星のひとかけ

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エンターテインメントなスパイ小説と思わずに…:『追跡不能』セルゲイ・レベジェフ

2022-04-06 | 文学にまつわるあれこれ(鴉の破れ窓)

『追跡不能』セルゲイ・レベジェフ著 渡辺義久・訳 ハヤカワ文庫 2021年


物語は、 とあるヨーロッパのレストランで 亡命者である元ソ連工作員が何者かに毒物によって暗殺されるシーンから始まります。

、、 この本を手に取ったときは、 手に汗握るスパイ小説を読むつもりでいたのです。。 でも実際は 期待したようなエンターテインメント小説ではありませんでした。 だから最初にそう書いておきます。 でも、 ドキドキハラハラとは異なる《リアルな》読みごたえある小説でした。

作者のセルゲイ・レベジェフはモスクワ生まれのロシア人作家で、 現在はベルリンに住んでいるそうです。 この名前で検索すると ウィキでは同名のロシアの高官、 最近話題のシロヴィキの人物が出てきますが別人です。 

毒物を盛る暗殺、 化学物資や生物兵器の研究所、 チェチェンに送り込まれた工作員、、など 現実に即したテーマが描かれているので、 ロシア人でこんなこと書いて大丈夫なのかしら… この作家さんの背景は…? などと思って、 少し調べようとしたところ 昨年のガーディアン紙の記事に辿り着きました。

調べようと思ったのは(調べたのは読後ですが)、、 ストーリーが《わかりにくい》からでもあるのです。。 最初のシーンの暗殺も、 どこの国なのかわからない。。 その後で、 その毒物を開発したと思われる研究者カリチンと、 カリチンを追うために送り込まれるシェルシュネフという工作員との、 ふたりの物語が交互に続いていくのですが、 彼らの過去の部分が いつの時代のどの国のどういう場所の、という事があやふやに書かれているので(私のような無知には)とても理解しづらかったのでした。

解りにくく書かれてはいるものの、 毒物研究者になるカリチンの幼少時の物語、、 選別された者だけか住む閉ざされた環境、、 研究施設での暮らし、、 体制崩壊による変貌、、など、 「わたしはいかにして最強の毒物ニーオファイトの開発者となったのか」というカリチンの告白の物語はとてもリアリティがあり、 きっとそれなりの裏付けのあるものなのだろうな と想像されました。

情報を持たずに読むのもよし、、 現実の世界と照らし合わせて理解したいと思われるかたには、 ガーディアン紙の著者インタビューの記事がとても参考になると思います⤵
https://www.theguardian.com/books/2021/feb/13

カリチンのいた研究施設、 作中では《アイランド》と表記されていたので 私は此処のことかなぁ…と考えたのでしたが(wiki→ヴォズロジデニヤ島 生物兵器実験場のあった所) 、、著者インタビューでは Shikhany という場所が言及されていますね。 日本語のwiki がないので英語のほうへ(→https://en.wikipedia.org/wiki/Shikhany

物語の冒頭で 亡命した元スパイが暗殺される場面は、 2018年に毒殺されそうになったセルゲイ・スクリパリの事件にインスパイアされたそうです。 このスパイ暗殺のことは全然知りませんでした(wiki →セルゲイ・スクリパリ

そのほか ナワリヌイ氏のこと、、 プーチンのこと、、 なども。

こうして ガーディアン紙の著者インタビューを参考にしてみると(と言っても 私の英語力ではおぼろげにしか理解してないですけれど)、、 ソ連時代の研究施設や毒物開発の背景は かなりリアリティのあるものとして書かれているのだとわかります。 
、、ではその後のカリチンと 工作員シェルシュネフの物語は…?

 ***

最初にこの小説がエンターテインメントのスパイ小説ではない、、と書いたとおり、、 物語の後半は 追いつ追われつのスリリングな展開というより、 なんと言ったら良いか、、 いろいろ《うまくいかない》展開に……。。 お粗末、、 と言っては語弊がありますけど、、 いろいろな部分でお粗末なのです、、 でもそれがかえって《リアル》なのかもしれないし、、 人間とはお粗末なものであるというか、、 だからこそ恐ろしいのだとも言えるし…

ソ連崩壊によって 《放棄された》研究施設の怖ろしさ…(ヴォズロジデニヤ島のウィキのところにも書かれていますが、 もし毒物がそのまま放り出されていたとしたら… 或いは 体制崩壊によってうやむやになって手から手へ闇取引されていったのだとしたら…)

毒ガスや毒物の実験のずさんさ、、(それは作中をお読みください、、 あの猿の処理はあれで良いの…??)


ところで、、 途中から登場する 聖職者トラヴニチェク という人物が物語に大きな役割をするのですが、、 この人物の過去と、 心のうちを描いた部分がなかなか私には理解できなかったのですが、、 これを書きながら本をもう一度ぱらぱらとめくり、 「2」の章をよく読んだら 少し背景がわかってきました。 「2」の章がすべての鍵ですね。 何度もここを読まないといけません。。

ソ連と旧東ドイツ、 体制崩壊後のそれぞれの国、、 それも関わる物語です。

 ***

この本を読み終えたのは先週だったのですが、、 その後には 本の内容の怖ろしさも霞んでしまうような 現実とは思いたくないような現実が待っていました。

閉鎖された環境の中で 偉い研究者になって誰にもまねできない物凄いものを発明することを夢見たカリチン、、 すべてを《主観》によって判断し 主観の正しさを疑わない盲目性の怖さ。


これだけSNSが進化して 世界の情報を遮断することなど不可能な世の中になって、、 そうしたら事実はかならず事実として 世界のなかで隠しとおすことなどできなくなるはず… そんなふうに思っていたのだけれど、、

そうしたら 世界中で事実は事実として ただしく共有されるものかと思ってしまったけれど、、 


自分はこのような世界に生きているのだ と認識することが こんなにも悲しいこととは。。



セルゲイ・レベジェフ氏の著書の邦訳は 今のところこの本しか無いですが、 この本が分かりにくいからと敬遠されずに、 ほかの作品も翻訳されたらいいな、、と思っています。

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