末期高齢者になってしまった老人の日記

我が家の花の写真を中心に、日々の暮らしの中で起きたこと等を書かせていただきます。

日立の化学プラント事業部での仕事  その1初めての海外出張

2017-09-18 15:10:20 | 
前書き

日立では、化学プラント事業部の開発課に配属され、実に20年以上在籍しました。

仕えた課長さんも3人でしたが、一番お若い方でも小生より10歳以上ご年配であったため

現在は皆さんお亡くなりになり残念です。

課長職としても10年近く勤め、主たる仕事は関連工場の研究開発の管理と技術提携業務等でした。

技術提携業務での懐かしい思い出

当時の日本の化学工業は遅れていたため海外からの技術導入が盛んで、小生の事業部でも技術導入を積極的に行いました。

新しい技術提携の交渉を行い、纏めるのが小生の重要な仕事でした。

技術提携交渉のための海外出張で記憶に残っていたことは、幸い以前ブログに掲載されていましたので

ご覧になっていない方もおられると思いますので、そのブログを見やすい様にリアレンジして紹介させて頂きます

最初の海外出張

最初の出張は40年ほど前のアメリカ出張です。先ず訪れたのが会社のニューヨーク事務所であった事は覚えていますが

その後何処に行ったか、何の仕事をしたのかは思い出せません。

初めての海外出張は一人旅でしたから相当不安はあったと思います。

会社からの海外出張者もそれ程多くなかった時代なのか

今では考えられない事ですが海外出張担当部門の人が羽田まで来てくれました。乗った飛行機は勿論プロペラ機でした。

最初の旅では怖かったNY

NYの街に入って高層ビル群にびっくりしたり

1972年ですから1ドル300円の時代のため物価の高さにも驚きました。

飛行場から会社の事務所にタクシーで行く途中、家のガラスが割れており、その前にパトカーが止まっているのが見えました。

運転手に聞くと、強盗が入ったとの事。

事務所に着いてまた驚いたのは、部屋に入るのにも、トイレに行くのにも鍵の開け閉めが行なわれていることでした。

その後も暫くの間NYは物騒な街でしたが、その後何度か行くうちに段々安全な街になり

2階建バスでの観光、メトロポリタン美術館、果ては夜のブロードウエイでのオペラ見物までできた様に

安心して滞在出来る街になりました。
        
最初に泊まったホテル

ホテルのサイトより借用

当時は新米課長でしたが、この時JTBが予約してくれたホテルは

パーク アヴェニューの高級街の 1 ブロック全体を占めているザ・ウォルドルフ アストリアでした。

このホテルは、アメリカ大統領や世界のVIPの滞在先としても利用されており

過去に昭和天皇や歴代首相も宿泊されているとの事です。

残念ながらここでの記憶は何も残っていませんし、このホテルに泊まったのはこれが最初で最後でした。

                                               終わり