星のひとかけ

文学、音楽、アート、、etc.
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燈火節は過ぎましたが…

2024-02-08 | 文学にまつわるあれこれ(ほんの話)
先月、 トゥガン・ソヒエフさん指揮の、 プロコフィエフ「ロメオとジュリエット」を聴きに行って以降、 ラジオやなにやらで何度か「ロメジュリ」を聴く機会があり、 プロコフィエフの音楽の新しさを 今更ながら驚きつつ楽しんでいました。

「ロメジュリ」の初演は、プロコフィエフがロシア革命のあと 日本を経由してアメリカへ渡り、 その後 パリでディアギレフと仕事をしたり、という 20年近い海外生活を経て、 1936年にモスクワへ戻ったその年のこと。 

だからか、、 「ロメオとジュリエット」の組曲にはとってもアメリカ音楽ぽいところがたくさん感じられる。 「モンタギュー家とキャピュレット家」を聴いていると、 なんだかディズニーアニメの中でキャラクターがのっしのっしと歩いて登場するような動きをいつも想像してしまうし、 ところどころ ガーシュウィンみたいな旋律も感じられるし、、 「朝の踊り」のにぎやかな市井の人々のリズムなどは、 二拍子のまるで「スカ」のビートみたい。。 そういえば、 プロコフィエフは当初、 日本を経由してアメリカ大陸を南米へ向かおうとしていたのでしたっけ… なんて思い出したり、、

そんな風にして かつて読んだことのある『プロコフィエフ短編集』(以前の日記>>)をふたたび読み返したりしていました。

そうしていて気付いた事があります。(単に私の興味で、たいしたことではありませんが…)

プロコフィエフと芥川龍之介は1歳しか違わないんです、 龍之介が1歳年下。 それでプロコフィエフが日本に滞在した1918年には、 龍之介は26歳で横須賀の海軍学校で英語教官をしている頃。。 でもすでに新進の作家として活躍していて朝日新聞に「地獄変」の連載などもしている。 一方、プロコフィエフはこの年の初夏、横浜や京都に滞在して 横浜グランドホテルでピアノリサイタルを行ったりしている。 こんな風に同じ時代に、 こんな風に近いところで活動していたことを思うと、 なんだか面白いなぁ…って。。 べつに龍之介とロシア音楽となにか接点があるわけでは無いのですけど、、 

プロコフィエフが日本でもせっせと書いていた一風変わった短篇、、 芥川と較べたらそれこそ稚拙なものかもしれませんが、 どこか軽みのある不思議な想像力。。 芥川は多少ロシア語も読めたかしら…? 日本で読んでもらえば良かったのにね… 笑

そして、、 昨秋にも書きましたが、、 龍之介のこと、、 (パリにでも行ってしまえば良かったのに…)とふたたび思いました。 (そう書いたのは11月の日記です>>) 戦間期のパリ。 コレットがいて、 イーディス・ウォートンがいて、、 芥川が上海に行った1921年には プロコフィエフもパリに来ていました。 ますます思います、 日本でもしプロコフィエフと知り合いにでもなって、 龍之介が上海に行ったあの後、 日本になど帰らずにパリにでも行ってしまえば良かったのに… (ほんのつまらない空想です)


そんなことを考えている私に、 嬉しい知らせが…

上記11月の日記のなかでも触れている、 片山廣子さんの随筆集が 新たな編集となって出版されます。 
 『片山廣子随筆集 ともしい日の記念』ちくま文庫 (Amazonのページには目次も載っていました>>https://www.amazon.co.jp

いままで青空文庫でしか読むことができなかったので とても嬉しいです。 文庫で手元に置けるのもとてもうれしい。



「燈火節」は過ぎましたが、 うれしい春の贈り物です。



なにかのことを想っていると



なにかしらキミはたすけてくれる…



妖精さんがいますね…
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