末期高齢者になってしまった老人の日記

我が家の花の写真を中心に、日々の暮らしの中で起きたこと等を書かせていただきます。

国立西洋美術館の「手の痕跡」展 その3

2013-02-05 14:49:57 | 展覧会
また途切れてしまいましたが、だい2章 肖像・頭部彫刻の続きです。

ロダン:ロダン夫人(ローズ・ブーレ)のマスク1880-1882頃

二人の女性を犠牲にしてのロダンの芸術

ローズ夫人の像が出た所でロダンの女性関係について触れてみます。

ロダン夫人ローズ

ロダンは24歳の時には生涯の妻となる裁縫職人のローズと知り合い

長男をもうけていますが長い間内縁の状態で

結婚の手続きをしたのは死期の迫ったローズ73歳、ロダン77歳でした。

正式結婚をした16日後にはローズは死去し、更に9ヵ月後にはロダンも死去しました。

そしてロダンの末期の言葉は

『パリに残した、若い方の妻に逢いたい。』だったそうです。

逢いたい若い妻」といわれたカミーユ・クローデル(1864-1943)

ロダンは地獄の門の大作に取り組むに当たり中々構想が纏まらず悩みました。

その時期に子供の頃から彫刻に親しみ、卓越した技術と才能を発揮していく

類まれなる美貌の彫刻家カミーユ・クローデルと出会い、彼女が弟子になります。

美貌のカミーユ・クローデル

彼女に夢中になった42歳のロダンは、19歳のカミューを

もう一人の内縁の妻としました。

ロダンは2人の女性のどちらかを選ぶことはできなかったため

三角関係はその後15年にわたって続きます。

ロダンにとってローズは大きな心の安らぎの存在であり

カミーユは若さと美貌と才能に満ち溢れた刺激的な存在でした。

ロダン:接吻 18882-87頃

この作品は、ダンテの『神曲』のパオロとフランチェスカの悲恋に想を得たもので

初め《愛の誓い》、あるいは《パオロとフランチェスカ》とよばれました。

けれども「恋愛こそ生命の花である」と言っているロダンは

むしろ清純で熱烈な愛の勝利を謳っています。

ダンテの神曲から取材したものの

実際はロダン自身とカミーュがモデルといわれています。

この作品は人気があり、世界で300点以上もあるそうです。



華やかな若い弟子からインスピレーションを得たロダンは

芸術上の悩みを超克して大成しました。

一方のカミーユは、その生まれ持った才能とは裏腹に

世間では全く評価されず、ロダンのコピーだと言われ続けられる有様。

私生活では20代後半にはロダンの子を妊娠するも流産

そして内縁の妻ローズとカミーユの間で揺れていたロダンも

最終的にはローズの元へと去って行ってしまい多大のショックを受けます。

それらの事からカミーユは精神を病み、ついには発狂してしまい精神病院に入院

誰にも看取られる事無く78歳で亡くなりました。

天才彫刻家カミーユの悲惨な運命は、後に数々の小説になったり

映画になったりして、今では広く人々に知られる所となり

近年においては彼女の作品に再評価の光がさしているようです


カミーユ:分別盛り 1899年(本展覧会とは関係ない作品)

この彫刻では、「中央に初老の男、その左後方に老婆がいて

老婆はその男を左のほうへ導こうとしています。

そして右にはその男に追いすがり捕まえようと手を伸ばす若い女

しかし倒れこみそうなほど前のめりになっても

彼女の手はけっして男に届くことはない。」

と言う事で一般にはこの作品は、愛人関係にあったロダンとの仲を

老妻に引き離されることになった場面と説明されています。