、みだりに、所持し、譲り受け、又は譲り渡した者は、5年以下の懲役に処する。
2 営利の目的で前項の罪を犯した者は、7年以下の懲役に処し、又は情状により7年以下の懲役及び200万円以下の罰金に処する。
3 前2項の未遂罪は、罰する。》

だから京大生が大麻所持現行犯として警察に逮捕されたのは当然のことなのであるが、なんだかモヤモヤとした思いが残る。法律に違反した疑いがあるからというのは分かるのであるが、大麻所持がどのような実害(たとえば吸引による健康障害)を人に与えるのかが私には理解できていないので、大麻取締法の必要性が分からないからである。

私はいまだかって大麻を見たこともなければ触れたこともなく、とうぜん吸引したこともない、と思っている。私がそれと知らずにどこかで植わっている大麻を見ている可能性は否定できないが、それとは認識していない以上私の関知するところではない。となると大麻は私にとっては言葉だけの存在なので、かりにこれが怖ろしい毒草だとか、また社会に害毒を流すからと言われても何一つ実感は湧かない。この点、阿片とかタバコの害に対する認識とは大きな違いがある。

阿片に関しても、それを見たこともなければ触れたこともなく、ましてや吸引したことがないという点では私にとっては大麻と同じである。しかし阿片の害については阿片戦争の事例もあり、中国で無数の阿片中毒患者が存在したことから医学的な研究も十分なされていることだろうから、私自身関連文献に目を通していなくても、研究にもとづいて唱えられている阿片の害を私は素直に認めることが出来る。

タバコの健康障害に関しても、タバコ吸引者が日常私どもの周辺に満ちあふれているので、研究対象にことを欠かないと言う利点があり、従って研究者に健康障害を説かれると、さもありなん、と受け入れることができる。ところが大麻の健康障害について阿片やタバコほどの研究がなされているとは思えない。疫学的研究が日本で大規模になされたとは私は寡聞にして知らないし、ましてや長期にわたる臨床試験などは皆無ではなかろうか。いずれにせよ疫学調査などは常習吸引者がいないことには研究自体が成り立たないので、誰もが納得する実験データが生まれるはずがない。

ところで、このような臨床試験、人体実験をも含めた研究が大麻取締法に抵触せずに可能なのだろうか。私は法律門外漢であるが条文を常識的に理解する限りこのような研究が可能のようなのである。

まず次の条文がある。

《第2条 この法律で「大麻取扱者」とは、大麻栽培者及び大麻研究者をいう。
2 この法律で「大麻栽培者」とは、都道府県知事の免許を受けて、繊維若しくは種子を採取する目的で、大麻草を栽培する者をいう。
3 この法律で「大麻研究者」とは、都道府県知事の免許を受けて、大麻を研究する目的で大麻草を栽培し、又は大麻を使用する者をいう。》

この第三項の『大麻を研究する目的』と言われても、大麻の何を研究するのかとは規定されていないのでこれ以上の解釈のしようはないが、次の『大麻を使用する者』のところで『(人体への健康障害を解明する研究に)大麻を使用する者』との解釈が成り立つのであれば、この「大麻研究者」は健康障害の研究を遂行するライセンスを得ていることになるのではないかと判断した。

一方、大麻取締法は大麻の栽培、所持、輸出入には罰則を科しているが、吸引に関してはいかなる規定もない。そうすると医師が「大麻研究者」としてのライセンスを得て、大麻取締法に抵触しない方法でボランティアとしての大麻吸引希望者に大麻を好きなだけ吸引させることが可能であろう。医師の厳重な健康管理下でこのような臨床試験を行うのであれば、吸引自体は法律に触れることではないから、ボランティアには事欠くまい。後期高齢者になれば好奇心旺盛の私なんか率先して希望するかも知れない。いずれにせよ科学的に納得されうるデータが存在しない現状で、大麻の健康障害は絵空事のようなものである。

