何時もの遊歩道を散歩していたら、紅はな花水木が咲いていた。
かつて「花水木」をこのブログに掲載したことを思い出して辿ったら、七年も昔のことであった。(↑ここをクリックすれば、リンク先に飛びます) 手慰みと気晴らしで「虚庵居士のお遊び」を気ままに続けて来たが、あっという間に月日が経てしまったことを、改めて花水木に知らされた。「老いの年月は駆け足」と云うが、気づかぬうちに末期のときに向かっているのだ。
それにしても花水木は、様々な楽しみを提供してくれる花木だ。
紅白に咲くのは、中ほどに集まっている小さな莟を包んでいる総苞片で、本物のお花は小さな粒々がこれから咲くのだ。総苞片は開きかけの緑から、白や紅色に染まり、華やかに我々を楽しませてくれる。秋になれば、紅葉もまた見事だ。更に紅の実を付けて、晩秋から冬にかけて人々を堪能させて呉れるのだ。
花水木の豊かなサービス精神には、痺れるばかりだ。虚庵居士もその様なサービス精神を見倣い、些かなりとも皆さんに奉仕したいものだ。ボランティで続けている「学生とシニアの対話会」は、幸いに全国の多くの大学でも好評だ。
このブログもより多くの読者の皆様に愉しんで頂ければと念じつつ、気楽な「お遊び」を続けているが、変わらぬご支援を賜わりたい。
枝に咲く花水木の花写さむと
石垣に昇る子供の爺かな
花ならず総苞片と云うとかや
彩り豊かに花水木咲く
小花包む総苞片の心をば
推し量りつつ見上げるじじばば