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末期高齢者になってしまった老人の日記

我が家の花の写真を中心に、日々の暮らしの中で起きたこと等を書かせていただきます。

ガウディーの建物 その1 サグラダ・ファミリアの2 生誕のファサード

2012-01-09 21:28:13 | 海外旅行
正面が生誕のファサード

小生が訪れた時は生誕のファサードと受難のファサードは
完成していましたが本堂等は建設中でした。

そして生誕のファサードでは塔の上の方に上り
狭い窓から下を見下ろした記憶が強く残っています。
きょうは生誕のファサ-ドを出来るだけ詳細に紹介します。

生誕のファサード

生誕のファサードは、3つの門とその上に立つ4本の塔で構成されており
キリストの生誕から初めての説教を行うまでの逸話が彫刻によって表現されています。

三つの門と四本の塔

円錐形をした3つの門は、左門が父ヨセフ、中央門がイエス、右門が母マリアを象徴しています。

ファサードは、人物・動植物あるいは聖なるシンボルなどの彫像群で覆われており
イエスの誕生から幼年期・青年期にかかわる23場面と10個のシンボルからなっています。

内側から見たこのファサード。表と異なり幾何学的模様で作られています

中央門

中央門


中央門の前のkemple


中央門の彫刻

中央門では、最上部には“マリア戴冠”の場面が彫りこまれ
その上にはイトスギをモチーフにした尖塔が立っています。
因みにイトスギとは“決して腐らないもの”を意味するということです。


マリア戴冠

マリア戴冠”の下には、受胎告知が「あります。

受胎告知

その下にはこの門の中心であるキリストの生誕が
祝福をする天使、東方の三博士や羊飼い達などに囲まれて彫られています。


キリスト生誕とその上で祝福する天子達


キリスト生誕(一番上の小さい像)とその下で祝福する天子達。
祝福の音楽を奏でている天使も見えます。

祝福する天使達の一番下左右には、祝福する三博士と羊飼いが見えます。


左側三博士


右側羊飼い

中心のキリスト生誕

キリスト生誕。
“愛児イエスを指し示す聖母マリアと、その母子を見守る父ヨゼフ”です。

イエスの生誕の彫刻のすぐ下には、ジーザスの文字が彫刻されているのが見えますが
それを支えている柱には、アブラハムに始まり、ヨゼフまで
新約聖書冒頭に記されたイスラエル王の家系が螺旋状に刻まれているとの事です。


マリアとキリスト


その他の彫刻

 
中央の門を構成する2本の柱はヨゼフの柱とマリアの柱を表し
その土台には変わらないものの象徴として亀が、ヨゼフの柱には海亀
マリアの柱には陸亀がそれぞれ彫刻されています。


亀の彫刻

なお亀の甲羅の半球的形態は宇宙を表しており
サグラダ・ファミリア聖堂はその宇宙の上に聳え立つており
「サグラダ・ファミリアを、亀のようにゆっくりと、
しかし休まずに作り続けて行こう!」というガウディの
アツいメッセージも込められているそうです。


また、門の両脇には変化するものの象徴としてカメレオンが配置されています。

カメレオンの彫刻


左右の門

左門ではローマ兵による嬰児虐殺、家族のエジプトへの逃避
父ヨセフの大工道具などが彫られています。

左の門


右門には母マリア、イエスの洗礼、
父ヨセフの大工仕事を手伝うイエスなどが彫られています

右の門


画像がアップできなくなりましたので、ここで一応きります。

ガウディーの建物 その1 サグラダ・ファミリアの1 

2012-01-07 20:26:04 | 海外旅行
ktempleが訪れた頃のサクラダファミリア

年頭のご挨拶は、皆様のブログで済ませて頂いていますので省略させて頂きます。

怠け者の上にインターネットで今回ご紹介する内容を調査し始めると知らないことが沢山あり
しかも海外サイトが殆どのために語学力の衰えた小生には時間がかかってしまい
当初の掲載予定が大幅に遅れてしまいました。