臨床試験を経て効き目があるとして出まわった医薬品にしても、その後効き目がなかったとして撤回されることも珍しいことではない。一般の臨床試験よりも質量において遙かに劣る研究データにもとづくと思われる大麻の伝えられる健康障害に、どれほどの信憑性があるものやら分かったものではない。このように大麻の害毒が言葉だけのものとの前提で考えると、今のところ大麻の所持はたんなる法律違反という問題に帰することになる。となると道路交通法違反と変わることはない。いや、スピード違反や酒酔い運転は第三者に被害を与える恐れがあるから、こちらの違反の方が罪が重いとも言える。ところがスピード違反で学生が捕まって罰金を払わされたからと言って、無期停学処分をするような学校が日本にあるとは思えない。その意味で法政大学の学内調査で明らかになった大麻吸引学生に対する無期停学の処分はどうみてもヒステリックな行為としか言いようがない。事の軽重の判断力が欠如したマスメディアに煽られる世間に阿っているとしか思えない。警察沙汰になっていない以上、学内問題としてもう少し考えようがあるのではなかろうか。

それにしても警察に捕まった京大生、新聞で読む限り大阪アメリカ村のクラブに夜明け近くまで従業員として居たのか客として居たのか私には分からなかったが、警官に調べられる前に大麻・吸引具を処分する才覚すら働かなかったとは情けない。その上、親を泣かすとはなんたる親不孝者だろう。


これでは核融合研究より農業再生を

2008-12-18 22:24:34 | 放言
私の3月13日の記事筑波大プラズマ研 不適切なデータ解析についてに最近あるコメントが寄せられたが、内容的に公開するまでもあるまいと一旦は思った。私の記事に対する直接的なコメントではなくて、この方の一方的な主張で終わっていたからである。しかしこのコメントに何回か目を通しているうちに、ひょっとして核融合研究なるものはある種の「ぺてん」かも、というとんでもない疑惑を抱くようになったのである。なぜそのような疑惑をいだくようになったのか、そのコメントを一つの材料として話を進めるために公開することにした。関心のある方はその全文を上記記事のコメント欄でご覧いただきたい。

コメントのタイトルが「改ざんではありません」とあるように、この方は「不適切と疑われるデータ解析」と判定した筑波大学研究公正委員会調査委員会に反論されている。問題論文の著者の一人なのかどうかはわからないが、この問題の表に出ていない事情をご存じのようである。しかしそのように装っているだけなのかも知れない。コメントの冒頭に《改ざんと認定されたデータ解析方法ないしグラフ等について、詳しく解説がされておりその内容はCho-Teruji.Org(和文)ないし Cho-Teruji.net(英文)にて照覧することが出来ます。》とあるが、これだけでは私には「詳しい解説」を見ることが出来ない。ソースの所在とそれへのアクセスの仕方が明示されていないからである。従ってこの一文は私には何の意味をも持たない。(追記 http://www.cho-teruji.org/から参照できることをこの方のコメントを公開した段階で気づいた。投稿者のURLがこの時点で明らかになったからである。しかし明示されていなかったのは事実であるので、本文をあえて訂正せずにそのまま残したことをお断りする。23:27)  そしてコメントは《PRLへの論文Figure 1については、下記に抜粋で反論を述べます。》で始まり、Figure 1(a)に関するデータ解析の正当性の一方的な主張に終始する。

この問題に対して私の態度は明確で、私のブログ記事の主張点は次の通りである。

いくらデータ整理にそれなりの手法があるにせよ、上の「豆まき」データを下の「曲線」に仕上げるとはこの専門家集団はよほど楽天的なんであろう。「豆まき」データを前にして私ならどうするか。もしこれが意味のある実験結果であるとそれなりの確信と期待があれば、さらに解析に値するデータの収集に取り組むであろう。同じ測定を繰り返してデータを積算するのである。たとえば酸素化ミオグロビンの光解離と再結合の時間経過を観測するには、レーザーパルス照射で酸素分子とミオグロビンの結合を切断することで反応を開始するが、光解離の量子収率が低いのでシグナルの変化量がきわめて小さく、デジタルオッシロで記録したデータはまさに「豆まき」状態である。しかしレーザーパルス照射を繰り返して反応を反復開始させて、その度ごとにシグナルの時間変化を記録、積算していくと次第にどのような変化が起こっているのかが判断できるトレースが出来上がってくる。生体試料であるが100回ぐらいの積算ではびくともしない。そこで初めて統計的手法を取り入れてデーター解析を進めることになる。

要するに解析に値しないデータをいくらいじり廻してもそんなものは無意味であると言っているのである。ここで私のいう「豆まき」データをもう一度筑波大学が公開した資料2説明資料からここに引用しておく。



