日本百名山 55 穂高岳(3190m)
「穂高岳は昔、御幣(ごへい)岳ともいった。
空高くそびえる岩峰が御幣の形に似ていたからである。
また奥岳とも呼ばれた。
人里から遠く離れた奥にあったからだろう。
梓川ぞいにバスが通じて以来、人人は たやすく神河内(上高地)に入り、
そこから穂高を仰ぐことができるようになったが、
それ以前は徳本(とくごう)峠を越えねばならなかった。
峠に立た時、不意にまむかいに現われる穂高の気高い岩峰群は、
日本の山岳景観の最高のものとされていた。
その不意打ちにおどろかない人はなかった。・・・」
徳本峠からの眺め。
(注:藍色インキ欠落のための写真です。以下同じ)
設定: カメラ:STD、レンズ:35mm、風景:日本アルプスの朝、高さ強調1.5倍。
「明治末年頃から、日本山岳会の先輩たちが相次いで登り、
それまで一括して穂高と呼ばれた岩峰群に、北穂高、奥穂高、涸沢(からさわ)岳、前穂高、西穂高、明神岳という風に、それぞれの名称が与えられるようになった。
その最高は奥穂であってわが国第三位である。
初登頂は明治39年(1906)、陸地測量の時で、・・・」
赤線が経路断面図と同じ縦走のルートです。
「しかし、そこで永遠に眠った人も多かった。・・・
近年は冬期登山に毎年のように犠牲者を出している。・・・
死ぬものは今後も絶えないだろう。
それでもなお穂高はそのきびしい美しさで誘惑し続けるだろう。」
(新潮社刊、深田久弥著『日本百名山』より引用)
井上靖 氏の小説 『氷壁』 でクローズアップされましたが、それは前穂高東壁の冬季初登頂の記述ーー
吹雪に見舞われる厳しい登攀のなか、頂上の直前でロープが切れて滑落し、深い谷底へ消えていった物語です。
そのルートは、今もなお、おぼろに私の脳裏に残っております。
私も、山の仲間に連れられて、一泊二日で登ったことがあります。
とは言っても、私を含む二人だけは、西穂手前のピラミッドピークまででU ターンしました。
それでも、今から思うと、よく登ったと思います。
すぐ右隣には前穂が聳えていました。
垂直に崖を攀じ登るような感じの処が、結構ありました。
そこを下るのが、また一苦労、恐怖でした。
足元に何も見えないのです。足探りです。
苦労なんてものではなく、生きた心地がしなかったです。
今から、5年前の平成21年(2009)8月のことです。
もう、登ろうなんて気はありません。
下は、その時の記念写真です。 中央で標識を背に、へたり込んでるのが私です。
哀れな記念写真です。
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