flow Trip -archive-

「漂い紀行 振り返り版」…私の過去の踏査ノートから… 言い伝えに秘められた歴史を訪ねて

上有知宿

2006-06-05 00:00:37 | 街道・宿場町

(岐阜県美濃市)
 旧美濃駅から更にまちの中心地へと向かう。
次第に増えていく、防火壁卯建(うだつ)のある建物。この辺りは郡上街道の宿場、上有知(こうずち)宿であり、また幾つかの街道の起点にあたるところでもある。
 町並みは思いのほか、景観が整えられている。
その一つ、旧今井家住宅を覗いてみる。商家としては、立派過ぎる建築であり蔵が幾つも建つ。一番奥まったところには、豊川稲荷が祀られていた。ここでお話しを聞くと、まち全体が明治時代に修理を行い、そのために後になって二番町通りの小坂家住宅(自動車が止まっている家)以外、国指定保存建造物にはならなかったそうである。また、近年、景観指定されるようになって以後の修理は、外観を規定範囲内で行い、補助対象となっているということであった。
 続いて、秋の夜の催しとして行われるようになった、美濃和紙あかりアート展で町並みに並べられる“あかり”が展示されている、美濃和紙あかりアート館を訪れた。
イメージ再現のため、暗室に並べられている。この建物も美濃町産業会館として昭和16年(1941)に建てられ、昨年に国指定文化財となっている。
 この後、上有知川湊美濃橋旧牧谷街道小倉公園の順に散策し、最後に婦人商工会館にある、花みこしを見た。ここでは、女性の方が説明してくださり、毎年4月に行われる、美濃まつりの光景の説明を受けた。和紙で作られた花びらは、毎年年末頃から作られ始め、春の祭りに向けて準備されるそうであり、道一杯に動き回る花みこしは壮観だそうだ。ただ、催しの際の駐車場不足、不便な公共交通はお叱りを受けながらも、私(女性職員の方)の出身地高山よりも観光地化されてなく、よいまちだと紹介されていた。
 もう一つ、過疎の市が周辺と合併を進めなかったのは、“美濃”のまちに誇りを持っている人が多く、明治時代に美濃和紙をもとに付けられた、まちの名前が消えてしまうのが忍びないからだとも話されていた。
             

(関連記事:美濃町平成十九年 美濃流し仁輪加 港町岩陰遺跡


コメント (3)    この記事についてブログを書く
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3 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
上有知no (akamegashi)
2008-03-02 20:50:24
美濃町・・・上有知の紹介をありがとう
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Unknown (akamegashi)
2008-03-02 20:51:11
美濃町・・・上有知の紹介をありがとう
返信する
akamegashiさん (kourei)
2008-03-03 01:06:37
お越しくださってありがとうございます
返信する

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