よく目をこらすとこの点の分布が来年の干支のうしのようにも見える。左側が頭で角もあるようだ。人によってかたつむりに見えたとしても何の不思議もない。無限の想像力がかき立てられる。「豆まき」データとはそのような状態のもので、いわば水晶の玉の中に煙がもうろうと立ちこめているようなものである。練達の占い師ならこの先に待ち受けている素晴らしい人生をこれで予言してくれるかもしれないが、この「豆まき」データを科学的解析の対象にしたこと自体私には「驚き桃の木山椒の木」なのである。

この「豆まき」データからは縦軸と横軸にどのような相関があるのか見当の付けようはないが、その相関をある関数で表すことが出来ると思い込めばあとは一気呵成、想定式にデータをフィットさせるという機械的なデータ処理で欲しいパラメーターを作りだし、それを使って論文に発表するような次の図が出来上がるのである。しかし科学的には一顧の価値もないただの図形である。極論すれば実体の裏付けのない想像力の産物に過ぎないといえる。



ところで筑波大学公開の資料1本事案の詳細についてには《プラズマの研究は、将来のエネルギー源として期待される核融合を地上で実現することを目指しています。核融合反応には1億度以上の温度が必要であり、このような高温では物質は電子とイオンに分離しており、これをプラズマと呼びます。核融合燃焼している高密度のプラズマを長時間安定に閉じ込め、制御することは容易ではなく、実用化に至までの研究段階でも巨額の開発費用を用いた実験装置が必要とされています。》と述べられている。

では将来のエネルギー源としていつ頃核融合反応が現実に利用されることになるのだろうか。岡野邦彦さんの「核融合とは」に次のような予定が示されている。



核融合炉実用化への準備が完了する予定が2050年、これはなんと昨日紹介した石川英輔氏の物語によるとこの頃日本は江戸時代に戻っているのである。行灯をともせばいいのに核融合発電とはこれいかに、である。結果が出てくるのが40年先だとすると後は野となれ山となれ、クリーンで永続性のあるエネルギー源を錦の御旗に、言いたい放題やりたい放題がまかり通っているのが核融合研究の世界のような気がし始めたのである。このたび筑波大学で問題になったような中途半端なデータ収集とそのJARGONめいた解析の現状が温厚篤実な紳士である私をしてここまで言わしめたのである。

日本の将来に必要なのはなにはともあれ食料の自給自足、そのために農業の再生こそ最重要課題であり、核融合発電よりこちらのほうに予算を割くのが賢明な選択であろう。F1からの撤退は今や自動車産業の潮流となった。核融合研究も後れをとるべきではない。


事故米騒動で少し分かったこと、そしてメタミドホス汚染米の怪

2008-09-17 17:39:09 | 放言
昨日のブログで《基準値を超える農薬が含まれている米がなぜ輸入されてしまったのだろう。残留農薬の検査をしたから基準値を超える値が分かったのだろう。それならなぜ通関の段階で検査をして、不良品は突っ返すことをしないのだろう。》と私の疑問を述べて、《私(国民?)が本当に知りたいことがなかなか報道されていないことを痛感する。》と結んだ。この声が届いたわけではないだろうが、今朝の朝日新聞「ニュースがわからん!」の欄でこの疑問に答える解説が出ていた。



上の解説図が示すように汚染米の流れに二つのルートがある。解説によると元来は返品もしくは廃棄されるべき汚染米が見つかっても、その処理にお金がかかるから、政府に委託されて食用米を輸入した商社は糊などの原料として活用したとのことである。お金がかかると云ってもそれは輸出国が負担すべきであると思うのだが、それを商社が負担しなければならないような契約を結んでいるのだろうか。また新たな疑問が残るが、汚染米の流れとしてはそれなりに分かった。

もう一つは06年5月から、それまで問題にならなかった農薬のメタミドホスが禁止の条件になったことに由来する流れがが挙げられている。輸入済みの米を調べたところ、基準値を超えるメタミドホスが検出され、今更返品できずに工業用として売ることにしたそうである。これで今の基準によればメタミドホスに汚染された米がなぜ国内に入ってきたことは理解できた。これを以下『メタミドホス汚染米』と呼ぶことにする。

