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末期高齢者になってしまった老人の日記

我が家の花の写真を中心に、日々の暮らしの中で起きたこと等を書かせていただきます。

スペインの最後 

2012-01-25 20:59:28 | 海外旅行
スペインの旅の最後に、残った写真の一部を掲載させて頂きます。

スペイン広場

マドリードの観光客が集まる広場の一つにスペイン広場があります。
この広場には「ドン・キホーテ」の著者セルバンテスの没後300年を
記念して作られた記念塔、セルバンテス像、そして
ドン・キホーテとサンチョ・パンサの銅像があります。


スペイン広場

手前がドン・キホーテとサンチョ・パンサの銅像、
その後ろ中央にはセルバンテス像、高いのがセルバンテスの記念塔です

ドンキホーテーの像で。お隣は同行のご婦人

食事風景

珍しく食事風景の写真がありました

小生の前が銅像で一緒のご婦人。ご主人は向こうで立っておられます

運ばれてきたご馳走は?


ご機嫌ktemple

ホテルの前で外人さん?と


少し狂ったかktempleフラメンコを踊る?


プラド美術館

プラド美術館

マドリードといえば歴代のスペイン王家のコレクションを展示する
世界でも有数の規模と内容をもつプラド美術館があります。
グレコ、ゴヤ、ベラスケス等の有名な絵があります。

グレコ自画像


ゴヤ自画像



ベラスケス自画像

2002年には国立西洋美術館でプラド美術館展が
そして現在プラド美術館の所蔵品から「ゴヤ 光と影」展が29日まで開催中です。
この展覧会の前売り券は買ってあるのですが
残念ながら足の痛みで行くのは無理かと諦めかけている所です。

話はそれましたが、プラド美術館に行った記憶は明確に残っており
美術館で購入した画集もあるのですが写真が見当たりません。

ビデオを撮っていて写真を撮る暇がなかったのか?
敬意を表して有名な絵を少し掲載します。


グレコ:聖三位一体


ゴヤ:裸のマハ


着衣のマハ(こちらが西洋美術館で展示中でした)



ベラスケス:ラス・メニーナス(女官達)


分けの分からぬ看板

鯨の様に見えますが?


次回からイタリアの旅を掲載予定です。







ガウディーの建物 その6 住宅建築

2012-01-21 16:05:20 | 海外旅行
ガウディーの作品についの最後に、日本では見られない
独特のスタイルの住居についてご紹介することにします。
ガウディーは住宅も幾つか手掛けていますが
小生が見ることが出来たカサ・ミラを掲載します。

カサ・ミラ

カサ・ミラ正面

ガウディが地元の実業家ペレ・ミラとその妻に依頼されて
1905-1910年にかけて建築された集合住宅です。

直線部分を持たずに地中海をイメージしたという
波打つような外観が特に目をひきます。

窓も色々と違った形をしています。

カサ・ミラの部分

タイルでできている屋上を除いて建物全体が
巨大な石を加工したような外観のために
「石切り場」とも呼ばれています。

岩を掘り出した様な建物

一つ一つ異なるバルコニーは、鉄という素材を使いながら
まるで波に漂う海藻のような、柔らかな造形を生み出ます。
これは、大部分はJujolによって即興的に設計されたそうです。

海藻のような造形

屋上風景

屋上には抽象的な独特の形をした造形物が立ち並んでいます。

屋上の様子


屋上テラスの造形物


煙突とテラス出口


換気塔


中庭の様子

この建物には中庭があります。中庭から見た建物の様子です。


ガウディはカサ・ミラの工事を進めるに当たっては
設計図は書かず1/10の模型を使って指示を出したとの事で

これは構造があまりに複雑なため、職人達に指示を出す際
この方が伝わりやすいと判断したためとのことです。

この建物も世界遺産に登録されています。





ガウディーの建物 その5 グエル公園の2

2012-01-19 12:44:17 | 海外旅行
空から見たグエル公園

広場のベンチ

広場の周囲を囲む波型のベンチは、
ある所ではゆるやかな波型に
またある所では詰まった波型になっています。


ゆるやかな波のベンチ


少し詰った波のベンチ


詰まった波のベンチ

その表面には、セラミック、ガラス、ビンのかけらを使った
素晴らしいコラージュ(貼り付け絵)が施されています。


コラージュのアップ

それらは抽象やシュ-ルレアリズムといった絵画を
年以上先取りしたものです。

またガウディーは、ベンチの正確な形を得るために
石膏の鋳型の上に直接裸の労働者を座らせ
それを元にしてとられた型からベンチを作成したとの事です。

型から作られたベンチ


公園の周囲の道路

自然に溶け込んだ道路の支柱

夫々の家に行くための公園の周囲の道は
ガウディーにより設計されました。

彼は公園内の道を車道と歩行者道に分けています。
歩行者用の道は、斜面の階段と小径を組み合わせ
馬車と自動車用の道は、最高でも6度の角度をもつよう設計されています。