スペインの旅の続きとして、今回から暫くバルセロナのガウディーの建築物をご紹介します。

強烈な印象を持って見た建物でしたが、残念ながら写真は余り残っておらず
また夫々の建築物についての知識もなかった事から
自分向けに詳細に調べた事をごたごたと書きましたので
ご興味のある方はお読み頂ければ幸いです。


先ずバルセロナについて

バルセロナの風景

バルセロナは、スペイン北東部の地中海沿岸に位置する港湾都市で
首都マドリードに次ぐ第2の都市で人口は約160万人です。

14世紀に建設された城塞を起源とする旧市街と
1859年の大拡張計画によって建設された新市街からなっています。

19世紀後半から20世紀初めに流行したフランスのアール・ヌーボーと類似した
独創的な芸術様式「モデルニスモ洋式」の建築が多く見られ

その教祖と言っても過言ではない建築家アントニ・ガウディが残した作品のいくつかがあります。

例えば巨大で今なお未完成のサグラダ・ファミリア、グエル邸、グエル公園等です。
先ずガウディーとサグラダ・ファミリア教会をご紹介することにします。


ガウディー(Antoni Gaudi)について

アントニ・ガウディ(1852- 1926)は、スペイン、カタルーニャ出身の建築家です。


2005年には建設途中のサグラダ・ファミリアをはじめとした数箇所の作品が
ガウディの作品群としてユネスコの世界遺産に登録されています。

ガウディは自然が好きで、曲線、放物線、植物や動物(トカゲ、蛇)などを
モチーフにしたり、祖父や父が鍛冶屋で鉄に親しんでいた事から建築物には鉄をよく使いました。

1883年31歳の時に、サグラダ・ファミリアの設計・建築担当者になり
1926年74歳の時に、街を歩いていて路面電車に轢かれ3日後に死亡するまで
その設計・建築に取り組みました。そしてその地下の礼拝堂に埋葬されています。

サクラダファミリア地下礼拝堂のガウデイーの墓


サグラダ・ファミリア
(カタルーニャ語: El Temple Expiatori de la Sagrada Familia)

サグラダ・ファミリアは、聖家族贖罪教会という正式名称を持つカトリックの教会堂で
日本では聖家族教会とよく呼ばれています。

1882年に建設が始まり130年近くが経過した現在も建設中です。

サクラダファミリアの現在の姿

後述するように寄付金で建設が行なわれているため当初完成まで
300年はかかるとかつては予想されていましたが

スペインの経済成長や入場料収入などに支えられて加速しており
現在はガウディ没後100周年目の2026年完成が見込まれています。

ここで撮った写真はいいものが殆どなかったのですが
現地で購入したガウディーの作品紹介資料、インターネット資料
NHKBSプレミアムで放映され「祈り~ガウディの心を受け継いで~」の録画等を利用しました。

説明は主としてサクラダファミリアの英文サイトの資料を利用していますが
教会の特殊な英語と語学力の落ちたktempeのために
誤訳や不明確な表現が多いと思いますがご容赦下さい。

建設の歴史

建設の発端

サグラダ・ファミリアは、出版業者のボカベーリャ(Bocabella)が
産業革命とそれに伴う社会的変化によって起きたローマ教会の権威の低下と

世の宗教心の希薄化を憂い、1866年にすべて個人の寄付に依る
罪教会を建設することを目的に「サン・ホセ協会」を設立したのが発端です。

なお聖家族とはヨセフとマリアとイエスで、ヨセフはスペイン語ではホセといい
聖ヨセフを家長とする聖家族のための教会ということで
「聖家族のための贖罪教会」となりました。

