末期高齢者になってしまった老人の日記

我が家の花の写真を中心に、日々の暮らしの中で起きたこと等を書かせていただきます。

国立西洋美術館の「手の痕跡」展 その2

2013-02-01 21:17:45 | 展覧会
少しあいてしまいましたが、続けます。

第2章 肖像・頭部彫刻

ロダン20点、ブールデル2点が展示されていました。

初期には《父の胸像》や《髪に花を飾る少女》などで

古代あるいはロココ時代の影響をも示したロダンは

後に身近な批評家や画家、小説家などをモデルにして肖像彫刻を多数制作しました。

ロダンは頭と胸部という限られた造形要素ももとに

そのモデルの人格さえ暴きだすような作品を作りました。

ブールデルは、モデルをそのまま写しとるのではなく

誇張し翻訳することで写実以上の真実を得ることができると考えていたそうで

首のあるアポロンの頭部」は、師であるロダンの影響から離れ

独自の表現を獲得した時期の記念碑的な作品です

初期作品

ロダン:髪に花を飾る少女 1870年

ロダン:父の胸像 1860年

父のジャン・パプチストは貧しい警察署の書記でノルマンディの出身でした。

ロダンの強靭で剛毅な性格と体格はこの父から受けついだものの様です。

ロダンの写真を掲載しますが、似た所がありますか?

ロダン53歳の写真

その後の肖像彫刻

フランス・ロマン主義の詩人、小説家ヴィクトール・ユーゴー

ロダン:ヴィクトール・ユーゴー 1886年

老齢におよんでモデルになるのを嫌ったユーゴーは、肖像制作を許可したものの

積極的にはその制作に応じなかったので

ロダンは書斎のユゴーをバルコニーの外から観察したと伝えられています。

この肖像はユーゴー家には好意的に迎えられなかったようであり

ユーゴーの死に際して、遺族はロダンの友人の彫刻家ダルーに改めて

デス・マスクの採取を依頼しています。

下はユーゴ-の肖像画の顔の部分です。

ユーゴー肖像画の顔


ヨーロッパで活躍した日本人女優花子

明治から昭和初期にかけヨーロッパ各地で芝居の公演を行い

人気を博した花子(本名太田ひさ、1868-1945)は

愛知県の旧家に生まれ、1901年に渡欧、21年頃まで欧州各地を巡業しました。

ロダンは日本人びいきで知られ、

マルセイユ劇場に出演していた花子を見染めモデルに依頼しました。

そして5年間に様々な素材と手法による58点もの作品を残しています。

ロダン:花子の頭部 1907年

本作品は、眼を寄せ、眉をしかめた花子の顔を表していますが

この表情は、日本の芝居のなかで様々な情感を示す型の一つで

ロダンは芝居の「死」の場面で花子が見せたこのような表情に大変興味をそそられ、

「死の首」と呼んでその制作に没頭したと伝えられています。

ロダン:花子のマスク 1907年 
死に向かった、穏やかな夢見るような表情