1月5日で和歌山電鉄の「たまスーパー駅長」が就任5周年だそうですわ。
HPから拝借したんで画像が不鮮明なのは勘忍だっせ。
(たま駅長に 部下が誕生)
たまスーパ駅長(雌19歳)さんも寄る年波には勝てず、
勤務中に睡眠することが多く成ったそうですわ。
「わて~ 寝てても駅長の仕事はやってまっせ~」
人間で例えれば60歳~70歳、そろそろ後継者も必要じゃないでっかな。
そこで岡山本社から「ニタマ」(雌2歳)が着任して「たまスーパー駅長」が
お休みの日曜日には貴志駅駅長代行を命じられたそうですわ。
普段は和歌山電鉄の本社と車庫がある伊太祈駅の駅長を兼務するそうでんな。
それにしても和歌山電鉄さんはPRがお上手で感心しまっせ。
(2270系 通勤型電車) (元は南海電鉄の車両でした)
元は南海電鉄の支線で和歌山市と紀ノ川市を結ぶ赤字ローカル線でおました。
2006年(平成18年)に南海電鉄が岡山の両備グループの岡山電気軌道ちゅう
会社に売却してその子会社として新和歌山電鉄でスタートしましたんですわ。
路線距離たったの14.3kmのミニ鉄道だし沿線にこれって言う名所もおまへん。
廃止されなかったのが不思議な鉄道だと、わても考えましたんですわ。
南海電鉄時代に貴志駅の売店だった「小山商店」が駅構内で猫を三匹飼ってましたんや
母親の「ミーコ」と子供の「たま」それに従兄弟の「ちび」
小山商店の撤去交渉に来た岡山の重役さんが「たま」の面構えと行動を観て
ヒラメイタ! そうです、この三毛猫を貴志駅の駅長にしようと。
(たま駅長) (平成20年頃の撮影?)
2007年(平成19年)1月5日に三毛猫「たま」に和歌山電鉄・貴志駅長の辞令が
下りたそうですわ、同時に母親「ミーコ」(2009年死亡)と「ちび」ちゃんは
貴志駅助役として勤めることになったそうでんねん。
後に「ちび」ちゃんは行方不明になり現在は「たま駅長」のみでっけど。
「たま駅長」の愛嬌のある姿が関西で一躍有名になったんでおます。
南海電鉄時代は貴志駅の1日乗降客は700人前後だったのが「たま駅長」就任
2年目には乗降客が40%も急増したちゅう話ですわ。
驚いたことに「たま駅長」就任3年過ぎで万年赤字だった和歌山電鉄が
なんと~ 黒字に転換したという事でんがな。
そこで会社は「たま駅長」の功績を称えて新しい駅舎を新築することにしましたんや。
(和歌山電鉄 貴志駅舎) (平成22年8月完成)
桧皮葺の屋根に猫顔の駅舎とはユニークなデザインでおまっしゃろ。
それと同時に「たま駅長」をスーパー駅長(役員待遇)に昇格したそうですわ。
赤字会社をたったの4年で黒字に変えてっしまうなんて
どこかの総理大臣や経済閣僚さんは爪の垢でも煎じて飲まれたら如何かな?
(おもちゃ電車) (和歌山電鉄所属)
車内に子供が喜ぶ玩具がふんだんに並んでいて「がちゃがちゃ」の機械も置いてある
子供が何度でも乗りたくなるようなアイデアと発想には感心しまっせ。
(いちご電車) (和歌山電鉄所属)
わてが乗らしてもらった電車でっけど、貴志駅周辺の特産品「いちご」に
ホワイトクリームをイメージさせる電車でんな。
車内は座席から部品までオール「いちご」ずくめの微笑ましい電車でっせ。
(いちご電車の 車内風景)
(貴志駅のパネル)
わてがOCN・Cafeのトップに使っていたイラストだからご存じでっしゃろ。
駅舎と言いパネルと言い猫好きの方には堪らない配慮がされていまんな。
(たまカフェ) (貴志駅の構内)
駅構内には「たま駅長」育ての親である「小山商店」も土産物と軽食堂を
功労者として設置を許可されているそうでっせ。
駅前にはほとんど店や食堂もなく折り返しの電車を待つ観光客を
上手く取り込んでいるのは流石だと思いまんねんけど。
(貴志駅の 改札口)
「たまスーパー駅長」の執務室は出てすぐ右側におます。
わてが訪れた時は珍しく起きてお出迎えでしたよ。
(たまスーパー駅長) (平成22年8月撮影)
(たま電車) (和歌山電鉄所属)
人気が抜群の電車なんですがわてが訪れた日は点検で車庫に停まってましたんや。
和歌山電鉄のユニークなデザインは水戸岡鋭治と言う方が考え出したそうですわ。
親会社の岡山電気軌道(路面電車)にも同様な「たま電車」を走らせて
PRに努めているそうだっせ。
(和歌山電鉄 貴志駅ホーム)
「たまスーパ駅長」さんが健在の内にもう一度訪れてみたい駅でおまんな。
なんでも経済効果が年間で11億円だそうで羨ましいお話しでっしゃろ。
新任の「ニタマ」ちゃんにも合わせて頑張って欲しいと思いまんねんけど。
ほな~ 今日はこれでお仕舞い、さいなら~♪