協会は当初町の中心に建設を予定しましたが
予算の制約から町の中心から離れた拡張市街地域に
1876年に12,800平方メートルの場所を取得しました。


最初の設計・建築を手がけたビリャール(Villar)
1877-1883年

翌1877年建築家ビリャールが無償で設計を引き受けました。
ビリャールの計画は全体的にネオゴシック様式で、地下室のある3つの本堂を持つ教会でした。

1882年に礎石が置かれ、地下礼拝堂の建設が始まりましたが
ビリャールと モルトレール(Montells)によって代表された建設推進協議会の間に
いくつかの意見の不一致が生じたため、ビリャールは翌年辞任し

ガウディーが1883年正式に建設を引き継ぎました。
なおその一年前からガウディーはこの建設に係わっていました。

地下礼拝堂建設風景

ガウディーの時代

1883-1913年

1883にプロジェクトを引き受けた後、ガウディーは地下礼拝堂を1889年に完成。
ついで後陣と回廊の建設に取り掛かります。

平面図で見たビリャール()とガウディー()が計画した建築物

寄付金も多く集まった事から、それまでのネオゴシック様式を止めて
形式と構造の両面で建物をより大きく且つ革新的なものにすることを提案しました。
 
その案は平面図が十字架の形の大きな本堂と
高い幾つかの塔を備えた大規模な教会でした。

それは福音書と教会の教えを、問答式に説明することを究極の目的とした
非常に象徴主義的な建築様式と彫刻を取り入れたものでした。

1892年には後陣を完成し、キリスト生誕のファサードの建設にとりかかりました。
1911年には、受難のファサードを計画しました。

完成した後陣

1914-1926年
1914年以降ガウディーはサクラダファミリアの建設のみにに専念しました。

1925年キリスト生誕のファサードの最初の高さ100mの鐘楼の建設が終了しました。
そして上述した様に1926年に悲劇的事故により死亡しました。

なおの時代には、多くの建築家、設計者、彫刻家および模型製作者が
ガウディーとともにこのプロジェクトに携わりました。

ガウディーの死後

ガウディは仔細な設計図を残しておらず
大型模型や、紐と錘を用いた実験道具を使って構造を検討したとされています。

紐と錘を用いた実験道具
ガウディは曲線と装飾を多用した生物的な建築を得意としており
その手法は網状の糸に重りを取付けその糸の描く形態を上下反転させたのが
垂直加重に対する自然な形態だと考え実践しました

