星のひとかけ

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現在地…

2021-11-18 | …まつわる日もいろいろ
・・・ そうかぁ、、

Bob Dylan Band から Charlie Sexton さんはとうとう抜けたのね。。 で、今秋はエルヴィス・コステロさんのツアーに参加していたのですね。。 そうかぁ、、 ディランバンドのギタリストとして もうずうっとチャーリーはいるのかと思っていましたが、 いまコステロさんの所でどんなギターを弾いているのかな、、 また見てみたいな。

もう11年前になるのですね。。
Zepp Tokyo へ連日かよって 私にとっては初ディラン&初チャーリーのライヴに胸躍らせました。 スタンディングのフロアで周囲はほとんどオジサン&おじぃさんの熱気に囲まれ、、 (二日目からは囲まれるのがイヤで開演直前にドアの内側へ滑り込むというワザをみつけました)、、 ボブから10メートルくらいの位置で演奏をみていたなんて、、。 チャーリーが髪振り乱してフルアコ抱えて屈み込んで、、 最高の場面でした。
 
今度もし、、 ディランが来日する時が来たとしても、、(来年あたりにもありそうな気もしますね…) もうチャーリーの姿は見られないのですね、、 ちょっと淋しいけど チャーリーの新たな動向も なんだか楽しみです。。

それにしても ボブ御大は 永遠に ずっとずっと現在進行形のひとなのですね。。 すごいな。。

 ***

最近、、 というか 今年折に触れて、、 《現在地》 ということを考えていて、、

というのも、 クラシック音楽を聴いたり ミステリ小説に出てくる古い音楽家の話を読んだりして、、 いま私たちは《クラシック》なんて言って聴いているけれど、 当時はそれが現代音楽だったんだ、という当たり前のことをあらためて思って、、

だから、 交響楽でもワルツでも ひとびとは今度初めて披露される新しい楽曲を待ち望んで、きっとわくわくしながらコンサートホールへ足を運んでいたんだろうな、、とそんなことを今更ながらに思ったのです。

今から150年前の『若草物語』でも、 ジョーが 「これすてきなポルカじゃない?」と言ってローリーと踊り出す。。 まさにヨハン・シュトラウスがワルツやポルカを次々に作曲していたその同時代。。 たぶん初めて聴く新曲だったんでしょう。 

だからどんな大作曲家であろうと、 シュトラウスでもベートーヴェンでも、 常に前作を上回る新作を期待され、 命の最後の最後まで新しい作品を書きつづけて(新作を書かなければ忘れ去られてしまうのだから) ベートーヴェンなら第9の交響曲を最後に書いたのですよね、、 あらためて凄いなぁと。。(阿呆みたいでスミマセン…)

いま私たちは 第何番が好き、、 今度は第何番を聴きたい、、 とかって軽々しく言いますけど、 現在進行形の作品に対しては 過去にさかのぼるなんて、 そんな評価はもってのほか、、 すごいガッカリなことなのですものね。。

 ***

何を言いたいんだか滅裂ですが、、

先日 横尾忠則さんや 森村泰昌さんの今年のお仕事ぶりや展覧会のようすをTVで拝見して、、 横尾さんはもう85歳で (もう描きたいことはやり尽くしたというようなことも仰ったかな?) もう描くことにも飽きている、 けれど、 その飽きている自分が描くものを見てみたい、、 そこが絵描きとして興味がある、、 と毎日毎日絵を描かれていた。

森村さんも 青木繁の「海の幸」をテーマに、 このコロナ禍の現在と 世界のいまを見つめながら、 私たち人間の過去と現在とそしてこれからのあり方を見据えていらした。

美術家も、 音楽家も、、 世界がどうあろうと、 経済がどう停滞しようと、 自分がどう年をかさねようと、、 ずっとずっと 自分と世界の《現在地》を表現し続けるのが、、 それこそが仕事、、 仕事というか それがアーティストというものなんだな、、と。。


一方、、 わたしたちの《暮らし》、、 生活者という日常、、 そこにおける《現在地》というのは 芸術家のそれとは異なるものです。。 このことについてはまた別のときに書きましょう。 


 
昨日読んだ本に出ていた言葉、、


 「詩神(ミューズ)はいつもがんばっている人を見つける」


わたしは詩人ではないけれど、、 いい言葉だなと思う。





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