しかしここで新たな疑問が生じる。06年5月以前に正常な食用米として市場に出まわっていた米の中にはいわゆる『メタミドホス汚染米』が含まれていたことになるではないか。93年のウルグアイ。ラウンド合意で年間約77万トンの米を義務として輸入することになったのであるのなら、06年5月にいたるまでどの程度の『メタミドホス汚染米』が入ってきたのだろう。昨日の朝日新聞は《農薬などに汚染された事故米が食用に転用されていた問題で、有機リン系農薬成分のメタミドホスが検出された中国産のもち米は3500トンあることがわかった。中国産もち米は03年度に計5千トンが輸入されており、その7割が汚染されていた計算だ。ほぼ全量が、米穀業者などに売却されたとみられる。》と報じている。

メタミドホスがフリーパスであった10年以上の期間には『メタミドホス汚染米』が大手を振ってまかり通っていたのである。その通りだとすると人間の健康に対する影響は今のマスメディアの論調では計り知れないほどのものになるはずだが、過去、食用米を介してのメタミドホス由来の健康障害が報告されたとは私は寡聞にして知らない。おそらく被害はなかったのであろう。そうだとすると今回の事故米騒動でも健康障害が問題になりうる筈がないと云える。

それなのに昨日政府が事故米を手にしていた約370業者名を公表した。これ、いったい何の意味があるのだろう。ばっかじゃなかろうかと思う。中には事情を知りつつ悪事に手を染めた業者もいるだろうと私は思うが、無辜の業者のいることも間違いなかろう。それを十把一絡げに機械的に名前を公表することはあまりにも軽率な行為である。名前を公表するのであるのなら、まずは「三笠フーズ」の不正行為を見抜けなかった農水省担当者の名前をその処分と共に公表すべきではないのか。

昨日も述べたように、関係当局は事故米転売の実情を詳らかにして、不正転売を可能にした仕組みを排除することが先決なのである。

それにしても事故米が末端に届くまでその間に11業者が入っているなんて、日本の流通経済は消費者にとってなんと非能率的に出来ているのだろうとただただ呆れ果てるばかりである。それともこれが騙しのテクニックなのだろうか。

事故米騒動あれこれ

2008-09-16 17:12:08 | 放言
大阪に本社のある「三笠フーズ」がカビ毒や残留農薬で汚染された事故米を食用に転用し、その米が延べ約370の業者や施設に流通していたそうである。常識的に考えて悪いのは「三笠フーズ」ただ一社だけで、他の業者全てが無辜の被害者ということはあり得ないと私は思う。関係した企業は24都道府県にまたがっているとのこと、少しでも安い材料を仕入れるべく担当者のあがきが正常な判断を狂わせたのかも知れないし、またうすうす事情を承知で仕入れたこともあるだろう。仕入れ・販売価格がどのように変化していったのか、各業者ごとに精査すると必ず不自然な動きが浮かび上がってくると思う。読売新聞によると《三笠フーズが政府から購入した際は約9円だったが、病院や保育園などに納入していた給食会社「日清医療食品」(東京都)には約370円で売られた》とのことである。ただこの記事では「三笠フーズ」から出た事故米がそのまま姿を変えずに「日清医療食品」に流れていったのか、それとも中間過程で事故米が正常米に混入されて姿を変えたのかは分からない。だから40倍強の価格上昇をそのまま受け取るにはためらいがある。朝日新聞によると「三笠フーズ」が事故米となった中国産もち米を1キロ当たりの単価は8.9円で購入し、その米を佐賀県の仲介業者に単価約40円で売っていたとのことである。 もしこの時点で事故米が食用米とされていたのであれば、この仲介業者は単価約40円に不審を抱かなかったのだろうか。



それにしても朝日新聞が示した流通経路ではこの間にかなり多くの『複数仲介業者』―11業者―が関与している。それぞれが程度はともかくそれなりの事情を知りつつ、不当な利潤を上げながら事故米を転売していたと見るのが素直であろう。転売の実情を関係当局は詳らかにして、不正転売を可能にした仕組みを排除することが先決であろう。それにしても時が江戸時代でないのが残念である。世が世ならこのような手段で不当利益をあげた「三笠フーズ」は闕所、首謀者は市中引き廻しのうえ斬罪・獄門と見せしめにしたいところである。