1936年スペイン内戦でガウディの仕事場と地下室が焼け落ち、それらの模型は破片となり
資料なども大部分が消失したため、工事は中断されました。

破壊された模型の破片

しかし破片から模型の復元、職人による伝承や大まかな外観のデッサンなど
残されたわずかな資料を元に1952年に工事は再開されました。

復元された模型

その後時代毎の建築家がガウディの設計構想を推測するといった形で
現在も建設が行われています。


完成されたときの教会

上に色々の建築物の名前が出てきてお分かりにくかったと思いますので、
ガウディーが計画した最終的な教会についてご紹介します。

ガウディーが描いた完成時の姿


上記をベースに模型化したもの

これを言葉で表すと次の様になります。

正面の中央ファサードに「栄光の門」
向かって右側太陽の昇る側に東ファサードの「生誕の門」
陽の没する方角の左側には西ファサードの「受難の門」が設けられます。

それぞれの門の上には4本ずつ、計12本の塔が屹立します。これは12使徒を表すものです。

その内側には4本のさらに高い塔が立ちます。
これは4人の福音書の著者(マタイ、ルカ、マルコ、そしてヨハネ)を象徴するものです。

そして中心には一際高く太いイエスの塔、その少し後ろにはマリアの塔が立ちます。
マリアの塔は使徒の塔よりは高く、イエスの塔に寄り添っています。

このように全部で18本の塔が建ち、3つの門ができる事になっています。


教会内の建物の位置
 
 
教会内の建物をもう少しはっきりさせるために
図で主要な建物の位置を説明してみます。但し塔の位置は明確には分かりません。

上の全体の姿と同じ方向から見た立面図


平面図

本堂は上の平面図の中央の十字架の形の所で
下図の後陣とその右の部分です。
後陣と身廊の長さは90米、本堂と翼廊とが交差する所の横幅は60米です。

後陣
本堂左側の半円形部分が後陣で、まわりに分配された7つの礼拝堂がある祭壇です。

後陣の位置

身廊
翼廊を隔てた右側が身廊です。5つの身廊と3つの翼廊を持っています。
中央身廊の幅は15米、左右の身廊の幅は夫々7.5米です。

身廊にの位置

翼廊と生誕と受難のファサード
翼廊の身廊は三つのスペースに分けられており、その上には5つの塔があります。
翼廊の両端には生誕と受難のファサードがあります。

翼廊と交差部の位置

生誕のファサードの位置。受難のファサードは反対側になります

栄光のファサード
右の入り口は栄光のファサ-ドです。

栄光のファサードの位置

回廊
本堂の周囲は回廊が囲んでいます。

回廊の位置

礼拝堂
生誕のサファードの両端と、後陣の左側に三つの礼拝堂があります。

礼拝堂の位置

聖具室
回廊の左側の上下の端にはドームになった聖具室があります。

聖具室の位


地下礼拝堂
地下礼拝堂は、後陣の地下にあり、後陣と同じような形式になっています。


現在の地下礼拝堂

次回は個別の建物等をご紹介する予定です

トレド大聖堂 その3

2011-12-30 18:30:16 | 海外旅行
いよいよ今年も後一日を残すだけになりましたね。
今日で大聖堂の紹介を終わらせたいと思いますので
少し長くなりますがお付き合い頂ければ幸いです。

聖具室

聖具室全景(お見苦しい写真で失礼)

ここはミサに使用される聖杯や聖衣などを保管するための部屋ですが
多くの絵画が展示されていて、スペインの有数の美術館にもなっています。

部屋の奥中央には、エル・グレコの名作「聖衣剥奪」が飾られており
その周囲には、上の二人に加えて、ティツアーノ、ラファエロ、カラバッジョ、
ダイク、ゴヤ、その他多くの画家の絵が飾られています。


天井はタリアの画家ルッカ・ジョルダーノ(17世紀)のフレスコ画が覆っています。


天井画


エル・グレコ作「聖衣剥奪」


キリストが十字架かけられる直前の衣服を剥がれる姿を主題にしたもの


聖歌隊席

多くの大聖堂の聖歌隊席は
美しい彫刻などで装飾された木製の座席が見られますが
ここはスペインでも特に立派なものの一つです。

正面は16世紀に作られた大きな鉄格子で護られています。

聖歌隊席正面の鉄格子

椅子

聖歌隊台には、立派な木彫りの椅子と
周囲の大理石の彫刻や円柱が見られます。

聖歌隊台

椅子は上下段に二組あります。
下段には15世紀に作られたくるみ材製の50個のゴチック様式の椅子があり
背あてには城攻めのシーンが彫られています。

上段には16世紀に作られた70個のルネッサンス様式の椅子があります。

下段の椅子

城攻めシーンの彫り

パイプオルガン

部屋の左右には様式の異なるパイプオルガンがあります。

パイプオルガン

パイプオルガン


エル・トランスバレンテ(EL Transparente)

大礼拝堂の後方にある天井につくられた大きな明かり取りの窓で
彫刻に縁取られ、内側にはフレスコ画が描かれています。
この窓の正面にある祭壇に光をとり入れる目的で18世紀に造られました。

エル・トランスバレンテ

エル・トランスバレンテのアップ


エル・トランスバレンテの祭壇

18世紀に作られたこの祭壇には
漆喰像、絵、ブロンズ鋳物、また色々の色の大理石の彫刻から出来た
多くの天使や聖母子が見えます。
この祭壇はエル・トランスバレンテの作者と同じです。

