星のひとかけ

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大戦下の友情: ユッシ・エーズラ・オールスン著『アルファベットハウス』/ ピエール・ルメートル著『天国でまた会おう』

2019-09-30 | 文学にまつわるあれこれ(鴉の破れ窓)

『アルファベット・ハウス』ユッシ・エーズラ・オールスン著、鈴木恵 訳、ハヤカワミステリ文庫
『天国でまた会おう』ピエール・ルメートル著、平岡敦 訳、ハヤカワミステリ文庫


両者ともにミステリ小説界の人気シリーズをもつ作家。 オールスンは『特捜部Q』シリーズがベストセラーとなったデンマークの作家で、 一方のルメートルは、カミーユ・ヴェルーヴェン警部シリーズで人気のフランスの作家。 、、とのことなのですが、私、 両シリーズ共読んでいません。 そして今回の両作品は ハヤカワミステリ文庫から出ていますが ミステリ小説というわけでもありません。

殺人事件や 犯罪といったものが登場する意味では 広義のミステリ小説かもしれませんけれど、 大戦を背景にした(日本で言うなら)純文学作品になると思います。 だから、 両作品とも 出版者の謳い文句では 「特捜部Q」の作者… 、 「その女アレックス」の作者… 、、と掲げられて そちらを経由して読む方も多いと思うのですが、 クライムノヴェルのスリルや謎解きなどのミステリ要素を求めて読むと ちょっと期待と違うことになるでしょう。 特別ミステリファンでない読者のほうが興味深く読めるのではないかしら、、 例えば カズオ・イシグロの『わたしたちが孤児だったころ』に関心を持った方など…  

大戦に出征した若者たちの悲劇と友情をテーマにした物語、、 という点で 両作品には共通するところがあるのですが、 作品の趣きというか 雰囲気というか、 読んだ印象は正反対に感じるものでした。 片やドイツが舞台、 片やフランスが舞台の違い?、、 というより、 作家さんの《戦争の持つ悲劇性》へのアプローチの違い、、 そんな風にも感じました。

 ***


『アルファベット・ハウス』ユッシ・エーズラ・オールスン著


第二次大戦末期。
英国空軍のパイロット、 ブライアンとジェイムスは ドイツ上空の偵察中に撃墜されパラシュートで脱出する、、 敵地の領内で命からがら彼らが乗り込んだ列車は ドイツ軍兵士の負傷者や病人を運ぶ車両だった。 英国人であることを隠すために 二人は言葉もなにも理解できないほど精神に障害を負ったドイツ兵のふりをして病人たちに紛れ込み、 ナチ監視下の精神病院に送られる…

そこで二人がいかに見つからずに生き抜き  生還への道を探るか、、 その精神病院の日々の描写が、、 (著者は父が学者で、幼少時に精神病院の様子を見て育ったというだけに) ナチの実験的な精神療法の事など、 シリアスな面もリアリティがあって読み応えはあるのですが、、 とても重い… そして 二人を取り巻くほかの患者たちとの日常が、、 とても悲惨、、。 上巻の終わりのほうまでその毎日の描写がひたすら続くので、、 いつまでこれが続くんだろう… とちょっと読むのをやめようかと思ってしまいました、、

しかし、、 そのあと物語が動いて 舞台は急に1970年代へ…
精神病院に身を隠していた二人のうち、 英国へ生還したのはブライアンだけでした。。 時は流れ、 第二次大戦は遠い過去のものとなり ブライアンはビジネスマンとして成功もしている、、 しかし、、 かつての相棒 ジェイムスの事は片時も頭を離れることは無かった…

、、 戦時下という異常な状況がふたりの運命を分け、 そして それぞれに繁栄を遂げ戦争が過去のものとなった英国とドイツの現在の状況が、 過去の記憶を遠く深い霧の中に沈ませる、、 その中でかつての友の消息を追い求めるブライアン。。 そこから先の話はサスペンスフルな動きのある物語になって一気に読ませますが、、 心に残るのはずっしりとした重さと せつなさ、 悲しさ。。

、、ストーリーからは少し逸れますが、、
幼い日の友情というのは、 友も自分も同じ速度で時間が過ぎていくものだと(少なくともそう感じていたと) それが子供時代なのだと思います。 しかし大人になり、 互いの環境が変わり、 例えば一方は急激な変化を強いられ、 また一方は時が止まったまま生きていくこともあるかもしれない、、。 戦争のような特殊な状況下でなくとも、 それぞれが別々に生きていけば 時間の経過の速度や自身の変化は同じではいられない、、。 それと共に 私の中の君の記憶と、 君の中の私の記憶とは、、 まったく同じものではいられなくなる… その差が生まれてしまうのは《罪》なんだろうか…  
、、互いにいつまでも変わらない《友情》って (そう信じたそのままの友情って)有り得るんだろうか…
 