このような不正転売がなぜ可能だったのだろうか。それは元来米粉加工会社である「三笠フーズ」が事故米の購入資格を持ったからだと思う。報道によると「三笠フーズ」が事故米の購入資格をもっていた個人商店「宮崎商店」(福岡県)を買収したのが2002年のことである。《農水省によると、事故米の購入は、工業用のりの製造業務を商業登記の目的欄に記載した業者に限られ》(朝日新聞)るというから、「三笠フーズ」が「宮崎商店」を買収して商業登記の目的欄の記載を変更した時点で、「みそもくそも一緒にする」ことが可能になったのだろう。監督官庁にどのような指導権限があるのか私は知らないが、このような事業形態が認められたことがそもそもおかしい。不正転用を後押ししているようなものはないか。専門家の説明が欲しいものである。

事故米が焼酎、みそ、せんべいなどの米菓に加えて、施設での給食にも用いられていたそうである。今のところ人体被害の報告はないようであるが、酒造会社などでは100万本分を超す酒が自主回収の対象となっているとのことである。またもや『自主回収ヒステリー症候群』の発症である。事故米に云われるような農薬、カビ毒などがある程度残留していたとしても、誰もそのまま生米を囓るわけではない。酒類の製造にせよ、せんべいや味噌の製造にせよ、原料の米を洗浄するのではないか。それだけで原料に含まれるとされた基準値の6~2倍のメタミドホスなら、必ずその基準値より下がるだろうし、製品への混入は無視できるであろう、というのが私の推理である。太田農林水産相ではなしに知名度の高い科学者が「人体に影響がないことは自信をもって申し上げられる。だからあんまりじたばた騒ぐことはない」ぐらいの発言をもっと積極的に行うべきではなかろうか。これも科学者の社会的責任の一端であろう。回収した100万本のお酒、一体どうするつもりか。もしこれ見よがしに廃棄するような酒造会社があれば、なにか後ろ暗いところを隠すために派手なパフォーマンスをしているのだと見たほうがよさそうである。

農水省もおかしい。保管中にカビが生えるような米なら、余計な薬剤が入っていない証拠と受け取れる向きもあるが、その一方、基準値を超える農薬が含まれている米がなぜ輸入されてしまったのだろう。残留農薬の検査をしたから基準値を超える値が分かったのだろう。それならなぜ通関の段階で検査をして、不良品は突っ返すことをしないのだろう。

暇に任せて考えると、今度の事故米騒動でも私(国民?)が本当に知りたいことがなかなか報道されていないことを痛感する。

JRに考えて欲しい飛び込み防止策

2008-07-13 17:38:19 | 放言
7月11日(金)に大阪いずみホールでのコンサートに出かけた。終わったのは午後9時前で環状線で大阪駅に出て、神戸方面に向かう新快速なり快速に乗り換えようとしたら何かアナウンスが聞こえてきた。いやな予感がしたら案の定事故でダイアが乱れていたのである。来るときは阪急だったが時間も遅いしJRで最寄りの駅まで行きそこからタクシーで帰宅するつもりであった。

JRをこの前に利用したのは先月6月16日で富山に出かけたときであった。この日も京都線でなにか事故があってダイヤが乱れているということなので、とりあえずプラットフォームに止まっている快速電車に乗り込んだ。神戸から大阪までいつもの倍のほぼ1時間近くかかったが大阪9時42分発の特急サンダーバード11号に辛うじて間に合った。大阪駅に滑り込んだのは9時30分でサンダーバードは2分遅れの発車だった。この日はかなりゆとりを見て家を出たのでよかったが、いつもの調子だと特急に完全に乗り遅れていた。京都線のどこかのガードにクレーン車が接触し、安全性を確認するためにダイヤが乱れたとのことだった。

めったに乗らないJRで2回連続でトラブルに巻き込まれるとはよほど相性が悪いのだろう。翌7月12日朝日朝刊に次のような記事が出ていた。私もこの8万人のうちに入っていたことになる。結局普通電車で帰ったが大阪から神戸の間に新快速一台に追い抜かれただけであった。



