星のひとかけ

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プロコフィエフ短編集

2016-06-12 | 文学にまつわるあれこれ(ほんの話)
2週間前、 サントリーホールでの演奏会を聴きにいくにあたり、 プロコフィエフのことを少し書きましたが(>>

そのとき、 プロコフィエフの経歴や、 ディアギレフとの関連や、 亡命時に日本にしばし滞在していたことなどを知り、、 あらためて1920年代ごろからのプロコフィエフの作品について聴きたいな、などと思っていました。 それで、 検索などしているうちに、、 なぜか 『プロコフィエフ短編集』なるものに繋がって…

検索してみるものですね、、


『プロコフィエフ短編集』 セルゲイ・プロコフィエフ著 
  サブリナ・エレオノーラ・豊田菜穂子 訳/群像社ライブラリー 2009年

写真の上にあるCDは、 イーゴリ・マルケヴィチ指揮の 古典交響曲第1番(作品25)。 この初演が1918年4月21日だそうで (>>Wiki)、、 その直後の 5月、 プロコフィエフは シベリア鉄道で 極東ウラジオストクを経由して、 日本へ渡り、 8月2日まで日本に滞在して、 アメリカへと向かうのです。

プロコフィエフが小説を書いていた! なんていうことも とっても面白いと思ったし、 この短編集には 祖国を出て日本に渡り、 離日するまでの日記も共に収載されていて、 それを読むと、 プロコフィエフが小説に手を染めたのは、 この亡命の旅の間のほんの短い期間のことだったのがわかります。 列車の旅、 船の長旅、 ホテルでの暮らし、 その間 楽器に触ることもできない代わりに、 小説の構想を練ったり執筆したりしていたのですね。。 このとき プロコフィエフ27歳。 音楽の才能が認められるのも早かった 天才的な人ですが、 才気溢れる若きエネルギーは音楽だけにとどまらなかったのですね。

短編集の内容については 出版社の紹介文を (群像社>>
↑ こちらの紹介でわかるように、 発想もユニーク、 描かれる世界もパリやアメリカやどこかよくわからない場所さまざま、、。 なにか特徴的なことを挙げよ、、と思って考えてみるに、、 ロシア的なものを全く感じない、、 ということでしょうか。。。 あと、 自国で起きている革命とか、 これから亡命しようとしてる自分の身、 という背景も全く影響していない感じ。 もっとも、 職業作家ではないし、 これらの作品も世間に発表するかどうかなど考えずに (でも何度も構想を考え直したり、ボツにしたり、といろいろ練って書いていた様子で)、、 構想や 創作の過程を 自由に楽しんでいた感じが伝わってきます。 明らかにモダンな、、 そしてコスモポリタンな作品。

この自由さは、 革命期のロシアを背景にして生まれたものというより、 音楽家としてすでに自分のフィールドが世界の中どこにでも存在する、という心情にすでになっているからだと思えますし、、 23,4歳ごろには パリでバレエ・リュスの興行師 ディアギレフなどと仕事をしたり、 他の世界的な音楽家らとも交流していた 音楽家・演奏家ゆえの経験が関係しているのかもしれませんね。

パリのエッフェル塔がとつぜん歩き出す、、 なんていう作品などはなんだかちょっと、 以前紹介した シュペルヴィエルの小説 『火山を運ぶ男』(>>)みたいだし、、。 シュペルヴィエルとわりと年が近いんですよね、、。 先のプロコフィエフの日記によれば、 当初の予定では日本から南米へ渡る計画だったのですが、 南米行きの船に間に合わずに、 結局 北米へ行くのです、、 それでスペイン語の勉強を最初していたりして、、、

もし南米に渡っていたら、、 (南米とパリを行き来しつつ詩や小説を書いていた)シュペルヴィエルや、 堀口大學などとも、 とても仲良くなっていたんじゃないか、、とか、、 短編を読んでいてとてもそんな気がしました。 

 ***

プロコフィエフの日本滞在中の日記に、 開業3年目の 東京ステーションホテルや、、 今はその名が見つからないけど 横浜グランドホテルや、 大田区大森山王にあった 望翠楼ホテル、などの名前が出てきます。 

そして、 北米への渡航費用の足しにするために、 横浜と、 東京の帝国劇場とで、 プロコフィエフはピアノリサイタルを開いたそうですが、 それらの日記も(短いおぼえがきのようなものですが) とても興味深く読めます。 98年前の日本、、。 今はプロコフィエフは クラシック音楽、とされますけれど、、 当時の この27歳の青年の奏でる音楽は まさに最新の 現代音楽だったわけですものね。。

プロコフィエフの日記にも出てくる、 当時の日本での音楽評論家 大田黒元雄 という方が書いた、 プロコフフィエフに関する文章が 近代デジタルライブラリで公開されていました。

続バッハよりシェーンベルヒ 大田黒元雄 著 (音楽と文学社, 1918) >>

デビュッシイ以後 : 音楽論集 大田黒元雄 著 (音楽と文学社, 1920) >>

、、これらもとても興味深いですし、、 先にあげた 今は無き 望翠楼ホテル、、 馬込文化圏の文人らに愛された場所だそうですが、、 それについては 国立国会図書館のレファ協に 質問事例が載っていました。
http://crd.ndl.go.jp/reference/modules/d3ndlcrdentry/index.php?page=ref_view&id=1000149910

 ***

プロコフィエフの日本滞在は ほんの2ヶ月ほどでしたが、、 その前後に書かれた これらの短編小説や日記を通して、 好奇心の豊かさとか、 発想の柔軟さ、、 同時進行で小説も何篇も構想したり、 かたわらで作曲もしたり、、 スペイン語は あっという間に覚えていったようですし、、 ものすごく頭の中が多元的な人だったのだろうなあ、、と 驚かされました。 そうだからこそ、 交響曲なんて書けるのでしょうね、、 作曲家って、、 みなさん そういう頭をもっていらっしゃるのかしら、、、 とふと思いました。

、、そして、、 ふたたび頭に浮かんできた 同時代文学者の シュペルヴィエルや堀口大學さん、、 まだちゃんと読んだことのない ディアギレフやバレエリュスに関する本、、

だんだんと 興味はひろがります。。

、、 けど、、 急がず ゆっくり、、 楽しんでいきましょう。

、、 わたしは プロコフィエフさんのような 多元的な頭脳はなさそうだから… 笑
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