日枝神社から戻ってみると、曳き揃えられていた神明町通りから片原町の屋台蔵を経て、崑崗台(こんこうだい)が夜祭のために曳行されていた。狭い道を通る屋台も、また違った面持ちがあった。






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(春の高山祭 岐阜県高山市 国指定重要民俗文化財)
からくり奉納場所から、神明町通りに差し掛かる。ここには、お旅所前の三番叟、龍神台、石橋台、神楽台以外の八台が揃えられている。
崑崗台(こんこうだい)片原町屋台
当初は、「花てまり」「林和靖」と呼ばれ、その後、中国の金産地、崑崗から、崑崗台と改められた。故に、金の御幣、宝珠等が使われている。平成13年に解体修理が行われている。
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恵比須台(えびすだい)上三之町屋台
当初は、「花子」「殺生石」「蛭子」と呼ばれ、天保時代に恵比須台に改められた。江戸時代後期の彫刻家、谷口与鹿(よろく)作の彫刻があしらわれ、鍍金には14kgの金が使われている。昭和43年に解体修理が行われている。
琴高台(きんこうだい)本町一丁目屋台
当初は、「布袋」と呼ばれ、文化十二年(1815)に漢学者、赤田臥牛が『支那列仙伝』の故事、「琴高、赤鯉に座し来る」から屋台名を名付け改めた。故に、鯉づくしの意匠となっている。昭和41年に解体修理されている。
青龍台(せいりゅうだい)川原町屋台
当初は、「道成寺」と呼ばれていたが、天保三年(1832)に焼失し、嘉永四年(1851)に再建された際、青龍台と改められた。高山城天守を表現したという入母屋造りの屋根が特徴的である。昭和31年に解体修理が行われている。
麒麟台(きりんだい)上一之町下組屋台
当初は、「鉄縄」「よしの静」と呼ばれ、高山藩金森家から拝領の麒麟の香炉を所持していたことにより、文化十年(1813)麒麟台と改められている。昭和46年に解体修理されている。
大国台(だいこくだい)上川原町屋台
寛政八年(1796)建造の松樹台を由来とし、上二之町から大黒天を譲り受け、大国台と改められた。屋根が前後左右に揺れる構造となっており、平成13年に解体修理が行われている。
鳳凰台(ほうおうだい)上二之町下組屋台
当初は、「迦陵頻」「鹿島」と呼ばれ、文政五年(1822)鳳凰台と改められている。屋根には赤木白毛の237cmの鉾が立ち、オランダ古渡りの三色幕が使われ、周囲に麒麟彫刻が施されている。昭和37年に解体修理が行われている。
訪れて間もなくして小雨が降りだし、残り一台の屋台「五台山」の撤収作業が行われた。
(春の高山祭 岐阜県高山市 国指定重要有形民俗文化財)
午前10時半に高山へ到着。道中、雪の残る場所が幾つかあったが、高山の気温も8℃であり、曇天で寒かった。
先ずは観光案内所で市内の施設に入館できる「通行手形」をいただき、日枝神社お旅所前にある、からくり奉納場所へ向かった。到着直後は、まだ隙間のあった奉納場所も、みるみるうちに多くの人で埋め尽くされ、と同時に太陽が顔を出し、そして日差しが強くなり気温も急上昇、顔がじりじりと焼けるのが分かった。
春の高山祭である山王祭は、江戸時代前期に、高山城下の江戸街道(国道158号線)より南側の氏神である、日枝神社の例祭として始まったものであり、からくり奉納や屋台曳き揃え、夜祭、御巡幸等が行われる。
からくり奉納三台(三番叟、石橋台、龍神台)の内、上一之町中組の三番叟(さんばんそう)は、屋台で演奏される謡曲「浦島」に合わせて童人形が機関樋(屋台からせり出すレール)を先端に進み、箱に顔を近づけると、一瞬に「翁」に変身するからくりである。
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(針綱神社祭礼 愛知県犬山市 国指定重要無形民俗文化財)
