flow Trip -archive-

「漂い紀行 振り返り版」…私の過去の踏査ノートから… 言い伝えに秘められた歴史を訪ねて

山王祭屋台曳き揃え 神明町通り 

2008-05-10 00:00:57 | 民俗・伝承

(春の高山祭 岐阜県高山市 国指定重要民俗文化財)
 からくり奉納場所から、神明町通りに差し掛かる。ここには、お旅所前の三番叟龍神台石橋台神楽台以外の八台が揃えられている。

崑崗台(こんこうだい)片原町屋台
 当初は、「花てまり」「林和靖」と呼ばれ、その後、中国の金産地、崑崗から、崑崗台と改められた。故に、金の御幣、宝珠等が使われている。平成13年に解体修理が行われている。
 (トップ写真含む)
崑崗台曳行

恵比須台(えびすだい)上三之町屋台
 当初は、「花子」「殺生石」「蛭子」と呼ばれ、天保時代に恵比須台に改められた。江戸時代後期の彫刻家、谷口与鹿(よろく)作の彫刻があしらわれ、鍍金には14kgの金が使われている。昭和43年に解体修理が行われている。
  

琴高台(きんこうだい)本町一丁目屋台
 当初は、「布袋」と呼ばれ、文化十二年(1815)に漢学者、赤田臥牛が『支那列仙伝』の故事、「琴高、赤鯉に座し来る」から屋台名を名付け改めた。故に、鯉づくしの意匠となっている。昭和41年に解体修理されている。
   

青龍台(せいりゅうだい)川原町屋台
 当初は、「道成寺」と呼ばれていたが、天保三年(1832)に焼失し、嘉永四年(1851)に再建された際、青龍台と改められた。高山城天守を表現したという入母屋造りの屋根が特徴的である。昭和31年に解体修理が行われている。
  

麒麟台(きりんだい)上一之町下組屋台
 当初は、「鉄縄」「よしの静」と呼ばれ、高山藩金森家から拝領の麒麟の香炉を所持していたことにより、文化十年(1813)麒麟台と改められている。昭和46年に解体修理されている。
   

大国台(だいこくだい)上川原町屋台
 寛政八年(1796)建造の松樹台を由来とし、上二之町から大黒天を譲り受け、大国台と改められた。屋根が前後左右に揺れる構造となっており、平成13年に解体修理が行われている。
 

鳳凰台(ほうおうだい)上二之町下組屋台
 当初は、「迦陵頻」「鹿島」と呼ばれ、文政五年(1822)鳳凰台と改められている。屋根には赤木白毛の237cmの鉾が立ち、オランダ古渡りの三色幕が使われ、周囲に麒麟彫刻が施されている。昭和37年に解体修理が行われている。
   

 訪れて間もなくして小雨が降りだし、残り一台の屋台「五台山」の撤収作業が行われた。


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