星のひとかけ

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おのおの 違った時間に… 或は違った時空で…:堀辰雄『菜穂子』から、片山廣子『燈火節』へ

2023-04-28 | 文学にまつわるあれこれ(妖精の島)
さて、、 ふたたび読書の生活に戻ります。。

先々週に 芥川龍之介と堀辰雄のこと、 堀辰雄が芥川との思い出を題材にした小説「聖家族」のこと などを書いた後、 自分が今まで名前だけは記憶に留めていながら何も知らずにきてしまった女性 片山廣子/松村みね子について考えるようになりました。

、、正直 わたし、このお名前の人のこと 同一人物とは思っていませんでした。。 殆んど知識は無かったですが アイルランド文学の翻訳者である松村みね子の本はうちにもあります、、 イェイツの『鷹の井戸』など。。 J.M.シングの戯曲や 『アラン島』なども大好きでしたし。。 でもそれらアイルランド文学の紹介者が芥川と同時代の女性で 芥川が心を寄せた未亡人の女性片山廣子であることなど考えたことも無かったのでした。

それでやっと、 先々週の『聖家族』の後、 堀辰雄の小説『菜穂子・楡の家』を読んでいました。 菜穂子の母親の三村夫人のモデルが片山廣子、 三村夫人と交流のあった作家 森於菟彦のモデルが芥川と言われています。。 半ばそんな現実の人間関係を思い描きつつ、 半ば芥川亡きあとの新時代の小説を味わうという読み方で、 この本を読み終えました。





読後感として、、 芥川や彼が心を寄せたという片山廣子を思い描いてこの本を読もうとすることは意味を為さないと感じました。。 さきほども書いたように私は片山廣子という人のことを何も知らないけれども、 堀さんの小説のなかの三村夫人はべつにアイルランド文学や短歌など文学者の側面はぜんぜん書かれていないし、 それに森於菟彦という大作家についても(小説を読むかぎり)どんな作家か余り書かれておらず、 北京で急死したとあり、 自殺したことにはなっていません。 モデル小説として考えるにはこの点は決定的な違いだと思うのです。 自死に至る苦悩なくして芥川を表現することは出来ないだろうし、 (想像ですが)片山廣子に惹かれたのも彼女が文学に携わっていた事が重要だと思うからです。

だから、 『菜穂子・楡の家』をモデル小説として読むことは私には出来ないと思ったけれども、 でも此処に登場する若い青年 明は 堀辰雄そのものじゃないかと…。 小説家の作品はおしなべて作者そのものであるのは当然なので それは当たり前のこととして、、 もう なんと言ったらよいか つい苦笑してしまうほどこの明青年のロマンチシズム、 悪く言えばロマン的懊悩がそのままに描かれた小説でした。。(ごめんなさいこんな言い方で)

でも、 心理状態と行動の微妙なズレや、 自分で自分のほんとうの心の裡というものがわからず苦悩するという内面の描写はとても(時代的に)新しいものだと思えて、 そういう点では20世紀のヨーロッパ文学を吸収した世代の、 しかも日本的な自然主義文学や私小説とは異なる、 理知的な堀辰雄さんらしい小説でした。

菜穂子は 明とは軽井沢の夏を隣人同士として過ごし、 年少のころには二人でサイクリングなど楽しむ活発で勝気な少女だったのが、 母から逃れるように結婚して離れていった後は 夫と姑との平凡な暮らしのなかで次第に本来の自分を見失っていく。。 その様子が描かれていくのだけど、 どうもそれさえも明から見た(想像・創造した)菜穂子像、 という感じがしてならない。。 明にとってはまず喪失することありき、 恋が叶わない事ありき、 傷つくこと、傷をかかえながら生きることありき、 のロマン派の青年そのものの明のために設定した菜穂子、 のように思えてしまうのでした。