犬山城の守護神である針綱神社の祭礼として、寛永十二年(1635)に下本町、魚屋町でお練りを行うようになり、その後、車山(やま:山車)でからくりが奉納されるようになったのが始まりである。その後、中本町、熊野町等でも車山が曳かれるようになり、犬山城主成瀬正虎がこれを奨励し、十三町全てで車山が曳かれるようになった。また、始められた当時は、台車の上に飾り物を載せていた程度のものであったようだが、次第に二層、三層に発展していった。
(本町から犬山駅前に到着した、名栗町車山「絳英:ほうえい」)
(鍛冶屋町車山「寿老臺」)
(枝町車山「遊魚神」)
(新町車山「浦島」)
(本町角を曲がる、下本町車山「應合子」)
(中本町車山「西王母」)
(余坂車山「宝袋」)
この日は、初日の試楽(しんがく)と呼ばれる日で、針綱神社へからくりの奉納が行われた後、車山を曳き回し、犬山駅前へは十三台中、七台が集結した。私は、犬山駅から本町を曲がり、残りの六台がある針綱神社前へと向かった。
上の写真でも分かるように、電柱、電線が気にならないだろうか。犬山市では、地中化に向けた動きが始まってはいるようだったが、他の町並みを意識する観光地では、電線地中化は既に進んでおり、犬山市はやや遅い歩みといえる。他にも、町並みの景観対策や、街路での歩道の確保等、改善点は幾つかみられる。また、観光アピールに対しても、名古屋鉄道等に依存する傾向にあり、市の財政状況は厳しいと聞いているが、もう少し力を入れて欲しいと感じるところである。
更に発展した観光推進策として、木曽川を跨いだ岐阜県各務原市との提携による相乗効果をねらいたい。犬山城の対岸には、犬山橋のたもとに存在する「鵜沼城跡」と、ライン大橋側対岸に位置する「伊木山城跡」があり、更に中山道鵜沼宿がある。これを活かさない手はない。
また、市内でありながら、中心市街地からみて遠い位置に存在するため、来訪者が右肩下がりの「明治村」や「リトルワールド」は、それを補う交通手段の拡充(駅からの直通バスではなく、市街地を経由するタウンバスや、既存モノレールの改良等)や、越県を視野に入れた、相互観光対策が必要であろう。
(外町「梅梢戯」と寺内町「老松」)
(魚屋町「眞先」、本町「咸英」、練屋町「国香欄」、熊野町「住吉臺」)
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(美濃まつり 岐阜県美濃市 市指定無形文化財)
「上有知:こうずち」へは、半年振りに訪れる。今回は当日になって訪れることを決めた。それは最近、前もって予定を立ててしまうと、天候やタイミングに恵まれないことが多いからであった。
今回は家を出るのが少々遅く、9時過ぎであった。そして日中の列車本数の少ない時間にかかり、美濃市へは午後1時半の到着となったが、先日の沖縄の方が所要時間が少ないくらいであった。
駅を下りると、遠くから掛け声が聞こえ始めた。そして視界に「花みこし」が入り、動く花みこしを初めて目にした。
「花みこし」は、上有知八幡神社祭礼行事の一つである。江戸時代に起きた旱魃(かんばつ)の際に、雨乞いの飾り付けを特産の和紙で行ったのが始まりという。
(広岡町付近)
(相生町付近)
(泉町付近)
(終りの近づく、花みこし)
(八幡神社)
(片付けの始まった花みこし)
(愛知県新城市乗本 県指定無形民俗文化財)
8月15日に行われる旧乗本村の送り火行事。
村内秋葉神社で熾された聖火を、山腹の大日堂(大日山安居院)に運び、六本の松明に移されて道行が始まる。鉦、太鼓、笛を伴った道行は、一旦山を下り、本久集会所を横切って山道に入り、鳶ヶ巣山途中の万灯山に差し掛かると、麦藁で作られた万灯に火が移され、縄のついた万灯を頭上で振り回す。
長篠の戦いの際、乗本では多くの戦死者を出し、その霊を弔うものとして起こったという。後に村人男子の通過儀礼を含むようになり、今に続いている。
元火(聖火)
この日隣接する地区では、大海の放下、市川鍋づる万灯、信玄原火踊等が行われる。
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