農園者の道

両者の道が交差するところでは
柱で支えられた高架橋が斜面から飛び出して架設され
上部は車道として使われ、下部は歩行者の格好な雨宿りの場所と
なっています。

これにより道路による占有される面積を小さくしています。

高架橋

また周囲の景色に溶け込むように
使用している石は現地にあるものを使用しました。

道路の下のアーチ型天井を支える支柱はあたかも木の幹のようにつくり
自然に溶け込ませています。


自然に溶け込んだ歩


広場の右にあるミュージアムに行く道


そんな歩道の側でいささかメタボの昔のktemple



ガウディーの建物 その4 グエル公園の1

2012-01-17 19:12:38 | 海外旅行
グルエ公園中央階段

今日はグルエ公園を紹介します。

歴 史

英国式庭園住宅に憧れた資産家のグエル伯爵は
ブルジョワ階級向けの庭園住宅の建設を夢見て
バルセロナ中心街から離れた高い場所にあり、バルセロナの街が一望できる山に
17ヘクタールの土地を購入し、ガウディに庭園住宅60区画の設計を依頼しました。

1900年から1914年にかけて建設が行なわれましたが
売りに出した60区画で売れたのはたったの2区画で
グエル伯爵の夢は破れ、1914年に中止となりました。

1922年にグエルの後継者により市に寄付され、公共公園となりました。
公園の名前はグエル公爵の名前をつけたものです。

売られた1区画を購入したのはガウディで、一時住んだこともある家が
ガウディ記念館として公開されています。

1984年にはユネスコの世界遺産に登録されました。

ここで撮った写真余り多くはありませんので
インターネットサイトからお借りした写真も入れて
出来るだけ細かくご紹介したいと思います。

公園入り口

公園入り口の両側に風変わりな建物が先ず目に付きます。
左側の建物は昔は門衛所、右は運営事務所でしたが
今は左側は土産物店、右はインフォメーションセンターになっています。
その奥には中央階段が見えます。


公園入り口風景


インフォメーションセンター


みやげ物店


周囲にめぐらされたモザイクで飾られた塀

大階段

正面入り口の先には、頂上のホールに続く白い大階段があります。

階段の上の方真ん中には、今やバルセロナのシンボルともなっている
破砕タイルで飾られた「とかげ」があります。
このとかげドラゴンとよく混同されているとか。

大階段


大階段途中にて


とかげ

後ろを振り返ると


入り口建物とバルセロナの街

ホール

ホール

階段を上りきるとそこは大きな広場を支える86本の支柱のある
大きなホールがあります。
ここは当初市場にする予定で作られたホールでした。

天井はモザイクのタイルで覆われていますが、平らでなく凹凸のある天井です。

モザイクで覆われた凹凸のある天井

そして天井には美しい破砕タイルのデコレーションがあります。

ホールとデコレーション


デコレーション
なお支柱は広場を支えるだけでなく
広場の雨水を集める排水設備としても機能しており
雨水は支柱を通ってホール地下にある貯水池へ集められます。
この貯水池は1万2千立方米の大貯水池で、公園住宅都市で利用するものでした。


広場

ホールの真上にあるのが、広場です。
この広場は野外劇場、文化的、社会的行事が催される場所でした。
110メートルも続く波打つベンチに縁を囲まれています。


広場


広場全景

ガウディーの建物 その3 サグラダ・ファミリアの3受難のファサード

2012-01-12 15:34:39 | 海外旅行
生誕のファサードの塔に上る


生誕のファサードの塔

前回塔に上ったと書きましたが、上った塔はこんな塔です。
確か途中までエレベーターで上り、後は石の階段を上りました。


歩いて上ったのはこんな階段


上を見上げるとこんな感じ

ここの部分は殺風景の感じですが、塔の先端部は鮮やかです。


四本の塔の上部


塔の最先端部

そして上がった所の細い窓から見下ろしたバルセロナの風景です。


窓からみたバルセロナの街。遠くは海


彫刻家外尾悦郎氏

忘れてならないのは、バルセロナに住む福岡県出身の彫刻家外尾悦郎氏が
1978年から生誕の門の彫刻に従事し
「ハープを奏でる天使」、「天使の合唱隊」などを完成し
今もサクラダファミリアの主任彫刻家として彫り続けていることです。


