今年もまた、一重の白バラ「難波茨・なにわいばら」が満開になった。
昨年は「うつろ庵」の紅薔薇と対にして、「紅白の薔薇」とのタイトルで、五月の中旬にご紹介した。 紅薔薇は五月の声を聞かないと開花しないので、今回は「難波茨」単独でご登場願った。 この一重の白バラについては、茨の多いことや名前の謂れ等は昨年の記事を参照願いたい。
難波茨は花数が豊富で、かなりの期間に亘って咲き続けるので、誠に華やかだ。一重の花びらが散り落ちても、黄金色の花芯が残って彩りを添えるので、華やかさが維持される優れものだ。
人間社会でも有能なご仁は、ご本人の存在感は並大抵でないが、本人が居る居ないに拘わらず、数々の業績やそれによるネームバリューが、本人に代わって存在感を持続させ、永く人口に膾炙する。ビジネス社会でも科学技術の世界でも、あるいは芸術の世界でも全く同じだ。
難波茨の残された花芯の存在感と、人間の存在感を云々するのは些か異常かもしれない。 が、此の世に生まれたからには、せめて何かを残せる人生でありたい。
誰もが何れは冥府に行くが、人生を振り返って「あれが自分の成果だ」と、笑って死にたいものだ。
絡み合う蔓をも見せず白妙の
一重の薔薇を連ねて咲くかも
純白の花びら散るも黄金色の
芯を残すは華やぐ形見か
散る後も己を残す難波茨に
人の末期の訓を享けにし