「虚庵居士のお遊び」

和歌・エッセー・フォート 心のときめきを

「観音崎の浜大根」

2013-04-14 12:23:16 | 和歌

 尾根の遊歩道から九十九折れの道を経て、観音崎の海岸に降り立った。
観音崎ホテルや県立美術館などからもごく近いので、観光客や家族連れなど多くの皆さんが散策し、磯遊びなどに興じていた。

 

 ふと見れば、砂浜の一郭には浜大根が群れ咲いていた。
数日前の春の嵐で、花びらが傷ついていたのが痛ましかったが、浜大根はそんなことは気にも掛けぬ風情で、風にそよいでいた。野に咲く草花は、過酷な自然の風雨に耐えて、逞しく生きているのだから、少々のことでは「へこたれない」のだ。過保護の人間様は、彼・彼女らに多くを学ばねばなるまい。

 

 芝生の広場にも、一株の浜大根が咲いていた。
ここの芝生は、子供達や多くの人々が自由に遊べる広場だが、幸いにも踏みつけられることもなく、可憐な花を付けていた。遊びに来た皆さんが、足元の浜大根を労わった結果かもしれない。そう云えば砂浜の浜大根の群れにも、足を踏み入れた形跡すら見えなかった。観音崎に遊びに来る皆さんが、野草の花を大切に守り、これほどマナーが良いとは感激であった。

 


           群れて咲く浜大根が微かにも

           揺れる浜辺はのどかなるかな


           な吹きそ春の嵐よ群れて咲く

           浜大根の花びら傷むに


           逞しく育つものかわ砂浜の

           浪風に耐え浜大根咲く


           数多なる人々訪なふ浜なれど

           浜大根に人災無きとは