競馬で思い出すドガの「競馬場の馬車」
競馬には殆ど縁がない小生ですが
日経電子版に出ていた記事にびっくりしましたのでご紹介します。
なお写真はインターネット上の写真を借用させて頂きました。
東京の競馬場と言えば、東京競馬場や大井競馬場の名前が浮かびますが
時代をさかのぼると、あちこちに西洋式の競馬場があった様です。
日経電子版に出ていた記事にびっくりしましたのでご紹介します。
なお写真はインターネット上の写真を借用させて頂きました。
東京の競馬場と言えば、東京競馬場や大井競馬場の名前が浮かびますが
時代をさかのぼると、あちこちに西洋式の競馬場があった様です。
靖国神社参道での競馬
東京最古の近代競馬は靖国神社で行なわれました。
靖国神社は幕末から明治維新にかけての戦没者を祭るため
1869年(明治2年)に「東京招魂社」の名で創建され
1879年に靖国神社に改称されました。
第1回の競馬が行われたのは招魂社創設の翌年1870年で
年3回ある奉納競馬として実施されたもので
神事の一環でもありました。
競馬は境内の細長い参道の両脇に柵を巡らし
その端を結ぶ楕円形の一周1周約900米の楕円形の周回コースがあり
そこで行なわれたためカーブがきつく、落馬が絶えなかった様です。
この競馬は当初兵部省の主催で実施されていましたが
兵部省が廃止されるとその後を引き継いだ陸軍省が実施しました。
靖国神社は幕末から明治維新にかけての戦没者を祭るため
1869年(明治2年)に「東京招魂社」の名で創建され
1879年に靖国神社に改称されました。
第1回の競馬が行われたのは招魂社創設の翌年1870年で
年3回ある奉納競馬として実施されたもので
神事の一環でもありました。
競馬は境内の細長い参道の両脇に柵を巡らし
その端を結ぶ楕円形の一周1周約900米の楕円形の周回コースがあり
そこで行なわれたためカーブがきつく、落馬が絶えなかった様です。
この競馬は当初兵部省の主催で実施されていましたが
兵部省が廃止されるとその後を引き継いだ陸軍省が実施しました。
大村益次郎の銅像
多分皆さんご存知の大村益次郎の銅像は1893年にできており
競馬は1898年まで続きましたから、この銅像の周りを馬が走っていたわけです。
競馬は1898年まで続きましたから、この銅像の周りを馬が走っていたわけです。
戸山学校競馬場
戸山学校競馬場は現在の早大理工学部の敷地と重なるような場所で
1879年から1884年まで存続した競馬場です。
米大統領グランド将軍の来日歓迎行事として
競馬を開催するために設置され、
この競馬大会には明治天皇も行幸し盛大に行なわれました。
この時運営会社の共同競馬会が設立され、近代的競馬規則も定められました。
1879年から1884年まで存続した競馬場です。
米大統領グランド将軍の来日歓迎行事として
競馬を開催するために設置され、
この競馬大会には明治天皇も行幸し盛大に行なわれました。
この時運営会社の共同競馬会が設立され、近代的競馬規則も定められました。
上野不忍池競馬場
交通不便な戸山学校競馬から、集客アップをねらって、
1884年に上野不忍池競馬場ができました。
池の周り1周約1600米は、カーブも緩やかで良いコースだった様で、
初日には天皇臨席のもと政府高官や財界人がこぞって集ったそうです。
以降1892年まで春と秋に競馬が行われましたが
経営難のために止めてしまいました。
交通不便な戸山学校競馬から、集客アップをねらって、
1884年に上野不忍池競馬場ができました。
池の周り1周約1600米は、カーブも緩やかで良いコースだった様で、
初日には天皇臨席のもと政府高官や財界人がこぞって集ったそうです。
以降1892年まで春と秋に競馬が行われましたが
経営難のために止めてしまいました。
吹上御苑の競馬場
明治天皇は、競馬に対し非常に深い関心を持ち
皇居西の丸に円形に近い1周約738㍍の馬場をつくり
1875年に初めて競馬を行い、1884年まで続けられました。
競技としての西洋式競馬は当時社交の場であった様です。
目黒競馬場
目黒競馬場は1907年に日本競馬会により開設され
1932年には第一回日本ダービーが開催されましたが
1933年に府中の東京競馬場へ移転しました。
現在の東京都目黒区下 目黒四〜六丁目付近の目黒競馬場跡には
競馬場外周の曲線部分が現在でも残っており
交差点名やバス停に元競馬場の名があり
馬のモニメントがある記念碑が設置されています。
明治天皇は、競馬に対し非常に深い関心を持ち
皇居西の丸に円形に近い1周約738㍍の馬場をつくり
1875年に初めて競馬を行い、1884年まで続けられました。
競技としての西洋式競馬は当時社交の場であった様です。
目黒競馬場
目黒競馬場は1907年に日本競馬会により開設され
1932年には第一回日本ダービーが開催されましたが
1933年に府中の東京競馬場へ移転しました。
現在の東京都目黒区下 目黒四〜六丁目付近の目黒競馬場跡には
競馬場外周の曲線部分が現在でも残っており
交差点名やバス停に元競馬場の名があり
馬のモニメントがある記念碑が設置されています。
その他の競馬場
池上競馬場(大田区池上)、板橋競馬場(板橋)、羽田競馬場(羽田)
八王子競馬場があり、府中、大井競馬場のほかに10ケ所ありました。
池上競馬場(大田区池上)、板橋競馬場(板橋)、羽田競馬場(羽田)
八王子競馬場があり、府中、大井競馬場のほかに10ケ所ありました。
日本最初の近代競馬は?