エル・トランスパレンテの祭壇

高い天井に作られたエル・トランスバレンテを通って
日々祭壇を数分間照らす一条の光は
あたかも祭壇が天へ上昇しているという印象を与えています。



聖体顕示台(The Monstrance) 

重要な宝石や価値ある美術品が収められている宝物室があり
その中で最も需要なものが16世紀に作られた聖体顕示台です。

聖体顕示台

高さ2.5米、重さ200キロで、金、銀、宝石でつくられており
製作者のドイツ人は、制作に7年半の歳月を費やしたとの事です。

年に一度聖体節にトレドの街を練り歩くので有名です。


トレドの工芸品


トレドの工芸品と言えば象嵌細工、刀剣、槍等が有名です。

象嵌細工は、非常に古くからのもので
鉄板の表面に金糸や銀糸を嵌め込んで色々の模様を作ったものです。

トレドの街を歩くと象嵌細工屋さんが仕事をしているのが見られました。
記念に買ってきましたが、時間とともに輝きが薄れてきており残念です。

記念の象嵌細工

まだご覧にいれたいものもありますが、余り長くなりますので
これで終わりとします。

最後に
 

  
本年は思いもよらず「いい色」が終了になり
お仲間はあちこちのブログに散りましたが
その後も引き続いて暖かいコメントを賜っており
本当に有り難く感謝しております。 

来年も引き続きご厚誼を賜りますようよろしくお願い申し上げます。

小生今年は今日を持って投稿は最後とし
来年は5日頃より再開する予定です。

では皆様におかれましては、どうぞ 佳い新年 をお迎え下さい

トレド大聖堂 その2 ステンドグラスと大礼拝堂

2011-12-28 21:46:32 | 海外旅行

大聖堂内部

今日から大聖堂の内部の様子をご紹介する事にします。

身廊の状況(高い柱やステンドグラ)

先にこの大聖堂は5身廊とも言われていると書いたように
各廊では、大きなアーチ状の柱、高い天井、
それに美しい沢山のステンドグラスが見られます。


大きな柱と天井とステンドグラス

ステンドグラスの数は750を越えており
14世紀から17世紀に亘って作られました。
然し特にスペイン内戦中に、ステンドグラスは多くの損傷を受け
20世紀に大規模の修復が行なわれ、その輝きを取り戻しています。


ステンドグラスの一例

高さがよく分かる柱とステンドグラスの列


中央礼拝堂

大聖堂には、中央礼拝堂をぐるりと囲むように
22の礼拝堂がそれぞれ美しさを競うように並んでいます。

中央礼拝堂外観

中央礼拝堂外観

礼拝堂の外側には素晴1らしい鉄格子が見られます。
この鉄格子は工芸家が10年の歳月を費やして制作したものです。


鉄格子とステンドグラス

正面から見た鉄格子と奥に祭壇屏

中央にある皇帝カルロス5世の紋章である双頭の鷲が際立っています。
鉄格子中央双頭の鷲

祭壇屏

礼拝堂の中には15世紀から16世紀かけて27人の工芸家が協力して
制作した彫像や金銀線加工などが施された彩色の祭壇屏があります。


祭壇屏

祭壇屏は5仕切りになっており、中央の仕切りはやや大きく
そこにはキリストを抱くマリアの坐像、聖体顕示台等が
そして最上部には、キリストのはりつけの像があります。

その他の仕切りには、キリストの生涯の重要な20場面が精巧に描かれており
ヨーロッパで最も美しいものです。

なお左右には皇帝や枢機卿の墓があります。


祭壇屏細部




トレド大聖堂 その1外観

2011-12-27 18:56:18 | 海外旅行
南側から見たトレド大聖堂

年賀葉書、正月準備の整理や飾りつけ、病院行き等で
延びていたトレドの続きを掲載します。

今回ご紹介するトレド大聖堂は、外から撮った写真が少しあるだけで
内部は全く無く、多分撮影禁止だったと思われます。

それに困った事に内部の記憶が殆どありません。
これは多分この旅で、ローマではバチカン宮殿を見ており
内部の写真も沢山残っていることから
その印象が余りにも強く残っているためかと思われます。

