川端裕人のブログ

旧・リヴァイアさん日々のわざ

江守正多さんに会ったり、いろいろ

2009-05-22 22:08:11 | 保育園、小学校、育児やら教育やら
Img_1522Img_1525霞ヶ関まででかけて、江守正多さんに会う。
今、構想している小説のヒントをたくさんいただいた。
江守さんは、以前にも紹介した(と思う)、地球温暖化本の著者。
温暖化シミュレーションの専門家。
温暖化についての様々な議論が飛び交う中で、「じゃあ、シミュレーションってどれくらい確からしくて、どれくらいいい加減なの」という問いについて語る希有な著作をものした。
科学的探求の現場は「どの程度」についてとても敏感だ。白と黒にはっきり線引きできることの方が珍しい。
それについて非常によく書いてくだっている。
地球温暖化の予測は「正しい」か?―不確かな未来に科学が挑む(DOJIN選書20)地球温暖化の予測は「正しい」か?―不確かな未来に科学が挑む(DOJIN選書20)
価格:¥ 1,785(税込)
発売日:2008-11-20

前日には駅前にて、東京大学教育学部の博士課程の学生さんと意見交換および情報交換。
彼は、地域運営学校だとか、学校支援地域本部のごときものが、導入されるにつれて、「開かれた学校」というかけ声とは裏腹に、「地域による保護者の教育」であるとか、「保護者が地域の嫁になる」という現象が実際に起きている現場をすでにフィールドにしている。

取材とはちがって、アカデミックな考察にするためたには、どのような「材料」が必要なのか、ぼくにはよく分からないので、身の回りで起きている、それ類似の現象を伝えておいた。

しかし、地域による保護者の教育の実例はすさまじい。
PTA活動を保護者の義務と断じたり (これは学校にも行政には絶対できないことだし、PTA本体でも言いにくいことだ)、あいさつ・食育・宿題・早寝早起き、といった家庭教育ともいえる分野に、「地域」が高圧的な態度で介入しようとする。「学校運営協議会・会長」名で、彼らの価値観にてらした「子どもによかれ」を実現しようとする。

ぶるぶる。本当に怖い。
この件については、いずれまた書く機会があるでせう。

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なお、一番目の写真では、上のほうの雲の前で、低いちぎれ雲がすごいスピードで流れてます。

PTA進化論の直接反響3(九州在住Mさんの驚き)

2009-05-22 09:10:42 | 保育園、小学校、育児やら教育やら
R0010783南九州在住のMさんは、PTAの非経験者。
けれど、町会、ボランティアの仕事などで、公共性の高い空間にも身を置くことが多い人でもあって、PTAの問題を身に引き付けて感じてくださったよう。
Mさんにかぎらず、「非経験者」で身近ななにかを「似たもの」として言及してくれる人は多くて、代表格は自治会(町会)と労組。
Mさんは、町会とボランティア組織にかかわっている点で、複眼を持っているともいえて……というわけで、生の声を紹介します。

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さてさて私の最近は…というと「音声訳」「要約筆記」「いのちの電話」といったボランティアに関わっていて、役員や委員とは切っても切れない関係。
私も総務委員とかやったりしてますが、いろいろ企画したり準備したりするのは楽しいです。
ただ不思議なのは、なり手がないということは全くなく、むしろ喜んで引き受ける人が多いこと。
好きでそのボランティアに関わっているのだから、役員でも委員でもなんでもひっくる
めて引き受けちゃおうという人が多いのか…。ひとの役に立つことに喜びを感じる人が多いのか…。
そのあたり、やっぱりボランティアとPTAの違いを強く感じるわけです。


自らすすんで選び取った役割というのは、喜びでもあるというのがよくわかる一文。もちろん、PTAでも、みずから選びとり、その場所を心地良い居場所できる前向きな人はたくさんいるのだけれど、そういう人たちの存在が、「やりたくない人」の自由な意思を蹂躙してしまう構造になってしまっていて、そこが大きなちがいだとぼくは感じるのでした。

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だって、子どもがその学校に通っているからというただそれだけの理由で、半ば強制的に関わらざるを得ないなんて、たぶん納得できないですよね。
仕事なら仕事で、お金もらってるからと割り切れるし、もちろんボランティアならボランティアで、好きでやってるからと割り切れる。
でもPTAにはそれがないんですよね。きっと。
それって、私が知っている組織では、町内会が近いのかなぁって思います。
引っ越してきてすぐ、まだ何もわからない状態で、勧誘される。「ゴミステーションは町内会が管理しています」なんて聞くと、「入らなくちゃダメ? ゴミ出せないの?」みたいな圧力を感じたりして。
入ったら持ち回りで班長になったり、町内会費集めたり、回覧板をまわしたり。ボランティアの時とは大違いで、自発的な気持ちは全くなく、ただただやり過ごしてます(笑)
PTAはそれをさらにさらに大変にした感じでしょうか。


町会は場所によっては、いまもPTAなみの組織率をほこり、抜けるという発想がゆるされないところもあるようですね。一方で、崩壊状態のところも多い。
「強い」町会とPTAはどことなく似ているのかもしれません。
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入会の自由は大前提。
そして、組織の一部に組み込んで義務を増やすのではなく、それぞれの学校のPTAを独立させて自由度を高くして。
PTAに多くのことを望んではいけないと思うのです。
役員も委員もすべてなくしてシンプルな原点に立ち返ったら、何が必要なのか見えてくるのかもしれないし、やりたいことも見えてくるのかも。
それでPTAがなくなっちゃうのなら、それまでの存在なんだと思います。
必要があれば生まれてくるし、必要なカタチで生き残るはず。


なんて力強いお言葉。
こういう人にはぜひPTA会員になって、いっしょに「お仕事」したいと願ってしまうのでした(笑)。

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以上。
なおPTA進化論、読みたい方にはお配りしています。
くわしくは、こちら。
http://blog.goo.ne.jp/kwbthrt/d/20090515