日本に西洋式競馬が持ち込まれたのは
江戸時代、開港直後の1860年に横浜・元町辺りで行なわれた様です。
詳細な記録があるのは1862年からで、現在の中華街辺りで行われました。
日本に西洋式競馬が持ち込まれたのは
江戸時代、開港直後の1860年に横浜・元町辺りで行なわれた様です。
詳細な記録があるのは1862年からで、現在の中華街辺りで行われました。
小さい頃の諏訪には、競馬場がありました。
でも競馬をやっていたかは記憶がありませんが、
遊びに行った思いではあります。
そう言えば信州にも草競馬の催しがありますね。
信州には競馬や競輪などの施設は禁止されてますが・・・
千葉県には競艇場はなく、競馬場は2ケ所あります。
残念ながら側を通った事は何度もありますが、入った事はありません。
千葉県には中山競馬場があり、武蔵野線からよく
観れますが、小生も競馬場には入ったことがなく
一度入ってみたい思いはあります。
小生も競馬場に行った事はありませんが、中山競馬場の近くを
電車や車で通ると大変立派な設備の様で、一度入って
昔の紳士の気分を味わいたい思いがあります。
今も競馬場は無いので、まったく縁の遠いものと思っていました(^_^;)
こんな歴史を見てたら、遠い昔には有ったのかも知れませんね(*^-^*)
愛媛には競馬場も競艇も有りませんが、競輪だけは有ります(笑)
私は行った事が有りませんが(^_^)
大井町競馬場を見ました。
競馬も陸軍には重要でしたね。
調べると面白いですね。
しました。不忍池の周りも競馬をやっていたんですね。あちこち10箇所もあったとは競馬が好きだったんですね。又横浜辺りでも行われていたとは想像出来ません。明治天皇が競馬好きで、奨励していたのかな?私自身はやりません
行った事もありません。
競馬も思ったより昔に開催されましたね。
お読み頂き有難うございます。
神事とはいえ、靖国神社の境内でよくもやったものですね。
寒い朝に成りましたね、競馬の歴史は1870年から日本で開催していたのですね、楽しい記事を読むことが出来て幸せでした、有難うございます。
靖国神社での競馬は確かに狭いので落馬したでしょうね
毎朝馬に乗って出かけられた勇姿は、何時までも目に浮かぶ事でしょう。
その馬に乗せてもらった事は、忘れられない
素敵な思い出でしょうね。
事には小生びっくりしました。
終戦で帰った父の実家で稲作りを始めましたが
遠くから馬を連れて来て耕してくれた職人さん
がいた当時の事を思い起こします。
生まれ故郷の熊本で父を迎えに来る馬に
乗せて貰ったことがあるだけです。
親父が軍人であったので毎朝練兵場から
当番兵が馬を引き迎えに来ていたものですから。
知りました、九段の靖国神社は読んだとおり
カーブがきついので落馬が多いのはうなずけました。
昔は田舎でも草競馬などが時々行なわれていました。
馬もたくさんいましたし、その頃の様子が懐かしく思い出されます。
Saas-Feeの風さんは、現役時代海外を歩かれたのですね。
小生も大分海外には出掛けましたが、米国とヨーロッパの主要国だけで、
近隣諸国はゼロ。その上観光旅行はリタイアー後の2度だけです。
今は専ら国内旅行です。
小生も競馬は見にいった事もない門外漢です。
旅がお好きだったとのことですね。
Saas-Feeの風もリタイアする前には海外を歩いたものですが、
リタイアした後は暇があっても資金無しということで
もっぱら棲家の近場を歩いているだけになっています。
これからもどうぞよろしくお願いします。
競馬はまったくの門外漢です。
英国では貴族の社交場だったのに
我が国では射幸心を味わう雰囲気があるように思っていました。
競馬の歴史について初めて知ることができました。
ほお~、そんなことがあったのか~・・
興味深いものを感じました。