くらしデザインスタジオ@楽(^^)

住まいや街など、様々な暮らしの提案やサポートをする中で、なんとなく気になったこと…!?イロイロです。

子どもに話を聞く本

2005-11-18 | 本,TV,歌,人物など

写真は、「子どものことを子どもにきく」という本。
以前、このブログのコメントで教えてもらった本。読んでみた。
著者は杉山亮さん、新潮OH!文庫で、550円なり。
お父さんとして、子どもにインタビューしたものをまとめたもの。
元は雑誌の連載。まとめて過去に出版されたものの文庫化されたもの。
インタビュー自体は、10〜15年ほど前に、3歳から10歳まで1年に1回行われたもの。

とても面白い、というか楽しめる。同じ父として。
子どもの言葉そのままなので、子どもの考えている?ことが、感じとれる。
大人がきれいに?仕立ててしまっていないトコが良い感じがする。
5歳のインタビューに迷子の話が出てくるのだが、その話が好き。
迷子?というか1人はぐれている時の子どもの考えは、なかなかどうして。
その迷子の時のインタビューの終わりで、大人の見方に気づくのだが...。
ああそうかと気づくお父さんと、なんのことか良く分からず返す子どもの対話が、いやいやなかなかどうして。

きっかけは、
雑誌の文章の依頼をひきうけたものの「締切り近くなってもこれといった書きたいテーマが見つからない。そこで思いつきで、当時三歳の息子の隆にインタビューをし、文章にまとめてみた。」と。

まとめの章には、
「これは大人と子どもの関係論を考える際のあまりに大きな落とし穴ではないかと思うが、ぼくたちは子どもや教育のことを考えるのにまず子どもに聞くということをどうしてこんなにもしてこなかったのだろう。
 子どもについて研究している人の本を読んだり、子どもと一緒にいる機会の多い教育者や保育者の話をきくことで子どもがわかるような気がしていたものだ。
 もちろんそれを否定するものではない。」と。

「いつの頃からか、大人と子どもの関係は「教育−被教育」「保護−被保護」の枠組みで見るのが当たりまえになってしまった。(中略)
 子どもに教えることはあるが教わることはなにもないとなれば、一々インタビューする必要はなくなってしまう。
 なんとも罪深い勘違いだ。
 だが子どもを教育や保護の対象として語らねばならぬ部分があるのは当然だが、そうでない部分もたくさんある。
 そう気づけば、両者は同時代を生きる人間同士だ。
 対等の対話というものがもっと試みられていい。」と。

精神科病棟の写真展

2005-11-06 | 地元地域の活動

昨日は、はあとねっと輪っふるへ。
輪っふるギャラリーの、大西暢夫さんの写真展もついでに見に。
写真は、ギャラリーの案内看板。
大西暢夫さんの展示は6日で終わってしまうので。
大西暢夫さんの写真展は、
「ひとりひとりの人 僕が撮った精神科病棟」というモノ。
同名の写真絵本の中の、写真を展示している。
「雑誌の仕事で精神障害者を毎月撮影することになった。身体障害者や知的障害者は街で見かけるが、精神障害者はどんな人なのかわからなかった。」と。
2日の夜に、大西さんのお話が聞けたのだが、忙しくて行けなかった。

展示されていた写真は、精神科病棟の方を撮影したもの。
写真に写っている方の表情は、とても魅力的な印象。
その一方で、その方の周りの移っている世界は、冷たい印象。
このギャップをどう感じたら良いのか。
最近は、障害といういことの意味が良く分からない。
障害そのものは、法律的に支援などするために引かれた線引きと思うが。
人間自身がつくった社会で、その社会システムに合わない人間は...。
その人を原因とする動きは見えるけれど、社会に原因を求める動きは...。
そんな社会システムの中で、窮屈な人たちと、社会システムと無縁で、自分の思いで生活している人たちと、どっちがどっちなのだろう...。
人間以外の生物からは、人間の社会は、どう思われているのだろう...。

輪っふるでは、封筒ラベルの貼り直しなど。
貼り間違ったラベルをジリジリはがして、再び使えるように。
30枚くらい、2人でやって失敗無しで、ゴミを出さずに済んだ。