受難のファサード


受難のファサード

生誕のファサード門の反対側にあるのが「受難のファサード」で
その建設はガウディーの死後28年経った1954年に始まりました。

このファサードも生誕のファサードと同じく4本の塔で囲まれています。

小生が訪れた時には塔は完成していましたが門は工事中で写真も撮ってきませんでしたので
小生自身このサファードを知るために、インターネットの写真を借用してご紹介することにします。

調べてみると、4本の塔は生誕のファサードと同じですが
そこの彫刻は、自然界の素材を重視し曲線を愛したガウディの具象彫刻で飾られた
生誕の門とは全く異なったものであるのに驚かされました。


正面の門に見られる彫刻

この門の彫刻家

受難のファザードの彫刻をしたのは、カタルーニャ出身の
現代の彫刻家ジョセブ・マリア・スキラッティで、1985年から始めました。

彼の彫刻は直線を多用した現代彫刻で
荒削りの角張った人物像、最小限に留められた顔の表情など
抽象とも具象ともつかない独特のフォルムをもっています。

そういえば生誕のファザードのガウディーの優しい人物像のモデルは
バルセロナの普通の人々だったと書いてあった事を思い出します。

門に彫られている彫刻

この門にはイエスの最後の晩餐からイエスの磔刑、イエスの昇天までの
有名な場面が彫刻されており、左下の最後の晩餐から右上のイエスの埋葬まで
「S」の字を逆になぞるように彫刻されているとの事です。

物語とは逆になったり、順序通りでもありませんが、正面写真の上の彫刻から
出来るだけ多くの彫刻画像をご紹介することにします。

昇天するイエス

「S」の字に置かれた彫刻とは別に、鐘楼を渡す橋の中央に昇天するイエスがあります。

昇天するイエス


ゴルゴタの丘での磔刑のイエスと、ゴルゴダの丘に上るイエス

上に掲載している「正面の門に見られる彫刻」の写真の中央最上部にこの二つの彫刻があります。

磔刑のイエスとゴルゴダの丘に上るイエス


磔刑のイエス

横では三人のマリア、聖母マリア、クレオファスのマリア、マグダラのマリアが泣いています。
そして傍らには死を表す頭蓋骨が置かれています。
全裸のイエスの像も珍しく、これらの像をみると上述したガウディーとの差が良くわかります。

ゴルゴダの丘に上るイエス

十字架を背負うキリストと、写真中央にはイエスの汗を拭った聖なる布を持つ聖者ベロニカが見えます。
布に残ったイエスの顔の跡という事でイエスの顔が彫りこまれています。
左には兜をかぶる戦士と聖者が立っています。

イエスの埋葬

「正面の門に見られる彫刻」の写真の右側門の上に見られる彫刻です。

イエスの亡骸を岩窟の墓に納める弟子達


賭けをする兵士達と馬に跨る兵士

「正面の門に見られる彫刻」の写真の左側門の上に見られる二つの彫刻です。

兵士達

上の兵士たちは、キリストの服を賭けてサイコロ遊びをしている所。

下の槍を手に馬にまたがる兵士はイエスを槍で突いたとされるロンギヌス。
この槍は後に聖なる槍として崇められる事になります。
ロンギヌスも後にキリスト教に改宗して殉教します。

捕らわれたイエスとユダの接吻

捕らわれたイエスとユダの接吻

「正面の門に見られる彫刻」の写真の中央門の中央柱と左の彫刻

捕らわれたイエス

柱荒縄で正面の柱に縛り付けられた痛々しいイエスのむち打ちシーンの彫刻。

ユダの接吻

イエスに接吻する事でイエスを裏切り、兵士達に誰がイエスであるかを伝える所。
裏切ったユダの足下(円くみえるもの)は悪魔のシンボルであるヘビ。

背後に描かれた数字の升目は、縦・横・斜めの和が33になる魔方陣。
イエスが処刑された歳を表しています。

ペテロと三人の女性

「正面の門に見られる彫刻」の写真の中央門の右下に見られる彫刻です。

ペテロと三人の女性

ペトロがキリストとの関与を疑われた際、ペテロはイエスを知っている事を三回否定します。
三人の女性は三回の否定を表しており
ペテロは自らの卑怯を恥じ入るように下を向き小さく丸まっている様を表しています。

最後の晩餐

場所が何処かはっきりしませんが、ストーリーとしては最初ですから、
左下にあると予想されます。

最後の晩餐


未だ幾つかの彫刻がありますが、これで受難のファサードの紹介を終わりとします。