2002年11月に大阪市淀川区のJR東海道線塚本―尼崎間で、新快速電車が線路内で遊んでいた中学生と接触。その中学生の救助作業をしていた救急隊員2人が後続の特急「スーパーはくと11号」にはねられ死傷した事故をきっかけに、JR西日本では安全管理体制を強化して運行制限の範囲を広げた。そのせいで人身事故が発生する度に影響を被る乗客が飛躍的に増加したように思う。死を選ぶ自由を私は否定しないが、自分の行為が多くの人に計り知れない迷惑をかけることに気づけば、場合によれば死を思いとどまることにもも繋がるかも知れない。その具体的な方策をJRも積極的に考えていただきたいが、私なりの提案がある。

私の母方の伯父がかってJRの電車にはねられて死んだ。母の長兄で私が滞米中のことでもあり詳しい話は聞けなかった。その後も母は口を濁して多くを語らなかったが、どうも踏切が閉まりかけたのに伯父が駆け抜けようとして線路内に入りはねられたらしい。遺族はJR(その頃は国鉄時代)から補償話を持ち出されて話が決着するまでにかなりの時間がかかったようである。具体的な金額もまたどのように話がまとまったのかも聞いていないが、適当なところで折り合ったのではなかろうか。

飛び込み自殺があるとJRが余計な出費を強いられるのは事実である。その全額を遺族に請求するのかどうか分からないが、JRから見れば疑いもなく営業妨害であるから損害補償を要求することは筋が通っている。「いい日旅立ち」のイメージとは合わないかも知れないが「飛び込み自殺をすれば遺族が補償で大変なことになりますよ」とのメッセージをなんらかの形で日ごろ明確に発信して、少しでも理性の残る自殺願望者に思いとどまらせるようにしてはどうだろうというのが私の考えである。


山本モナさん、宇野千代さんを目指しましょう

2008-07-11 13:29:47 | 放言
モナ・ニュースがマスメディアを駆け巡っている。nikkansports.comの芸能ニュースで「【山本モナ】不倫疑惑をまとめて読む」を読むと経緯が一応は分かる。民主党の代議士となにかがあってテレビ番組から降ろされ、その復帰第一回目の自分がキャスターを務める番組のあとで巨人軍の野球選手とまた何かがあって、ふたたび謹慎させられることになったとか、なかなか可愛いお方である。と言っても私が彼女をテレビで見たのは確か「ニュース23」番組の中であったと思う程度なのである。なにか騒ぎがあると私は野次馬根性丸出しでテレビを観たくなるのに、早くもお休みとは残念なことである。

私はこういう奔放な芸人さんが大好きである。世の中の人がすべて私のような石部金吉ばかりだとてんで面白くない。しかし実は石部金吉さんも型破りの生き方をする人から日々生きる上で大きなエネルギーを貰っているのである。自分の向いている方向だけが人生でないことを教えて貰えるからである。似たもの同士では刺激も励みも何も生まれない。そういう味のある芸人さんを育てるのが芸能プロだろうと思うのに、なにかあると事なかれ主義でテレビから引っ込めるとは理解に苦しむ。その点、巨人渡辺会長が今回の騒動について、報道陣に「君らだってやってんだろ。同じようなもんじゃねえか」と吐き捨てるように話した、と言うのはさすがである。

ふと宇野千代さんを連想した。もちろん今の時点ではモナさんとは比べものにならない人生の大達人であるが、この方の奔放な生き方は筋金入りであったようだ。まず何人かの男と浮き名を流し、その延長線上に現れ生活を共にした男が尾崎士郎、東郷青児、北原武夫と続く。それぞれが日本文化の積極的な担い手であった人たちである。そのほかに何人の男がいたことやら、黒柳徹子さんが「徹子の部屋」で文化人の名前を次から次へと挙げていくと、「寝た、寝た、寝ない、寝た、寝た・・・」と返事が返ってきたそうで、「あんなに、寝た、寝たとまるで昼寝でもしたように話する人にははじめてお目にかかった」と徹子さんをして言わしめたそうである。モナさんにはこれからも文化人はもちろんのこと法曹人とか学者とかにも手を伸ばし、大成の肥やしとされんことを老僕心ながら念じる次第である。


