星のひとかけ

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Winterreise『冬の旅』:第十章「休息」 Rast

2019-01-23 | 文学にまつわるあれこれ(詩人の海)



前章で 「鬼火」に惑わされるかのように 「grave」へと続く涸れ谷を下って行こうかとしていた旅人でしたが、、 どうやら 無事に山間の炭焼き小屋へ辿り着いたようです。

ようやく風雪から逃れて 身体を横たえられる場所を見つけられたものの、、 今までの緊張と疲労がどっと押し寄せてきたのでしょう、、 どんなに自分が疲れていたかに初めて気づき、 横になってみても手足はひりひりと痛んで休もうとはしない… と。
そして、 心の中にもなにか虫が突き刺すような痛みがうごめいている… と。

最後の「突き刺すような」痛みのところで 歌声は一気に高音に跳ね上がり 旅人の叫びのように聞こえます、、 それでも 歌のあとのピアノはゆっくりと最後は穏やかに止まっていき、、 この旅人が炭焼き小屋の中でどうにか眠りにおちたことを教えてくれます。
 
 ***

ボストリッジさんは 楽曲の全体像をとらえた後、 「炭焼きの狭い建物」と具体的に著されている箇所に着目して、 この無人の炭焼き小屋、 それから 炭焼き職人という仕事について考え、、さらに、 この歌の旅人がどういう人間かほとんどほのめかしの無い中で ミュラーがなぜ 「炭焼き」という具体的な存在をここで示したのか、 「炭焼き」の意味について考察を重ねていきます。

、、 産業エネルギー源としての「炭」の歴史を紐解くあたりは いかにも産業革命の国 英国の学者さんだわ、と感心しつつも、、 ミュラーとシューベルトの時代における 工業化とエネルギー需要と森林破壊等… そこまで頭をめぐらすのは せっかく一夜の休息の場所として「炭焼き小屋」を見つけた旅人に対して なんだか無粋なような、、 少しばかり大袈裟なような、、
、、そんな風に思いながら 「炭焼き小屋」の意味について私なりに想いをめぐらせていました…


「炭焼き小屋」… 
旅人がたどりついたのが 炭焼き小屋であるということは ここが荒涼とした原野ではなく、 山腹の森林の中にあり、 人里からは少し離れているものの 雪に閉ざされる前はここで炭焼き職人が寝起きして 炭を焼く窯の煙がいつでも立ち昇っていた… そういう人間の暮らしとの結びつきを感じる なにか安心感をおぼえます。
、、今は無人で 周囲は雪と氷に覆われていて 旅人はたしかに孤独で疲れ切ってはいるけれど、 炭焼き小屋には おなじように孤独に寝起きし炭を焼いていた人の気配が残っているだろうし、、 なにより 火を焚いて暖まることが出来る場所なのかもしれません。 だから その安堵感ゆえに今までの道のりの緊張が溶けて ようやく旅人は自分がいかに疲れていたかに気づいたのでしょう…

雪と氷の上を歩きつづけて、 すっかりかじかんでしまった手足。。 その手足を伸ばしてもすぐにはラクにならないことは 厳しい寒さを知るとよく分かります。 かじかんで無感覚になった手足がゆっくりと暖まっていくときに、 温かさよりも まず痺れるような痛みがじんじんと襲ってくるのも、 なんだか分かる気がします。 

旅人はこの小屋で火を熾すことが出来たでしょうか… 「火」につながる言葉が詞にも表れているのはそのせいでしょうか…

brennen 燃えるように痛む手足

mit heißem 灼けつくように刺す 心の中で蠢く 「Wurm」 (これが花につくような虫なのか 蛇なのか 竜のようなものなのか、、 とボストリッジさんも考えています)

小屋に身を横たえて やっと眠ろうとしている旅人の心の中でうごめく「Wurm」、、 これが火の温もりの「warm」(ドイツ語でも暖かさは warm ですから)ではなく、 「Wurm」のように疼くもの、、 だというのは やはりあの家に住む女性の思い出が心の疼きとなって蘇ってきたのでは…


 Auch du, mein Herz, in Kampf und Sturm
 so wild und so verwegen,

、、↑を英語として読んでもなんとなく解りますね、、 ああ 私の心、 戦いと嵐の中で あんなにも荒々しく精悍だった… (その心を虫が刺すように疼くのだ)

ここで不思議に思う言葉が「Kampf」=戦い・闘い という言葉。。 旅人はかつて兵士だったのでしょうか…? 女性の家に逗留した5月以前、、 この旅人がどのような日々を送っていたのか何もわかっていません。 かつて「戦い」と「嵐」の中にいた男が、 春から秋まで一軒の(おそらく格式の高い人の)家で暮らし その家の娘と恋に落ち、、 しかしある明け方 女性を残して旅立つ…

少し前に読んだ スティーヴンソンの『オララ』の軍人みたいなのかしら…? 怪我を負ったためにさる貴婦人宅での療養をしていた軍人の一目惚れの恋… (tweet にしか書いてませんでした。 こちらを>>




、、 炭焼き小屋と旅人について こんな感じに想像をめぐらせた私でしたが、、 ボストリッジさんは ここから《炭焼きの存在が私たちに秘密の政治的なメッセージを送っているのかもしれないということだ》、、 と、 きわめて大胆(と思えるよう)な突っ込んだ解読をしていきます。

シューベルトや 詩人ミュラーが生きた時代の政治的背景、 その中での芸術家の位置や国家権力との関係、、 若きシューベルトやミュラーもまた 国家や政治に対する意思を持ち 検閲などの権力と対抗しながら芸術を生み出していたことなど……

、、 そして《炭焼き》とそれがどう結びつくのか……

近代ヨーロッパ史に全く疎い私には この解読の部分を理解するのにとっても時間がかかってしまいましたが、 最初は あまりにも大胆な考察、、と思えた解釈も 少し自分で検索したりしてみると なるほどと思える部分が確かにありました。。


この旅人が 『オララ』のような一目惚れの恋におちた元軍人だったのか、 それとも、 バイロン的精神を秘めた闘士なのか、、  心に留めながら この旅の先へと進んでいきたいと思います。。

 ***

ところで…

炭焼きについていろいろ検索しているうちに、 日本の和歌でも たくさん《炭》について詠んでいるものがあることを知りました。 そして「埋み火(うづみび)」という季語を知りました。

 「いふ事もなき埋み火をおこすかな冬の寝覚めの友しなければ」(源師頼)


旅人の心を刺す 「Wurm」とは、、 自ら埋めた恋心の「埋み火」なのか、、 かつて自分が抱いていた何かへの闘争心の「埋み火」なのか、、 掻き立たせれば再び燃え出す そんな「埋み火」のような 秘めた心の疼きなのかな… と そう思うのでした。。

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