物語は菜穂子が自分自身のために一歩を踏み出そうとする場面で終わっているのだけど、、 作者にはそこから先の人生を創出することが出来ない。。(物語のなかの三村夫人も心筋梗塞で急死してしまうし…) 堀さん自身が病を抱え、その先を生きていくということを想像しにくかったのだろうけれど… 
現実には、、 芥川亡きあとも片山廣子さんもその娘さんも70代後半まで長生きされた…

 ***

先も書いたように、 文学というものを間に置かずには芥川と片山廣子との心の交流を考えることは出来ないと私は感じるので、 結局 堀さんの小説はそのことの参考にはならないのでした。 それで片山廣子さんが晩年になって書かれたという随筆を読んでみたいと思ったのです。。

でも 随筆集『燈火節』は今では入手はほとんど不可能なのでした、、 残念に思っていたところ 青空文庫で読めると知り、、 つい昨日くらいから数編を読んでいるのです。

どこから読んだら良いのか、と思い… 筆を折っていた片山さんが晩年にどんな想いで随筆を書こうとしたのか、、 そう思って先ず「あとがき」から読むことにしました。 この随筆集の出版は1953年。 片山さんが75歳のこと。 、、芥川の死は1927年、 片山さんは49歳。。

 「燈火節」あとがき (青空文庫)>>

、、 ほんと、、 このようにして読めることを感謝します。 できたら再出版して本として読みたい。。 アイルランド文学の翻訳者、 貴重なイェイツやシング、 フィオナ・マクラウド(ウィリアム・シャープ)の紹介者としての、文学と人生に対する回顧録もこのエッセイに書かれているようですから。。

その「あとがき」の末尾に こんなくだりが…。 思わず胸をつかれました…

  ・・・この世界に生きてゐない彼が・・・

と。。 《彼》とは誰を示すのか、、 終戦の年 終戦を待たず急死された息子さんのことをそれまで念頭におきながら ここでは 《せがれ》と書かずにいる… あるいは 片山さんの《夢》とは… 。
なんだかこんな風に短く切り取ってくるのが著者に対して失礼で気がひけますので、ぜひぜひ「あとがき」を冒頭からお読みになって下さい、、 


他には ここで片山さんが最初に書いたエッセイだという「過去となつたアイルランド文学」や 「アラン島」なども読みました。 それから、、 「菊池さんのおもひで」や「花屋の窓」も、、

これらのどの文章のなかにも 強く胸を射す箇所がありました、、 「文学夫人でなくなつて普通の家の主婦になつた」と書く片山さんの心の一端が わたしには堀さんの書かれた『菜穂子』の文章よりも強く、深く、、 伝わってくるように思えました。

「花屋の窓」というエッセイでは芥川龍之介の作品にも触れ、、 

  ・・・静かなおちつきの世界を芥川さんも私もおのおの違つた時間に覗いて見たのであつたらう・・

と。。 これも短いこの部分だけを切り取ってくるのは良くないことだと思うので、 ぜひこれも全文を読んでみて欲しいです。。 


人生の晩年になって、、 このように書くということ… 、、どれほどの深い想いをかかえつつ 生きて来られたのだろうと、 心が抉られるように感じました。 日々、 普通の家の 普通の生活を繰り返しながら…

でも、 人生の終わりに近づいてなお、 このように書くことが出来るという事。。 その確信…。 そこには 文学という言語、、 いえ 言語というもの以上の 通じ合う者のあいだだけに理解可能な共通の世界観、、 それを共に感じとっていたという確信が片山さんにはあるからなのでしょう…

あ、 長くなってしまいました… このくらいに。。



わたしも… 片山さんのように静かに暮らしつつ、、 ひとすじの確信を持ったまま生き抜いていくことが そんなことができるかしら…



片山廣子さんの随筆、 知る事ができてよかったです。



 ***

明日からGWです。 カレンダー通りの普通の生活です(笑

ほんのすこしだけ… 朝の珈琲がゆっくり淹れられるかな…



どうぞ愉しい日々を。


お健やかにお過ごしくださいね…



 

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