止むを得ませんので、インターネット上の色々の資料と、
現地で入手したガイドブックを参考にしてご紹介する事にします。


トレドの大聖堂(カテドラルCathedral)について


Google mapの空から見た大聖堂

トレドの大聖堂は「トレド大司教の大聖堂」とも呼ばれ
大司教がいる大聖堂で、スペインでのカトリックの総本山で
スペインゴシック建築の最高傑作とも言われています。

この大聖堂は、1227年に着工し完成は1493年と
2.5世紀という長い時間をかけて建設が行なわれました。
そのためムアー様式(イスラムの影響を受けた、スペイン地方の様式)と
スペインルネッサンス様式という明白に異なる建築様式が採用されています。

大きな礼拝堂が中央にあって、
70の円形天井と88の柱で構成された5つの脇廊があり
壁側には小さな礼拝堂がぐるっと取り囲んでいます。
建物の長さは113米、幅は57米、高さは45米あります。

大聖堂建築について

大聖堂のイメージを持っていただくために
小生自身も大聖堂建築について不案内であったので
調べた結果を、必ずしも正確でないかもしれませんが
基礎的なことをご参考まで下記します

大聖堂を平面図に表すと、下図の様にほとんどの場合東西に伸びる廊と
廊に交差する南北の翼廊(袖廊ともいう)が十字形を描いています。
廊は西が入り口で、西正面は外観で最も装飾的な部分となっています。

3廊式大聖堂の平面図

廊の数は通常奇数であり、その数によって
単廊式、3廊式、5廊式などに分類されます。

廊のうち中央に設けられるものは、通常高い天井と広い幅を有しており
身廊と呼ばれます。
身廊の両脇に設けられる天井の低い廊は側廊と呼ばれ
身廊と側廊、または側廊どうしの間はアーチで区切られています。

トレド大聖堂は5廊式で、側廊の天井も高く
また外側の側廊は身廊より広い幅を持っており
5身廊の聖堂とも呼ばれています。

トレド大聖堂の平面図

なお身廊は入口から翼廊に至るまでの部分をいうこともあり
そこは参拝者のいすが並んでいる場所です。

その奥には内陣(主祭壇を安置するための聖職者専用の空間)
そして祭壇、祭壇の後ろの後陣等があります。


トレド大聖堂西正面

正面の門の左側には塔が、右側にはモサラベの礼拝堂のドームがあります。
その間には3つの門があります。


西側正面(横長写真3枚を繋ぎ合わしたもの)


西側正面(案内書の写真)



塔の高さは92米で、大きく二つの部分があり
下部四角の4段の構造物、その上に小尖塔がつい8角形の構造からなり
夫々は別の人物により設計されました。

また最上部には三つの冠がありますが、それは
ローマ教皇が被った三つの冠から構成された教王冠を模ったものだそうです。

なお塔は当初左右に作られる予定でしたが
片側の地盤が悪いため中止され、礼拝堂が作られました。



正面には三つの門があり、中央に「許しの門」(Door of Forgiveness)、
右側に「最後の審判の門」(Door of Forgiveness)、
左側に「地獄の門」(the Door of Hell)があります。

許しの門

許しの門

15世紀に作られたこの門から入った悔恨者には
贖宥状が与えられた時があった事から許しの門と呼ばれました。

現在この門は通常は閉じられており
新しい大司教が就任した時とか、特別の場合にのみ使用されます。

許しの門前のktemple

ライオンの門(Door of the Lions)

ライオンの門

この門のある場所がどこか分かりませんが
大きな門の中で最も美しいもので、15世紀に造られました。

門の前の鉄柵の上を飾る大理石のライオンによってその名が付けられました