隣組と洞爺湖サミット

2008-07-06 18:30:41 | 放言
昔話になるが私の朝鮮時代の頃、遅まきながら京城でも隣組が作られることになった。この戦時下隣近所お互いに協力し合いながらこの難局を乗り切りましょう、というような趣旨だったのか。Wikipediaは《かつて日本にあった制度で、1940年に初めて明文化された。町内会のさらに下にあり数家庭ごとに一組を組織し、配給の効率化や思想統制を図った》、《隣組は内務省が布告した「部落会町内会等調整整備要綱」に基づく5軒から10軒の世帯を一組とし、団結や地方自治の進行を促すための集団である》と説明している。「隣組」というテーマソングまであって、「とんとんとんからりっと隣組」とはずむようなリズムが調子よくて子供同士で声を合わせてよく歌ったものだ。だから今でもちゃんと歌える。

三坂通りのわが家の加わった隣組には大地主だか大富豪がいた。わが家の百軒分以上の広大な敷地に塀を巡らせてあって、長方形の一辺は通り道に面していて子供たちの格好の遊び場所になっていた。ボール遊びや15センチぐらいの小さな棒切れを30センチぐらいの大きな棒切れで弾いて打って飛ばすという朝鮮野球(と呼んでいたと思う)などをよくしていて、塀の中に棒切れなどが飛び込むとそれを取るために私も塀をよじ登り中にり込んだものである。ついでに探検して廻ったが立派な果樹園のあったのを覚えている。両班(やんばん)が朝鮮の文臣、武臣の両支配階級を指すことは最近の韓国ドラマのおかげで日本でも知られてきたが、私たちはこの大富豪を単純に金持ちの意味でヤンバンと言い習わしていた。この言葉は今でもわが家では生きている。

戦争が始まった年だったか隣組の初めての集会がこのヤンバンの家であった。凄いご馳走が出たと父が語っていた。毎月一度隣組回り持ちで常会という名目のご馳走会が開かれて、やがてわが家の当番になった。母の嫁入り道具だったのだろうか、脚のついた塗りのお膳十客分が二階の二間続きに並べらた。大張り切りの母が隣近所の助け合いで料理が調えたのである。しかしご馳走会は長続きせずにいつの間にか立ち消えになり、消火訓練や竹槍訓練などを隣組でするようになり、そして結局は戦争に負けて日本人は着のみ着のままで日本に引き揚げた。何のための隣組だったのか。

明日から始まる洞爺湖サミットからこの隣組の話を連想したのである。私はG8サミットなんて隣組ではないが、先進?八カ国のご馳走会のようなものだと以前から思っているので、関心もなければ期待もしていない。ただのお祭り騒ぎ、そして今回も地球温暖化だとか騒いでいるが、日々の天気予報すらままならぬ予報技術しかないのに、どうして何十年先の事など予測できるというのだ。コンピューターを使ってのシミュレーションごっこに過ぎない。それなのに二酸化炭素排出権がどうのとか、お金のやりとりの話だけが先行している。地球の温暖化なんてナンジャラホイで地質学的年代スケールでみると下図(出典は dawn of man The Story of Human Evokution, By Robin McKie, Dorling Kindersley Publishing, Inc., 2000)でも分かるようにアフリカに原人が出現してから今に至るほぼ200万年の間に数十回もそれぞれの原因が複雑に絡み合って寒暖を繰り返しているのである。このスケールの上では50年、100年なんて芥子粒の大きさに過ぎない。宇宙スケールで地球寒暖の変動をもたらすメカニズムが解き明かされてもいないのに(その時は永遠に来ないかも知れない)、50年、100年先のことだから予測が出来ると思うのは人間の思い上がりである。100年先に予測が間違っていることが判明しても誰ももはや責任が取れないことだけははっきりしている。地球温暖化、すべてが下手な考え休むに似たり、である。かりに現在温暖化に向かっているとしても、何万年もすれば必ず寒冷化に向かうし、いずれにせよ心配せずとも人間のDNAはどこかで生き残る。



地球の温暖化よりわれわれにとってもっと身近で早急に解決すべき課題が目前にあるではないか。原油と食料の異常な価格高騰である。全世界の人々の生活が大きな影響に晒されている。目にはっきりと見えているこの異常な状況変動にG8サミットが即刻対策を立てることこそ急務であろう。G8サミットがご馳走ごっこではなくてせめてマフィアのボスの集まりであるコミッションのように、原油価格、食料価格の高騰をもたらし不当な利益を上げたものに実効ある制裁を加えるぐらいの力を期待したいものであるが、実は私はとっくの昔に諦めている。だから洞爺湖サミットのニュースなんて見る気もしない。