星のひとかけ

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「ふたつの旅 青木繁×坂本繁二郎」展 アーティゾン美術館

2022-10-17 | アートにまつわるあれこれ


先週末 アーティゾン美術館で「生誕140年 ふたつの旅 青木繁×坂本繁二郎」展を見てきました。 
昨年の秋、 アーティゾン美術館では 森村泰昌さんによる「ジャム・セッション 石橋財団コレクション×森村泰昌 M式「海の幸」─ 森村泰昌 ワタシガタリの神話」という展覧会があり、 昨年の日記でもちょっと書きましたが(>>) 観に行きたいなと思っていたものの行くことができず残念に思っていました。 (森村さんの展覧会の詳しいレポートはこちらに>>https://www.museum.or.jp/report/104257

今回の展覧会は、 青木繁と、 同郷で高等小学校時代の同級生でもあった坂本繫二郎との ふたりの画業をたどる展覧会。 わたし、 坂本繫二郎という画家を意識したことがなかったように思います。 この美術館にはブリヂストン美術館時代にも訪れたことありましたから、 作品は目にしていたと思うのですけど、、。 今回、 青木繁と共に 故郷久留米の洋画塾で学んでいた十代の頃から晩年までの作品をまとめて見ることができて良かったです。

くわしいレポートや作品の写真などは 美術手帖のサイトにも載っていました⤵
https://bijutsutecho.com/magazine/news/report/25854

アーティゾン美術館の公式サイトでは 館内の360度画像も見られます⤵
https://www.artizon.museum/exhibition_sp/two_journeys/

ふたりは同級生とはいえ、 青木繁は明治44年に28歳で早世してしまったのに対して、 坂本繫二郎は昭和44年、87歳まで絵を描きつづけます。 作品展を見ながら、 今回はその晩年のあり方を考えていました。

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以前に 熊谷守一の展覧会を観た時に、 青木繁と美術学校で同期だったことに驚き、 個人的には夏目漱石とも同時代だったことに驚いたわけですが(日記>>) 守一は青木・坂本より2歳年上、 モリカズさんが髭ぼうぼうのお爺さんになって庭の昆虫や果物の絵を描きつづけていた晩年をなんとなく(後追いながら)覚えている身としては、 青木繁もそんな風に生きつづけていたら、 どんな老人になって どこでどんな絵を描いていたのだろうな、、 と思わずにいられませんでした。。

漱石は 『それから』の中で、 青木繁の「わだつみのいろこの宮」という作品について こう語らせています。

 いつかの展覧会に青木と云ふ人が海の底に立つてゐる脊の高い女を画いた。代助は多くの出品のうちで、あれ丈が好い気持に出来てゐると思つた。つまり、自分もああ云ふ沈んだ落ち付いた情調に居りたかつたからである。

 この前の部分で、 色彩と感情について語っており、 「興奮色」である赤に対して、 青木繁の絵の緑の「沈んだ落ち付いた情調」が好ましいと書いているのですが、 漱石がこの絵に惹かれたのは、 バーンジョーンズ風のすらりとした女性像が好ましかったという理由もあると思います。 
青木繁のこのころの作品を見ると、 ウォーターハウスのニンフ達や ロセッティ風の女性などラファエル前派への強い憧れや影響が感じられます。 そのオマージュの要素から一歩進んで、いかに自分自身の絵を見出していくか、、 残念ながら青木繁にはその十分な時間が残されていなかったようにも思います。

一方、 坂本繫二郎さんの方は 青木が亡くなった後も 地道に画業を究め、 パリ留学を境にして、 独特のパステルカラーのような透明感あるグリーンやブルーの色彩を得て、 自分独自の馬の絵や人物像を描いていきます。




帰国して郷里の空を描いた「放水路の雲」などを見ても なんだか日本の実際の自然の色彩には見られないような明るさで、 それはフランスの陽光を体験したからなのか、 それとも故郷久留米の海や空の明るさなのか、 不思議な感じがします。

そして もし青木繁が生きていて、 同級生だった坂本のこういう馬の絵などを見たら、 それに対して青木はどのような画風で同じ時代に描いていっただろうか、と考えてしまいます。。 同郷、 同級生だからこその意識、 ってたぶん生涯つづいていくような気がしますから…

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最晩年、、 静物画などを描いていた坂本繫二郎は、 最後の最後にたどり着いた画題は 「月」でした。 月の光、 月の暈、、 そのおぼろな光。 絶筆は「幽光」。。 長い長い画業の到達点が 月の光 というのは、 なんだか幸せな画家の人生だったのではないかな、、と そんな気もします。

その坂本の絵の隣に、 青木繫の28歳での絶筆がかかっていました。 タイトルは「朝日」。 なんという対称でしょう… 青木のこの絶筆は 驚くほどに穏やかな とてもとても美しい朝陽の海でした。 病と貧苦に喘いでいた時とは想像できないような、、。 

でも、 検索していたら この「朝日」を描いた場所である唐津湾では 実際には海から昇る朝日は見られないとのこと、、(NHK 日美ブログ>>) 、、青木繁が最期に描いたのは 心のなかの願いだったのでしょうか、、 求め続けた理想や憧れ、 その風景だったのでしょうか…


若くして命の終わりのときを迎えなければならなかった者と、 長い長い年月をひたすらに描きつづけ老いていった者と、、 画業としてどちらがどうと較べることは出来ません。。 けれど、 青木繫の年も、 漱石先生の年も、 すっかり追い越して「老い」に近づいたと言って良い年齢の自分には、 生きて老いていった青木繫が描いたものも見たかったし… 坂本繫二郎のようにただひたすら月を描きつづけた老境も見習いたい… と、 その「着地点」に想いを馳せる展覧会でした。


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美術展のあとの しあわせなひととき。。 ミュージアムカフェでのお食事。 



デザートでいただいた「サヴァランモヒート」 アルコールがたっぷりの大変美味で大人なお菓子でありました。








「勝利の女神」 Seated Victoria,Throwing a Wreath
 クリスチャン・ダニエル・ラウホ アーティゾン美術館蔵



女神の投げる花輪が なんだかタンバリンにも見えてしまう私…

… ☆彡

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