、、と、、 遠い子供時代の友情など振り返り、、 そのような事まで考えてしまう物語でした。。


 ***

『天国でまた会おう』ピエール・ルメートル著

第一次大戦末期の西部戦線。
気弱な一歩兵アルベールは、 膠着した塹壕戦の末、 武功をたくらむ上官プラデルの突撃命令で塹壕を飛び出すが、、 上官プラデルの不正を目撃した為に 爆撃に見せかけた生き埋めにされてしまう、、 アルベールは仲間の青年エドゥアールによって助け出されるが、エドゥアールは顔の半分を失うほどの傷を負ってしまう…
野戦病院に送られたアルベールとエドゥアール、、 しかしそこでも二人を生還させまいとする上官プラデルの策略が…。 肺血症で死にかけているエドゥアール、、 自分の命を救ってくれた友を助けるためにアルベールは…

こちらも生死を賭けた深刻な物語なのですが、、 語り口は前述の作とは異なりスピーディーで ややもするとコミカルなほどです。 気弱なアルベールが必死で策をめぐらせて エドゥアールを助けようと奔走する様子、、 悪役を絵にかいたような上官プラデル、、 帰還兵を扱う政府機関のお役所仕事ぶり、、 死んで帰れば英雄で、傷病兵はただの厄介者という戦後の困難、、 そういった戦争のおぞましさくだらなさ不毛さをカリカチュアしてみせる、、

顔を半分失ったエドゥアールと、 彼のためにどこまでもお人よしなアルベールのキャラクターがとても魅力的です。 エドゥアールは上流階級の出身でお金に困ったことが無い、、 絵の才能があり芸術家のような彼と、 何をやっても不器用で臆病でただ生真面目なだけのアルベールとが、 戦後の困難を生き抜くために一世一代のとてつもない計画に挑んでいく… 

このスリリングな風刺画のような物語を読みながら、、 もしこれを映像化するなら、 エドゥアールは 若き日のデヴィッド・ボウイみたいな人がいい、、 と思っていました。(ボウイが第一次大戦の兵士を演じた『ジャスト・ア・ジゴロ』という映画のイメージが頭にあったせいもあるのですが) 
こんな描写があります…

 「…エドゥアールは長椅子に色っぽく寝そべり、紐で縛った包みのひとつに素足をのせている。 ルイーズはその端にひざまずき、エドゥアールの足指に真っ赤なエナメルを塗っていた。… エドゥアールは歓喜の笑い(ラァフゥウルゥゥゥ)を轟かせると、満足げに床を指さした。出し物が大成功したあとのマジシャンのように…」

、、口も顎も失くしてしまったエドゥアールが発する奇妙な笑い声、、 1920年代に足の爪に真っ赤なエナメルを塗っているエドゥアール、、 富裕な生まれの彼は子供の頃から美しく着飾ることが大好きだったけれども、 エドゥアールには決して得ることの出来なかったものが…

破天荒な物語でありながら、 ピュアでせつない、美しい物語だと思いました。 悪役プラデルを始め、若者二人を取り巻く人々の運命が同時進行で転がっていくのも面白いです。


、、とここまで書いてきて、、 さっき検索したら 
『天国でまた会おう』は映画化されて、 今年の3月に日本でも公開されていたのですね、、 知らなかったです。 映画化できたなんて、 あの個性的なエドゥアールを映像化できたなんて、、 素晴しいわ、、

ピエール・ルメートル原作の仏映画「天国でまた会おう」 ラストを変えた理由(好書好日 Asahi.com) インタビュー

映画 オフィシャルページ


↑上記のインタビューに、 「ラストを変えた」って書いてありますけど、 どんな風に変えたんだろう… 小説のラストは私はとてもとても素敵だと思っていますが、、 

『天国でまた会おう』は、 フランスで最も権威ある文学賞 ゴンクール賞受賞作。 たしかに受賞にふさわしい(でも決して堅苦しい文学作品ではなく) エンターテイメント性と文学性を兼ね備えた傑作だと思いました。

そして、 この作品は三部作で もうすでに昨年、 第二部の『炎の色』上下巻が翻訳されているのだということもさきほど知りました(←無知) 第二部は、 エドゥアールの姉マドレーヌを主役にした続編なのだそうです。

、、でも、 まだ翻訳されていない 第三部のほうが楽しみかな、、。 エドゥアールの爪に赤いエナメルを塗っていたあの少女、、 エドゥアールが唯一心を開いた少女ルイーズの成長してからの物語だそうで、、 とても気になります。


映画の予告編もなんだか素敵だった、、 プライムビデオですぐに見られるのですね… (プライム会員ではないんだけど、ね)


、、 観てみたい映画もたくさんあるなぁ…


でも 秋の夜に読むべき本も次々に控えているのです、、 


頑張ろ…

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